外伝3 暁に消える 11


 城下町を賑わす、祭りの喧騒。
 すぐ下の通りから聞こえてくる、それとは質の異なる喧騒。
 ランドエバー城下郊外のとある建造物、その屋上。
 自分。
 城で待っている筈のラルフィリエル。
 外界から隔たれた空間、聖域エルダナにいる筈の巫女。
 スティンの王弟。
 親友。
 その義妹。
 それら全てを支配する、疑問と混乱――

 そういった状況だった。

「ちょっと待て! 誰も喋るなよ! オレが仕切る!!」

 一瞬の沈黙を裂いて、誰よりも早く言葉を発したのはエスティだった。広げた片手をばっと前に伸ばして、今にも詰め寄ってきそうな面々を制する。
 気圧されたようにリューンが首を縦にこくこくと降り、シレアは口を押さえ、ルオはさほど表情に変化はなかったが面倒くさそうに頭を掻いた。ラルフィリエルには特に何のリアクションも見られない。
 そんな一同の様子に、とりあえずは満足したのか、エスティが小さく息を吐く。そして、深呼吸すると、コホンとひとつ咳払いをしてゆっくりと話を始めた。
「まず……だ。下はどうなった?」
 問いかけに、だがルオは相変わらず面倒そうな表情を浮かべたままで、シレアも口から手を離さなかった。喋るなというのを忠実に守っているのだろうか――そんな2人の様子に、仕方なくリューンが口を開く。
「ルオがさっき言ったとおり。合成獣(キメラ)は全て消えちゃった。騎士団の人たちが後始末してるよ。ヒューから伝言"後は任せられてあげてもいいよ貸しひとつね"。……まぁ彼ならうまく処理してくれるんじゃない」
「……ほんとかよ」
 どこか掴み所のない、茶髪の軽薄そうな騎士の顔を思い浮かべて、エスティは唸った。だが、アルフェスの命で動いているのなら、信頼に足る人物だと思って間違いないだろう。そこはかとない不安を押し殺して、ひとまずその問題はクリアということにする。
「じゃ、次の話だ。気付いてるだろうけど、キメラを消したのはイリュアだ」
「ハイ、リューンくん、シレアちゃん、オジさん。んで、ラルフィちゃん。お久しぶりー」
 自分に焦点をあてられたので、明るく笑いながらイリュアが軽く手を振る。いきなり姿を消しておきながら、まるで久しぶりに友達と会う、くらいの気軽さだ。
「イリュアが来たのは、これも解ってるだろうけど、今回のエインシェンティア絡みだ。あぁ、言い忘れてた。さっきのキメラもエインシェンティア絡みだから。さぁ、で、こっからはオレが質問だ」
 挨拶半ばのイリュアを遮り、それに関して皆が感じていそうな疑問にも手当たり次第早口で答えると、エスティはひとり勝手にぐいぐいと場の話を仕切って行く。口を挟まれることを拒否していることが明瞭なその強引さで話をそこまで向けると、険しい表情で彼はラルフィリエルを振り返った。
「なんで来た、ラルフィ」
 珍しく厳しい声を出したエスティに、ラルフィリエルが怯んだように少し身を引く。だがエスティは構わずたたみかけた。
「お前がこのままランドエバーに居られるように、オレ達が動いてるんだろ。だったらちゃんと仕事しろよ。騎士の道を選んだのはお前自身なんだろ?」
 エスティの声は固いままだったが、ラルフィリエルが怯んだのはほんの一瞬のことだった。黙したままだが、何か言いたげに見上げる瞳には、強い意志が窺える。黙っているのも、言葉を選んでいるように見えた。だが、それを待たずにエスティは今度はシレアの方を振り返る。
「シレア、お前もだ。ラルフィを頼むって言ってあった筈だろ? なんでついてきた」
 矛先を向けられて、口を閉じたままシレアが大きく目を見開く。だがさすがに抑えていた手を離して、きっとこちらを睨んで、言葉を吐き出す為に息を吸い――
「エスティ」
 だがラルフィリエルの静かな声がそれを遮る。
「シレア姉さんが何をしようと姉さんの自由だ。エスティも、例え兄さんでも、規制するのはおかしい」
 シレアの方を向くリューンの瞳が、エスティと同じやや非難めいたものであるのを敏感に見咎め、ラルフィリエルはリューンにもその矛先を向けた。
 ラルフィリエルにとってリューンは絶対の存在である。そのリューンに彼女が意見することなど初めてで、エスティはおろかリューン本人ですら、驚いたようにラルフィリエルの方を見た。つまるところ怒っているのだろう――、いつもと違う呼び方をしたことでも、それは充分に窺えた。
「シェラ」
「同じ様に、私が何をするのも私の自由だ。――私が歩むと決めた道の障害は、私が排除する。それもできなくて剣など振れないし、何かを護ることなどできない。アルフェス……陛下には、話して許可を取ってきた」
 諌めるように名を呼んだリューンの声にも動じず、きっぱりとラルフィリエルが告げる。
「陛下に話をする前に、姉さんには私に構わないで欲しいと伝えた。兄さん達と共に行きたいなら先に行っていて欲しいと。私も……行くつもりだったから」
 リューンを見上げてそれだけ言うと、ラルフィリエルは今度はエスティに向き直った。
 彼に伝えたいことはただ一言。

「私がどう動くかは私が決める。それではいけないか?」

 そう言った彼女は微かに笑ってすらいた。
 それはかつてエスティ自身が言い続けていた言葉で、解っていて彼女がその言葉を選んだと解ったから――
 ひき結んだ口は、知らず吹き出してしまう。
 突如笑い出したエスティを、ラルフィリエルもリューンも呆気に取られたように見ていたが、
「エスティ君の負けね」
 宣言したイリュアに、ようやくラルフィリエルは表情を緩めた。
 傍らで、苦笑したリューンは、だがエスティを見つめるその視界の端で、妹の穏やかな笑顔を見ていた――
 彼女は自分が思うよりずっと強かったのだと解ったから、リューンの心中は複雑だった。
 多分、今でもラルフィリエルの心には、恐怖と痛みは染み付いている。まだ、拒絶されることを恐れている。マインドソーサラーでなくとも、血を分けた妹のことだ、今なら容易く解る。
 だけど、恐れながらも彼女は踏み出した。
(ぼくにはどうしても踏み出せなかった一歩を……シェラは自分で踏み出したんだ)
 それは脆い道だろう。崩れたら、今のラルフィリエルではもう這い上がれないかもしれない。それは、危険な賭けだとも言えた。――だが、リューンに不安はなかった。その道を支えているのが、エスティだと言うのなら。

「そいでよ。大団円のとこ悪ぃが、俺は兄貴から嬢ちゃんを迎えにいくよう言われてるんだよな」
 困ったようなルオの声に、リューンは我に返った。
 シレアの方をうかがうと、先ほどルオが「迎えに来た」と言ったときとは打って変わって、いきいきと目を輝かせている。
「ごめん、おじさん! あたし、エス達についてく! ごめんって叔父様に言っておいて!」
 かみつくようにルオに叫んだかと思うと、今度はぐるりとエスティを振り返る。
「あたしがどうするかはあたしが決めるんだからっ!」
 鼻息荒くまくしたてたシレアに、エスティは溜め息をついて肩を竦める。
「ったく。オレの台詞、大流行かよ」
 自分の台詞だけに、人に言われてしまえばどうこう言えない。
 そんなエスティの様子に、してやったりとばかりに笑いかけると、シレアは最後にリューンを見上げた。
「ダメって言ってもついていくからね!」
 いつも通りの笑顔だが、聞きなれている筈のその言葉は久しぶりに聞くもので、リューンは目を細めた。呆れられるとばかり思っていたシレアには、予想外の兄の表情だった。
「……言わないよ。ぼくにシレアの行動を規制する権限なんてないしね」
「――お兄ちゃん、私は」
 口を挟んだのは、シレアではなくラルフィリエルである。どこか拗ねたような兄の口調に責任を感じたのだったが、その表情を見て口を噤んだ。リューンは怒っている訳でも拗ねている訳でもなかった。ただ、優しい笑みを浮かべていたから。
「別に、お前の行動を規制しようなんて思わない。だから、ただのぼくの意見というか、要望なんだけどさ」
 今度こそ、シレアはびくりとした。笑顔が凍って緊張が走った。
 だけどリューンの表情は、穏やかなまま――
「ぼくは、お前に一緒に来て欲しい。シレア」
「――え?」
 思いもよらない――むしろ、正反対の答えが返ってくるとばかり思っていたシレアは、呆けたように目を丸くした。
 意外そうな顔を見合わせるエスティとルオを尻目に、ラルフィリエルだけが静かに微笑んでいたのだった。