少し伸び始めた、だがまだまだ短いミルディンの髪を苦心しながら結い上げて、エレフォは浅い溜め息をつく。
「折角綺麗に伸びていたのに。やっぱり残念です」
「ごめんなさい、エレン」
小さく舌を出して詫びてみせるミルディンは、いつもと変わらない調子に見えた。
「……お嫌でしたら、はっきりそう言えば宜しいのですよ」
そう言ってやると、ふるふると小さく首を横に振ってみせる。
「先の一件で色々わかりました。強がってみても、わたしは王の器ではありません。軍事大国の頂点に立つのが年端もいかぬ小娘では、この国は成り立っていかないわ。前回のことばかりは、元老院にも合わせる顔がなかったもの」
「合わせる顔がないのは、親衛隊の方ですがね」
思わず苦笑したエレフォを見て、ミルディンがくすりと笑う。
「ラルフィリエルに聞いたわ。エレン、大変な騒ぎだったって。ダメよ、城を抜け出すのはわたしの専売特許なんだから」
先の女王誘拐事件を、誰よりも遺憾に思っていたのはもちろん、親衛隊の面々だ。
綿密に練られた計画に元老院も気付き、状況的にこのかどわかしを起こしたのはブレイズベルクしかないとすぐに推察できた。 激怒したエレフォが単身ブレイズベルクに乗り込もうとし、その暴挙を受けて、慌てて新親衛隊長であるラルフィリエルがかけつけたというわけだ。
その後、アルフェスがブレイズベルクの剣士、キリを打ち破り、ラルフィリエルの
キリの采配によって動いていたにも等しいブレイズベルクが陥落するのは、予想よりもずっと早く呆気ないものだった――ブレイズベルクに掌握されていた多くの国が解放されたが、その多くが自らの意志によってランドエバーの傘下に下り、再び軍事大国として、大陸を越え、ランドエバーがその名を馳せて一月。
「いい加減に王を」、と言うレゼクトラ卿に逆らえる理由は何一つとしてなかった。
「姫様に相応しい相手をお選び致しました。お会いになって頂けますかな?」
今朝唐突にそんなことを言い出されたのには多少驚いたが、了承してやる。
先延ばしにしてもどうしようもないことだったし、領土が拡大して益々勢力を増したこの国は、最早自分の手には余るとはっきり自覚もしていた。
「それよりも、お体は大丈夫ですか? エスティに聞いたのですけれども、例の魔封じの腕輪、エインシェンティアに相当するようなものだったとか。その後何か影響はないかと心配していましたよ」
「ああ……うん。最初はふらふらしたけど、もうすっかり大丈夫。エスティが居てくれて助かったわ」
今はもう、エスティの
「すごく半端な長さで、大変だったでしょ」
「慣れております。姫は戦の度に髪をお切りになられますので」
悪戯っぽく笑うエレフォに、てへ、とミルディンはまた小さく舌を出す。その仕草は、どこかから元気のようにも見えたが、そのことにはもう触れない。
コンコン、と扉が軽くノックされ、ほんの少しだけミルディンの表情に緊張が走る。だがすぐに破顔すると、
「好みじゃなかったら、嫌って言うわ」
そんな冗談とウインクをエレフォに投げかけ、扉に手をかけた。
その向こうには、長い亜麻色の髪と鮮やかなオーシャングリーンの瞳をした女騎士――ラルフィリエルが控えている。
「お時間です。お迎えにあがりました」
「ありがとう、ラルフィリエル」
退室していくミルディンを、エレフォが満ち足りた表情で見つめる。入れ違いに入ってきた老人は、そんな彼女の様子を目の当たりにして、なんとも言えない複雑な表情を見せた。
「全て思い通りという訳かな。我が娘よ」
「嫌味ですか。父上」
含みを持ったレゼクトラ卿の言葉を、だがサラリと笑って受け流す。
「これでエルフィーナもお前も満足なのだろう」
「嫌味でなく、ひがみでしたか。その年でひがみはみっともないですよ」
エレフォが返す言葉は辛辣だが棘はない。解っている為、レゼクトラ卿も声を荒げることはなかった。
「……父上もこれでご満足の筈ですよ。攫われた姫を救い、戦に勝利して凱旋した英雄が姫と結ばれる。これ以上の英雄譚はありません。長く歴史に刻まれますよ――民が沸く様子が目に浮かびます」
面白そうにエレフォは語る。
誰よりも何よりも保守的で頑固な父だからこそ、この自分が書き上げた英雄譚に何の文句もつけられないことは解っていた。それが、何よりも案じる国と姫の為最も良い道だと、誰もが認める筈だから。
「時間です、我々も参りましょう」
紅い軍服の襟を正して、剣を置いた戦神は、鋭さの消えた穏やかな笑みを讃えた。