3.

 シレアが白髪の少年、ライドリックと出会ったその翌日。
 雨は相変わらず城下町の往来を濡らしていたが、シレアもまた相変わらず、そのモノクロームの景色に赤い色を落としていた。そしてその赤い傘の下には、シレアと並んで白髪の少年が繋いだ手の先にいた。

「友達を、連れてきてもいい?」
 朝起きて、開口一番、シレアは言ったものだ。
 シレアが住むのは、西の大陸、ランドエバー王国城下町にある小さな家。そこで、彼女は3人の家族と共に暮らしていた。家族といっても、そのうちの1人としてシレアとは直接血の繋がりはない。だが、先の"聖戦"と呼ばれる大きな戦があったとき、共に旅をした、血の繋がり以上に濃い絆を持つ仲間たちだ。シレアはその仲間達と共に、小さな食堂を営んでいた。
「友達? 珍しいね」
 シレアの言葉を聞いて、真っ先に言葉を返したのは、亜麻色の髪の、綺麗な顔をした青年だった。隻眼だが、女性と見紛う程の美貌の持ち主である。
「うん。いいかな? リューンお兄ちゃん」
 少し不安気に上目遣いに見上げられて、リューンと呼ばれた美貌の青年は慌てて笑みを作った。
「それは……もちろん構わないけど」
「お前に友達なんかいたのか?」
 言葉を濁したリューンの代わりに、思い切り不審気な声をあげたのは、黒髪の青年だった。彼がシレアの2人目の家族である。そしてもう1人、この家には住人がいる。リューンの実妹であり、エスティの妻であるラルフィリエルだが、騎士として城仕えをしている彼女は、日中は仕事で家にはいない。
 ともあれ、エスティのその無遠慮な物言いに、シレアはとたんむっと眉根を寄せた。
「何よエス、その言い方。私だって友達くらいいるわよ」
「でもそんな話、今まで聞いたことなかったぜ。改めて友達というからには、ミラじゃねーんだろ?」
 明らかに気分を害した風であるシレアに全く怯むことなく、エスと呼ばれた青年はずけずけと言葉を連ねる。
 エス――本名はエスティという――彼はリューンの親友であり、リューンはシレアの義兄である。が、エスティとシレアも、兄弟のように仲が良い。それはケンカするほど仲が良い、という格言が表している。シレアとエスティの口喧嘩は日常茶飯事であり、暇さえあれば言い合いをしている。彼ら流のスキンシップなのだ。
「だから、ミラ以外にも友達くらいいるってば! 今まで話してなかったのは――その、友達になったのが昨日だからよ!」  声を荒げたシレアの頭を、椅子に座ったままでエスティは宥めるようにぽんぽん、と叩いた。本人は宥めるつもりでも実際には逆効果ということは、確実に解っていてやっているのであろう。
「昨日ってまた急だな。お前が勝手に友達と思ってるだけじゃないのか?」
「う……! そ、それはそうかもしれないけど!」
「ってオイ、認めるのかよ」
 シレアに手を払いのけられながら、エスティは呆れたように呻いた。その2人を諌めるように、リューンの穏やかな声が割って入る。
「まあまあ2人とも、それくらいにしときなよ。で、シレア、それはどういった友達なの?」
 リューンに声をかけられて、シレアはとりあえずエスティを睨むのをやめると彼へと視線を移した。いつになく神妙な顔をしたシレアに、エスティもシレアをからかうのをとりあえずは中断した。
「昨日、散歩してたとき、会ったの。雨の中、傘もささないで立ってたから、声をかけたんだけど。
 孤児院の子でね、――両親を目の前で殺されたショックで、喋れないし、感情もないみたい」
 シレアが、後半を少し言い淀んだ理由を、エスティもリューンも的確に察していた。一瞬の沈黙が食堂を包んだが、それも一瞬にすぎないことだった。エスティが表情から笑みを消したのも一瞬であり、すぐにいつもの調子で払いのけられた手を再びシレアの頭の上に戻すと、今度はぐしゃぐしゃと掻き回した。
「だったら早く連れてこいよ。旨い飯でも食ったら、誰だって元気になるもんだ」
「なによそれ。みんなエスティみたいに単純じゃないのよ?」
 憎まれ口をたたきながら、だがシレアはエスティの手を振り払わなかった。それが彼の優しさだと知っていたし、その優しさが彼女には心地良かった。
「早く連れておいで。準備して待ってるよ」
 そんなシレアを見て、リューンも穏やかに笑う。
「いいよ、ごはんはあたしが作る。じゃあ、行ってくるね!」
 2人に極上の笑みを返しながら、シレアは傘を掴んで飛び出していったのだった。

 食堂を切り盛りしているだけあって、シレアの料理の腕はまずまずである。とはいえ、長雨でろくに食料の調達もままならずに店を閉めている状態である今、用意できた食事は決して豪勢なものではなかった。だが心づくしのシレアの料理を、ライドリックは全て綺麗に平らげた。相変わらず喋ったり白髪の奥の瞳に感情を宿らせることはなかったが、別段エスティもリューンもそのことを気にする様子もなかったので、食堂の中の時間は穏やかに流れていた。
「喜んで貰えたのかなぁ」
 厨房へと入り、下げた食器を洗いながら、シレアはぼんやりと呟いていた。彼女に気がかりなことといえば、ライドリックが喋れないことよりも、専ら自分の行為をライドリックが迷惑がっていないかどうかということだった。
 感情が伺えない少年の感情を気がかりに思うことは、正直無為なことのような気もする反面、シレアには少年に全く意思がないとは思えずにもいた。ライドリックには未だ全く生気が感じられない。だが、手を引けば歩くし、食事もする。ライドリックを迎えに来た孤児院の男が言うように、死んでいるのと同じとは、シレアには思えないのである。感情はなくても、少年には生きる為の本能がある。それは即ち、生きることを放棄していない何よりの意思ではないのか。
 シレアは洗い物の手を止めると、ふと隣で片付けを手伝ってくれているリューンを見上げた。
「ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんの魔法で、ライドリックを喋れるようにはできない?」
 食堂にいるライドリックには聞こえないよう――どの道聞いていないのかもしれないが――、小声で尋ねてくるシレアに、リューンは思わず目を丸くした。
 シレアの言うリューンの魔法、それはリューンの持つ力のことである。この世界に存在する魔法は、主に精霊魔法と非精霊魔法に大別される。精霊魔法は、火、水、風、雷など、自然に存在する元素を操り具現する魔法であり、基礎さえ学べば誰にでも具現可能な模倣であるのに対し、非精霊魔法は非常に使い手の少ない、特殊能力に近い魔法である。リューンの力はそれに属する、精神方面に作用する力だ。
 真っ直ぐに見返してくるリューンのジェード・グリーンの瞳を受けて、シレアは伏目がちに言葉を続けた。
「お兄ちゃんが、あたしに感情をくれたように……、お兄ちゃんの魔法でライドリックもなんとかならないかな」
 相手の心理を読む力に長けているリューンに対して、言葉を濁したり虚勢を張ったりすることが無意味だと知っているからこそ、シレアは単刀直入に言う。
 シレアがライドリックに声をかけたのは、そして且つ、興味を持ったのは――、彼と似た人を知っていたから。そしてそれが他ならぬ自分自身であったから。
 シレアもまた、かつて肉親を目の前で失い、生きる意思ごと全てを失った。そしてそれを救ったのがリューンだった。記憶も感情も何もかも失って人形のようになってしまったシレアに、リューンは魔法で偽の記憶を与えたのだ。自分はシレアの兄であり、共に大陸を旅していると。それからシレアはみるみる元気を取り戻した。結局、とあることがきっかけでシレアは自分の記憶に疑いを抱き、リューンの魔法は解けてしまったのだが、それでも生きる意思を失ったりはしなかった。そして、今でもシレアは自分を救ってくれたリューンを実の兄と同じ様に慕っている。
 だからこそ、自分とおなじような境遇のライドリックを、シレアは放っておけなかった。シレアの話を聞いて、シレアの身の上を知るエスティとリューンも、すぐにシレアの気持ちに気付いた。
 だが、シレアの真摯な瞳に、リューンは静かに、ゆっくりと首を左右に振った。
「それは……無理だよ」
「どうして?」
 素朴な疑問のように聞き返してくるシレアに、リューンは微笑を浮かべた。
「無理というより、必要ないと思う」
 そして、彼はその笑みにほんの少しだけ切なさをまじえた。
「お前は……、全てを失っていたんだ。それこそ記憶も生きる意思も何もかも。だけど、あの子は違うと思うよ。少なくとも生きることを諦めてはいないし、喋ることをしていないだけで、記憶や感情がないとは言い切れない。いや……ぼくは彼には感情があると思うよ。ただそれを見せるだけの、心を開く相手が見つけられないでいるだけじゃないかな」
 シレアがはっとして、蒼い瞳を見開く。そして、視線を下に落とすと、皿を洗うのを再開した。だが、まるで集中できていないその動作は酷く緩慢なものであった。
「ぼくの魔法なんて、所詮は偽物に過ぎない。それに本来、人の記憶は改変されるべきものじゃない。そんな紛い物の魔法なんかより、シレアはもっとすごい力を持っている筈だよ。きっと、お前ならあの子の心を開いてやれるんじゃないか? 同じ境遇を持ちながら、笑顔を取り戻すことができたお前なら」
 シレアの動作に合わせて、自らも作業を再開しながら、遠くを見つめるような目つきでリューンが囁いた。