外伝3 暁に消える 12


 頭に響いたその声で、戦慄と共にユーヴィルは真紅の双眸を開いた。
 汗だくの体が風に晒され、寒気に両手で体を包む。
 酷く重い頭を上げてあたりを見回せば、見渡す限りの草原だった。転送呪(テレポートスペル)を使った覚えなどないが、これほどの草原はリルステル大陸には存在しない。――ラティンステル大陸にまず間違いない。
(ガルヴァリエル――)
 気を失っている間、彼女は悪夢を見ていた。自分から全てが奪われた瞬間の夢、それは悪夢意外の何物でもないだろう。そしてそれを成した者の名を、憎憎しげに胸の中で吐き捨てる。今正に夢に見た者。彫刻のような完全なる美貌、紫水晶そのものの瞳と、シルバーブロンド。かつて彼は、この草原の向こうに漆黒の居城を持ち、大陸を掌握し、世界をも弄んだ。だがその城ももう今は無く、彼もまた、亡い――
 だからこそ、夢に出てきてくれたのならば、くびり殺してやればよかった。
 詮無いことを考えながら、ユーヴィルは自虐的に笑った。馬鹿馬鹿しいことだと自分でも解っている。解っているが、だからこそどうしようもなく虚しい。
 壊れた木偶人形のようにぐらぐらと揺れながら、ユーヴィルは草原に身を起こした。
「カオス……ロード」
 ありったけの憎しみがこめられた言葉が、その唇から微かに流れた。


 ごく微弱ではあるが――魔道干渉を感知して、ラルフィリエルは表情から笑みを消した。ほとんど時間差を無くして、イリュアもまた声を上げる。
「エスティくん、行きましょうか。――あの子を放ってはおけないわ」
 既にイリュアのロッドは力を帯びて金の光を生んでおり、すぐにでも転送呪(テレポートスペル)を使おうとしていることが窺えた。それを察して慌ててエスティが口を挟む。
「待てよ、行くって……ユーヴィルがどこにいるのか解るのか?」
 エスティの問いにイリュアが頷くが、実際に答えたのはラルフィリエルだった。
「……ラティンステル大陸だ」
 静かな、だがはっきりとしたラルフィリエルの声に、エスティが驚きを表情に見せる。それに、どうして解るのかという言外の疑問を感じ取ってラルフィリエルは言葉を続けた。
「暴発しかかったエインシェンティアが、複雑な魔力干渉を起こしている。ここから距離はあるが、注意すれば解るはずだ」
「解るかよ! 解んねぇから、今までエインシェンティアを探すのに苦労してたんじゃねぇか」
「……それとは別」
 ラルフィリエルの、済んだオーシャングリーンの瞳が真っ直ぐにエスティを向く。銀髪と紫水晶の瞳だった頃より、表情が和らいだせいもあるのだろうが、幾分か彼女は幼く見えた。だがこうしてふと見つめてくるラルフィリエルの瞳は酷く大人びていて、何もかも見透かしているようだと、エスティは思う。
 怯んでしまいそうにすらなるのだが、それを表に出すことはなく、エスティはただラルフィリエルの言葉を反芻した。
「別?」
「呼んでいるから」
 答えながら、ラルフィリエルは自分で自分の答えにはっとしたようだった。
 視線がエスティから逸れて虚空を泳いでいる――
「ラルフィ?」
 気付いてエスティが呼ぶが、彼女に届いてはいなかった。
(呼んでいる。これじゃあ、まるで――)
 ラルフィリエルは、胸中だけで独白していた。
『彼女』の魔力干渉を感じたのは、彼女自身が届くように力を使っているから。即ち呼んでいるのだ――
 ラティンステル大陸へ。全てが始まり、終わり、また始まる地へと。
『彼女』は知らないだろう。かつて、同じ様にその地から誰かを呼んだ者の存在を。

(まるで、私)

 ラルフィリエル自身、意識していなかったために、全くの突然――、銀の風が、なびくフラックスの髪ごと彼女を空間の狭間へと溶かしていた。
「ラルフィリエル!?」
 叫ぶエスティの声は虚空に流れて、その手は宙を掴む。
「大丈夫、エスティくん。彼女は自分の意志で、自分の力で向かっただけよ。追いかけましょう」
 何事かと焦るエスティを落ち着かせるように、イリュアが穏やかに話しかける。それを聞き、ひとまずは落ち着いたエスティは、深い溜め息をついた。
「ったく、勝手なことを――」
「エスに感化されてきたんじゃないの」
 サラリとリューンがそんなことを言ってのけ、エスティが絶句する。だが何か言い返そうとする先手を取ったのもリューンだった。
「そんなことより、ぼくらも早く行こう。シェラが心配だ」
 エスティがどこか釈然としない顔をしたが、リューンの言にはこの上なく同感の為だろう、大人しく引き下がる。
 笑いを堪えながら、イリュアは頷いた。もとよりそのつもりである。
 イリュアの周囲に、エスティ、リューン、シレアの3人が集まった。
「力になれなくて悪ぃな、エスティ」
 残ったルオが軽く手を上げてそう言い、
「もう充分助かったぜ。スティン王にヨロシクな」
 エスティもまた片手を上げて答える。
 程なくして、金色の光が、ルオの姿、そしてランドエバーの風景を飲み込み、その場所と空間を隔てる。
「……ねえ、呼んでいるってどういうことかな。ユーヴィルが、ラルフィを呼んだの?」
 その刹那に、疑問の声を上げたのはシレアだった。
 視界が揺らいでいくなか、互いの姿を認識するのは困難だったが、それでも3人は彼女を注視した。
「同じだからでしょう。……私とガルヴァリエルは、互いにデリートスペルの、エインシェンティアであるラルフィリエルの依になれる者を探し続けていた。その中で、ガルヴァリエルは1度失敗したことがあるの。ラルフィ……いえ、シェオリオの前身であるその娘は、結局エインシェンティアを受け入れられず、力に呑まれて死んだ」
 答えたのは――イリュア。
「ユーヴィルは、その子に良く似ている。歳も、髪の色も目の色も違うけれど、私にはわかるの――」
 シレアに向けられていた視線は、シレア自身も含めて、今度は一斉にイリュアに集まった。
 じき、視界は意識と共にフェードアウトする。今ではだいぶ慣れてきた転送呪(テレポートスペル)の感覚。目を開けたときには、ラティンステル大陸に着いているのだろう。