外伝3 暁に消える 7


 喧騒に、気が遠くなりそうだった。
 小さな体だが動かすことは酷く煩わしい。

「お嬢ちゃん、どうしたんだい? 迷子かい?」

 うずくまって肩で息をついていると、ふいに頭上から声がかかった。
 億劫ではあったが見上げると、中年くらいの女性が、こちらに手を差し伸べてくる――
「……私に触らないでッ!!」
 ぱしん、とその手を跳ね除け、少女は何処かへと駆け出した。
 遺された女性は、しばしぽかんとして立ち尽くしていたが、
「……あら?」
 走っていく少女の後姿が、陽炎のようにぼやりとゆらめいて、彼女は目をこすった。
 だが改めて凝視する暇もなく、瞬く間に少女の姿は城下町の人ごみに埋もれてしまう。
「いけない、いけない。こんなお祭り騒ぎの中にあんな小さな子がひとりでいたら、危ないわ」
 ランドエバーは決して治安の悪い国ではないが、人が集えば騒ぎに乗じてよからぬことを企む者がいないとは言い切れない。現にめでたい日であっても警備はいつも以上に厳重だ。
 その為警備に当たっている騎士を探すのは至極容易で、女性はその白い軍服の袖を引いた。
「どしたの?」
 疲労困憊の顔で、騎士がこちらを振り返る。少し長い茶髪を後ろでちょこんと束ね、派手な赤いバンダナを頭に巻いた軽薄そうな騎士だが、式典用の軍服の装飾とカラーの色を見るに階級は高いようである。そのギャップに少し戸惑いながらも女性は口を開いた。
「小さな女の子がひとりで走って行っちゃったんです。迷子じゃないかな、と思うんですが……何せこの人でしょ? 何かあったらと気になって」
 少女が走り去った方角をちらちらと気にしながら女性は言葉を継ぐ。
「黒髪で赤い目の女の子でした。きっと家族と違う大陸から来てるんだわ。早く見つけてあげないと」

 ごった返す城下の人々、それを縫うようにして、エスティとリューンはその街並みを歩いていた。
「あはははは! そんなこと、言われたの?」
 ずっと顔に疑問符を浮かべたままだったリューンに、仕方なくエスティがアルフェスとのいきさつを話してやると、彼は軽快な笑い声をあげた。
「上に立つ者はいかにして人を要領よく動かすか……切れ者の王様になるね、彼は」
 笑い混じりの声でそんなことを言うリューンに、エスティはますます仏頂面になった。
 動かされるのは嫌いだが、ラルフィリエルの為なら何をも厭わない覚悟はある。解っていてアルフェスはあんな言い方をしたのだ――、騎士団をまとめていただけあって、よく人の性格を見てその士気を高める能力に長けている。それは認めていても、心底面白そうに笑うリューンの手前、エスティは顔をしかめるしかなかった。
「……とにかく、とっとと片付けるぞ。エインシェンティア絡みなら、ラルフィだけの問題じゃない」
 話題に終止符を打つ為の意気込みでもあったのだが、存外すんなりとリューンは流されてくれた。
「うん、そうだね。でも、どうするつもり?」
 とりあえずは笑うことをやめてくれたリューンに、内心ほっとしつつ――、だが問いにエスティもまた表情を引き締める。
「まず、あいつ……ユーヴィルだっけか、彼女を探す。じゃなきゃ始まらない」
「居場所がわかるの?」
 端的に、だが核心をついてくるリューンに、エスティは曖昧な表情をした。
「それは……」
 だが、エスティの言葉は半ばで切れた。その理由は……リューンにもすぐに知れる。
 喧騒を掻き分ける騒音、流れてくる魔道の蒼い光、それは以前にもここと同じランドエバーの城下町で見た光景。その主はもちろん――
「ちょっとー、あたしも連れて行ってよー!!」
 バシュウッ、と騒々しい音を立ててボードに急ブレーキをかけると、渋い表情のエスティと、溜め息をつくリューンの目の前でかしましい少女は宙から飛び降りてきた。
 言わずと知れた、シレアである。
「だからさ……街中で使うなって」
「シレア――」
 呻くエスティを遮って、リューンが何か言いたげにシレアに歩み寄る。その言葉を察しているかのようにシレアもまた何かを言いかけて顔をあげたが、結局どれもが中途半端に終わることになった。
「ちょっとそこのご一行〜」
 人ごみを掻き分けて、近衛隊の白い軍服を纏った騎士が近づいてくる。
 明るい茶髪と鳶色の目をした、軽薄そうな人物だ――彼は、にこにこと近づいてくると、真っ直ぐにシレアに近づき、彼女が手にしている白銀製(メタルボディ)のボードをわっしと掴んだ。
「え?」
 状況がわからず疑問の声をあげたシレアに、騎士は人懐こい笑顔で、無情に告げる。
「没収ね。危ないから。一応オレ城下の警備なの。問題が起きたら面倒だから面倒そうなものは面倒になる前に没収ね。面倒だから。オレが」
 解るような解らないような理屈をぺらぺらとまくしたてられてシレアが目を白黒させる。とりあえず、面倒をやたら強調した彼は、面倒なのだろう――となんとなくエスティが思っていると、彼はぐるりとこちらを向いた。そして目を丸くする。
「あれー。やたら長い黒髪と美女のようで美女じゃない人。もしかしてエスティとリューンて人〜?」
 的確だといえたが微妙な表現に複雑な顔をしたエスティとリューンの代わりに、没収されそうなボードを取られまいとしっかりつかみなおしながらシレアは肯いてやった。
「そうだよ」
「って君はあれじゃん。スティンの」
 改めてまじまじとシレアの顔を見、騎士が罰の悪そうな顔になる。
「これは失礼しました。オ……私は近衛のヒューバート・ヴァルフレイと申します。貴方がたのことはアル……じゃなかった、隊長……でもなかった、陛下から聞いてますよ。あと姫からも」
 パッとボードから騎士、ヒューバートが手を離した瞬間、それを背中に隠すようにしながらシレアもまたヒューバートを改めて見た。
「あ、あたしもミラから聞いた。副隊長のヒューさんでしょ? よくサボる」
「しつれーだなぁ。最近はへーかがへーかになっちゃったから忙しくてサボれないんだよ?」
 間延びした声で、子供が言い訳するような口調でヒューバートが言う。そして不満そうな言い草とは裏腹に、サボるということは肯定しているな、とエスティは苦笑した。
「なに笑ってるんだよー。今君ら大変なんでしょ? いそがしーのに陛下からまた追加命令だよ。黒髪赤目の少女を探せってね。そんでできるなら君らの力になれって」
「え」
 驚いたような顔をするエスティに、ヒューバートは器用に片目を瞑って見せた。そんなどこか浮いた仕草が様になるような男だ。
「陛下もあれでいろいろ大変だからさ。今まで以上に身動きとれないし、表立って君らに協力できないこと悪いと思ってるんだと思うよー」
「そんな! 仕方ないよぉ、王様になっちゃったんだもん」
「うんまぁそうだよねぇ。そんなわけで、アイツは今自分のことで一杯だからさー。不肖のオレが協力できることはするよー。て言っても、オレもそんな堂々と動けるわけじゃないけどねー。まぁこの国にいる限りはだいたいのことは何でもするよ、だいたい」
「……じゃあまず、その気抜けする喋り方なんとかしろ」
 ヒューバートの語りを聞いていたら何故かどっと疲れた気がして、エスティが思わず悪態をつくが、ヒューバートに全く気にした様子はなく、
「そういうオレ的に日頃から聞き飽きてること言われてもオレ気にしないよ。それより、そんなこと言っちゃってていいの? オレ見つけちゃったよ、黒髪赤目の女の子」
 へらっとそんなことを言う。
 さすがにリューンが表情を変えてヒューバートを見ると、相変わらず彼は笑ったまま、通りの向こうを指差した。
「町の人が見かけたって言うんでとりあえず部下に追わせてるよ。迷子通報だったんだけどねぇ」
あいかわらず呑気なヒューバートの口調と対象的な緊迫した叫び声が通りの向こうで聞こえたのと、エインシェンティア独特の魔道の震えをエスティが感じたのは、ほぼ同時だった。