「汝、愛によって救われんことを」
金の髪の娘が、祝詞を呟く。
歪められ、貶められながら生み出された奇麗事は、だが意外にもずいぶんと真実に近い場所を掠める。
祝詞に乗せて、娘は閉ざされた世界から祈りを捧げる。
それは、世界に向けられていると同時に、心の底では"彼"に向けられている。
「貴女も……そうなのね?」
金の祈りに、銀のそれが柔らかに重なり、娘は穏やかに呟いた。問いかけのその言葉とは裏腹に、少女の語彙は独白に近く、そして答えもなかった。銀の髪の娘もまた、世界に祈り、『彼女』に祈る。
――どうか、彼らに愛と幸福を――
右にはランドエバー王国国王。
左にはスティン国王弟。
「こりゃ、どこの王家の式だよ」
改めて見れば早々たる顔ぶれに、エスティは軽いため息をついた。
ラルフィリエルの着付けを行う為、男集は聖堂の外で並んで待ちぼうけを食っているのだった。ただの庶民の、しかも結婚の真似事を祝うために、一国の王や、隣国の王家の者が駆けつけて、待たされているのである。
しかも着付けを行っているのが王妃ときたものだ。
「お前ら、こんなとこで油売ってていいのかよ」
本気で心配しているのだが、そこは今ひとつ素直になれずに、ぶっきらぼうにエスティが問うと、
「深夜でよかった。抜け出すのが簡単だ。何しろプロがいるしね」
「俺は昼から馬車飛ばしたんだぜ!? だがまあ、俺が急に訓練を取りやめるなんて日常茶飯事だしな。どうってことはねぇだろーよ」
微笑と豪快な笑いの差はあったが、どちらも相当不謹慎な言葉がサラリと返って来た。
「そんなんで大丈夫かよ……ランドエバーとスティン」
「それだけ平和になったってことだ」
頭を抱えたエスティに、だがこともなげにアルフェスが告げる。
「そしてそれを成したのは、エスティ――君だ。だからこそ、多少無理してでも君の幸せは祝いたいんだよ。もちろん、ラルフィリエルもね」
アルフェスの瞳は冷たい色をしているが、優しい。立場的には大きく変わった彼だが、それ意外は何も変わってはいないことを、今更のようにエスティは感じていた。そしてそれは、ルオもまた然りである。
「まあ、だが、エス。姉ちゃんのドレス姿を見る前にはひとつ、難関がありそうだぜ」
だが、ルオはそういうと、ドン、とエスティの体を前に突き飛ばした。その先には――微妙な微笑を讃える美貌の人がいる。
(また、余計なことを――)
さわらぬ神に祟りなし、とばかりにしらんフリを決め込んでいたエスティは、ルオの行動を心底恨んだ。
横目で睨んだが、ルオはにやにやとした笑みを顔に貼り付け、アルフェスを縋るように見れば、彼には目を逸らされた。
全ては解き遅し――前を見れば、真意のわからないジェードグリーンの微笑みがあった。
「さて、エス。今日からはぼくをお兄ちゃんて呼んでくれるのかな?」
「……呼んでもいいのかよ」
意味のわからない言葉にエスティが投げやりに返す。
何も、リューンは本気で怒っているわけではない――そんなことは知っている。それでもやはり、妹に兄離れされるのは寂しいのだろう。だからこうしてしょっちゅうからんでくる。
別にそれを嫌だとまでは言わないが、未だに続いているとなると、多少は辟易もするものだ。
そんなエスティの思いを知ってか知らずか、リューンは相変わらず微笑みながら、エスティの横を通り過ぎた。
「でもね……、ぼくは半人前の男に妹をやるつもりはないんだよ」
いつものパターンからは完全に予想外の答えに、エスティは一瞬たじろいだ。だがそれは一瞬のことで、横を通り過ぎて背後に回ったリューンが何を考えているのか、その瞬間エスティには解って、彼は慌てて振り向いた。だが――
その時には既に、エスティの腿までかかろうとするほどの長い黒髪は、リューンによって肩口でバッサリ切り落とされていた。
「リューン……!」
非難めいた声に、だがリューンはいつの間にか手にしていたナイフを仕舞うと、穏やかに微笑んでみせた。
何も含まない、穏やかな笑みを――
「エスはもう、1人前の男だよ。誰よりも傍で、誰よりも長くエスと旅をしたぼくが保証する。そして、君が娶るシェラの兄として認める」
深い碧の隻眼に見つめられる。それは確かに、誰よりも信じ、頼りにしていた瞳。
その瞳に見つめられれば、長年の重さが取り払われた、涼しい襟足にも誇りが感じられた。
(――爺ちゃん。オレの相棒が、オレを1人前だと認めてくれたんだ。だから――いいよな?)
厳格な祖父から強制されていた、村のしきたり。成人し、1人前と認められるまでは髪を切ってはいけないと教えたまま、認めてくれることなく父も祖父も逝ってしまい、なんとなく切れないままになっていた。
同時に、どこか自分にも自信が持てないままでいた――
「ありがとう。リューン」
聞こえるかどうか解らないほど小さな声だったが、リューンは微笑んだ。
静かに聖堂の扉が開いたのはそんなときだった。
「じゃーんっ!」
シレアが騒々しい叫び声をあげ、その後ろには――
白いウエディングドレスを纏った、神々しいまでに美しいラルフィリエルの姿があった。
その手には、いつかミラから贈られたブーケがあった。魔法でプリザーブドフラワーにしたもので、この1年間、シレアとラルフィリエルの相部屋に飾られていたものである。きっと、それもシレアが持ち出したに違いなかった。
「って、なぁに、エス、その頭! ただでさえ釣り合わないのに、余計釣り合わないッ! ラルフィはこんなに綺麗なのに……」
「悪かったな」
誰もがラルフィリエルに見惚れて声を出せないでいる間に、シレアが無遠慮な声をあげ、エスティが憮然とする。
だがそのやりとりは、いつしか笑いの波を誘った。
仲間達の笑顔の中、シレアに押されるようにしてエスティはラルフィリエルの手を取った。
「――あれ?」
だがふと、エスティが――彼だけでなく、シレアもミルディンも、リューンもアルフェスもルオも。ラルフィリエルさえもその動きを止めた。
それを成したのは、闇夜にも鮮やかな金色の小さな光。
「……蛍? じゃないよね。これは……」
目をこらせば、金だけではなく淡い銀に輝くものも混じっている。それが、空から雪のように、ゆっくりとエスティ達の周りに降り注いでいるのだ。
「あったけぇ。こりゃ、あれだぜ。聖戦が終わったときの」
見覚えがあるそれに、ルオが思い当たって声をあげたとき、エスティもまた声を上げていた。
「イリュア……!」
根拠はないが、確信できた。そのぬくもりは、間違えよう筈もない。
幸せを願っていると言った、彼女のぬくもりだ。
「ラルフィリエル……」
ラルフィリエルもまた呟いていた。その柔らかな銀は、自分の内にあるものだ。
2人が共に、重ねあった手を強く握り締める。
そして、シレアは微笑んだ。
「汝、病めるときも健やかなるときも、死が2人を分つまで、共に愛し合うことを誓いますか――?」
シレアの声が、そしてそれに続いて契りを交わす2人の声が――
それぞれ光降る夜空に吸い込まれていく。
ランドエバーの静かな夜に、光はいつまでも降り続いていた。