外伝3 暁に消える 10


 事態はめまぐるしく展開した。
 エスティに飛び掛ってきた獣は、銀の輝きから飛び出してきた人物の剣に阻まれ、他のキメラは金の輝きが模った人影に牽制されて動きを止めた。
 目を灼くかと思うような強烈な光が徐々に収まり、改めて眼前の光景を見る。
 ユーヴィルを包んだ靄は彼女自身と共に消えており、後には2人の女性と、キメラの大群だけがそこに残っていた。
「ッ、ラルフィリエル! ――イリュア!!」
 光が収まる前からなんとなく気付いてはいたが、にわかには信じがたく――、その姿をはっきりと確認してからエスティは2人の名前を呼んだ。
 その2人はというと、驚いたように目を丸くしながら互いの顔を見合わせていた。どうやら彼女らが同時にこの場に現れたのは単なる偶然であり、示し合わせて来たというわけではないようだと、その様子から窺えた。
 だが解ることなどそれくらいで、しかもそれは本当に知りたい事などとは全く関係ないことである。
 問いたいことがありすぎて絶句したエスティを、金の光から転じた金の髪の娘は、困ったような笑顔で見つめた。
「んー……言いたいこととか聞きたいこととかあるでしょうけど。まずはこの子たちをなんとかしましょうか」
「あんたはいつもそればっかだな」
 唸り声をあげるキメラを指差し気軽に言う金の髪の少女、いつかも聞いたようなその言葉にエスティが皮肉を言うと、珍しく彼女は苦笑した。
 イリュア・K・ルナー。
 聖戦の後姿を消した、聖域"エルダナ"に住む古代人の少女。不老不死の力を宿した彼女は、2年たってもひとつも変わらぬ姿のままだった。
 凛として背筋を伸ばし、銀のロッドを獣達へと差し向けた彼女の姿は神々しくすらある。その雰囲気に獣ですら呑まれているのか、以前低い唸り声をあげてはいるものの、イリュアに飛び掛ろうとする獣は1匹もいない。
 その様子に、イリュアは苦笑を消すと、何とも言えない哀し気な顔をした。
「――ごめんね。貴方達に私ができることは、力へと還すことだけだわ。……おやすみなさい」
 悲しい歌を歌うかのように言葉を紡ぎ、イリュアのロッドを持った手が空を滑るように動いた。そのロッドの先が何かの紋様を描くと、それは金色の放物線となり――
「……!」
 エスティが息を呑む一瞬の間に、あれほどいたキメラ達の全てが一瞬にして、金の炎の中に音もなく呑まれて消えた。
 あまりのあっけなさにエスティが呆けていると、下からもどよめきが聞こえた。きっと、下に残っていたキメラ達も消えて、それで騎士達が訝しんでいるのだろう。
 だがそれよりも、エスティはイリュアの哀しそうな表情の方がひっかかり、彼女へと視線を転じた。
「イリュア?」
「……久しぶりね、エスティくん」
 声をかけると、彼女はロッドを消してこちらに微笑みかけた。その笑顔もどこか寂しげに見えたのだが、その理由をどういう風に聞けばいいのかわかりかねて――別の言葉を口にする。
「あんたが出てくるなんて、珍しいじゃないか。勝手に消えて……隠居したんじゃないのか?」
「ババアみたいに言わないでよ。ま、ババアなんですけどね」
 彼女の年齢などエスティは知らないが、古代から生きているとなれば、千や二千では済まぬ歳の筈だ。それは婆というレベルを超えているような気がしたが、そんなことを言えば本気で怒られかねないのでやめる。
(ババアというか、歳食ってるわりに子供っぽいんだよなぁ)
 勿論その言葉も胸の中だけに秘めた。そんなことを考えているエスティを、直感で悪口を考えたと解るのか――じろりと睨みながらイリュアは言葉を続けた。
「私はあまり外界に関わりたくないの。っていうより、関わるべきではないのよ――この時代の人間ではないから。でも、黙って行っちゃってごめんなさい。急に私がいなくなって寂しかったから、エスティ君怒ってババアとか言うのよね?」
 言いながらイリュアはエスティへと歩み寄ると、背伸びして彼の顔を下から覗き込んだ。
「な、何でそうなるんだよ? だいたいババアってのは自分で言ったんだろうが! オレは言ってねぇぞ?」
 狼狽するエスティを見、イリュアは背伸びをやめるとくすくすっと笑った。
「変わらないわね。ううん、ちょっと男らしくなったかな?」
「〜〜〜、で、外界と関わりたくないあんたが、なんでわざわざリダから出てきたんだよ」
 何故か気恥ずかしくなって――どうにもこの少女には叶わないのだ――、エスティは目を背けて、ぶっきらぼうに言い放った。それが本気で怒っているのではないとイリュアには解っているが、彼女は笑うのをやめた。いや、相変わらず口元は、優しい笑みを結んでいたのだが、悲哀に満ちた瞳はとても笑みと呼べるものではなかった。
「……力の気配を感じたから。禍々しいものではないけど、悲しくて痛いくらいに強い力。――とても」
「あのユーヴィルって少女のエインシェンティアは、そんなにヤバイのか。お前が出てこなけりゃいけないくらい」
「うん……、」
 イリュアの言葉は肯定を指すものだったが、語調は違った。というより、断言ではなかった。どこか曖昧な返事で、曖昧な表情で宙を見つめる彼女は、言葉を慎重に選んでいるようだった。
「制御しきれない力が暴走している。遥か古代の愚かな力。捻じ曲がって現代に残ってしまった哀しい力よ。……エスティくん、エルダナの――リダの住人を覚えているかしら」
「あ、あぁ……覚えているけど? なんで、急に……」
 何故と口にしたものの、唐突にエスティは理解してしまった。そして同時に、気付かなければよかったと悔やんだ。でもその考えを払おうと頭を振る程に、キメラに向けられたイリュアの哀しい瞳が、悲痛な声が、リダの異形の住人達が、キメラのグロテスクな姿が――そして今もなお、虚空に悲哀の瞳を向けるイリュアの自虐的な横顔が――まざまざと蘇ってぐるぐると溶け合う。
「……力の制御を誤ると、飛散した力が哀れな生命体となる。その力に綻びがあれば、彼らは自我を持つこともなく、完全な人を憎んで食い荒らす。もっと力が弱まれば、力は行き場を無くして暴発する」
「……」
 どう言葉を返していいのか解らず、エスティはただ立ち尽くしていた。エインシェンティアの気配も、キメラの大群も消えうせて、がらんとなった屋上に、階段を登ってくる数種類の足音が、風の音に混じって微かに聞こえてくる。
「私には、エインシェンティアを消し去る力は無いから、暴発は止められない。でも、もしもエインシェンティアがキメラを生むことがあれば、それを保護もしくは排除することはできる――だから来たの」
 彼女が言い終えた丁度そのとき、バタンと屋上と階段を隔てる扉が開く。
「おーい、エスティ。なんかうようよしてた獣は全部消えちまったぞー?」
「――シェラ!?」
「イ、イリュアさん!?」
 ルオの呑気な声と、リューンとシレアの驚いたような声、その3種類の声を聞いて。
 静かに佇むラルフィリエルを視界の端に、エスティは事態のややこしさに頭を抱えた。