――みんながそこで、微笑んでいた。
故郷の人たちが――、友達が、家族が。
大切なひとたちが皆。
小さいけれど平和だったふるさと。
「……わかってるよ。みんな幻……なんだよな」
深紅の瞳を伏せて、彼は寂しく笑った。
「大丈夫?」
うっすらと目を開けると、心配そうなリューンの顔が飛び込んできた。
「ごめん。ぼくの所為で、怪我を」
「……別にお前を助けたわけじゃない。謝られる言われはないさ」
出血のせいだろう、まだ頭がくらくらするが、無理に彼は起き上がった。手当てされた傷口に気付き、舌打ちする。
「……俺だって、別に死んでも良かったんだ。余計な事を……」
「ヤだよ。夢見が悪いじゃない」
子供のように言い返しながら、リューンは目の前に建つ神殿を見やった。
小さいが、立派な神殿だ。
白を基調とした、よく神話などの挿絵に出てくるような造り。
その細かい細工は、人の手によるものか魔法によるものなのかは定かではないが、誰の目にもその価値は明らかだ。
「……古代秘宝を祭って、守護者をつけて。現代人の手から護ろうとしたのかな?」
「まさか……。古代のお偉いさんが戯れにもつくったんだろ」
あっさりと否定する少年を振り返り、同調するようにリューンは苦笑した。
その彼の横を素通りして少年がずかずかと神殿の中へと入っていく。
「待ってよ。君は古代秘宝をどうするつもりなの?」
「古代秘宝とは」
リューンの問いにもこたえず、振り返りもせず、少年が声だけをこちらに投げかける。
「宝なんかじゃない。神の奇跡でもない。古代の力、即ちエインシェント・フォースだ。学者はエインシェンティアと呼ぶがな」
「……エインシェンティア」
彼の言ったその単語を反芻し、リューンもまた少年を追って神殿へと足を踏み入れる。
「オレ達現代人では扱えない代物さ。だが、長い年月によって制御力を失い、エインシェンティアの暴発が起こり始めている。力の暴発は恐るべき破壊力を生み、命を蝕みまた歴史に幕を引く。……オレがエインシェンティアを探しているのはそれを止める為だ」
「……エインシェンティアの、暴発……」
リューンが呻く。このとき2人の脳裏を似通った過去の悪夢がかすめたことは、だが互いにそれに気付く術などない。
「でも……そんな目的を持っているなら、どうして死んでもいいなんて?」
少年の瞳に宿る強い意志と、死んでも良かったと呟いた彼にギャップを感じ、リューンが率直に問う。だが、
「そんなのオレの勝手だろ」
その問いに、少年は不満を感じたようだった。やや怒気をはらんだ声で言葉を続ける。
「オレは、オレの意思で動きたいだけだ」
その声は微かな憤りと僅かな切なさを含んでリューンに届いた。
それと似たようなやるせなさを彼もまた知っている。
「……で、ということは君は、暴発を防ぐ手段を知っているっていうこと?」
少年は答えなかった。
背を向けたままの彼の表情は読み取れない。だが――
(……迷い?)
マインドソーサラーであるリューンには、少年の心が視えていた。
迷い、躊躇する心――
「何を迷っているの」
ただ一言のリューンの問いかけに、少年が初めてこちらを振り返る。
やや驚きの混じっていたその表情がだが―固まる。
その頃にはリューンも気付いた。
(殺気!!)
迫ってくるそれを、リューンが咄嗟に真正面から受け止める!
「……ッく!」
「ちッ、貴様まだ生きてたのか!!」
黒き獣は――古代の力により生み出された守護者は、がっちりとリューンの肩に歯をくいこませている。食いちぎろうとするその口を、辛うじて両手で止めるが力の差は歴然だ。
舌打ちして、少年が剣を抜いた――
「ぼくを、助けてる暇はないんだろ?! 君は君のするべきことを! 早く!」
少年が古代秘宝――エインシェンティアをどうするつもりかは知らない。
だが、ギブ・アンド・テイクの約束だ――
「うるさいッ! わかってる、畜生!」
抜きかけた剣を収める。
苦笑しながらリューンはスペルを紡いだ。
さっきは精神世界だったから精神魔法も通用したが、現実世界の今、守護者相手に精神魔法は意味を成さない。
魔成生物、などといっても所詮は任意のものを護るようプログラムされた傀儡にすぎないからだ。そこに意思など無いし、まして心などない。
『地を駆る透明なる者! その見えなき手で以って彼の者を宙なる檻へと誘わん!
精霊魔法は通常、自己の魔力で精霊との疎通を図り、印を切ることによって精霊を集め、スペルによって具現を成す。
だが両手が塞がっていて印が結べず、スペルのみで具現した呪縛の魔法は期待できる程の効果は成さなかった。それでも獣の力は先ほどよりは幾分弱まる。
これでしばらくは膠着状態が続くはずだ。
『我が御名において命ず!冥界の深奥に住まう冥府の主よ。我が魂を喰らいて出でよ!』
時間を稼げたことにとりあえずはほっとしていたリューンだったが、背後で聞こえた耳慣れないスペルにはっとなる。
(……禁呪)
具現を成すのに自らの生命力を削る魔法はそう呼ばれる。
だが、その禁呪にどのようなものがあるのかは知られていない。
自分の力に相応しない魔法を使うときは生命力が削られる、とは言うが――
『汝の力で以って、彼の力を、死兆の星の彼方へと還さん!
少年がスペルを完成させるまでに、さほど時間はかからなかった。
それも至極当然で、戦うべき相手はリューンにその牙をくいこませ、リューンがそれを止めている所為で、全く身動きが取れない。万一その膠着が解けたとしても、そのときはリューンが何らかの反応や合図を示す筈であるし、敵の侵進行を止めるくらいのことはするだろう。故に自分が敵を意識する必要はなく、全神経をスペルに集中することができた。これはスペルの完成を飛躍的に高める充分な要因になりえる。
だがもちろん、こんな行為は信頼の上でしか成り立たない――
少年は誰も信じてなどいなかった。
それでも、何故か、疑う気にならなかった。
今さっき出会った、この美貌の少年を――
ともあれ、スペルの具現と共に、黒い霧が少年を核に発生し、祭壇に祭られたエインシェンティアを包み込む。
まるで闇に溶けるようにそれが消えるのを見、驚愕するが、それで隙を作るようなヘマはしない。その瞬間に、渾身の力を込めてリューンはその牙から逃れた。
護るべきものが消えて、少なからず弱体化した守護者からそれを成すことは思ったより造作もない。
よろめきながらも守護の獣からリューンが間合いを取ったのを見て、少年もまた動いていた。
神殿の階段の上から跳躍し、空中で剣を抜き放って斬りかかる。反射的に、獣は身をよじってそれを避けたが、少年の方もそれで致命傷を負わせようなどという気は毛頭ない。
『
少年の斬撃の間に印を斬り終えたリューンが叫ぶと同時に、今度は確実に獣の動きが止まる。その好機を、もちろん少年は見逃さない。
『我が御名において命ず! 天高く逆巻く焔よ――灼き尽くせ!!』
放った力の反動で彼はもんどりうったが、それだけ魔法の勢いも強い。
巻き起こった紅蓮の炎は、逆巻き、守護の獣を飲み込んで尚、燃え盛った――。