5.光と闇の邂逅

 広い謁見の間に人の気配はなく、がらんとして静まり返っている。
 そんな中に飛び込んできた騎士の目に映るものは、紅い絨毯と、その先の空の玉座。だが彼の視点は、その前に倒れている少女、ただ一点に注がれた。
「姫!!」
 叫びながら駆け寄り、顔色を失ってぐったりしているミルディンを抱き起こす。見る限り特に外傷はないようだったが、いくら呼んでもそのセルリアンブルーの瞳は開かれず、アルフェスの体を冷たいものが駆け巡った。
「姫……!!」
 揺り起こそうとすると、強い力で肩を掴まれ、止められる。顔を上げると、険しい顔をしたエレフォの姿があった。狼狽しきっているアルフェスを他所に、エレフォは冷静にミルディンの首筋に手を当てる。弱々しい、だが確かな命の脈動をその手に感じたときは、さすがにエレフォもその鋼鉄の表情に、ほっとしたものを浮かべるのを禁じ得なかった。
 それを見て、アルフェスもようやく安堵の息を吐く。戦場で潜ったどんな修羅場よりも、今この瞬間の方がどんなにか生きた心地がしなかったか知れない。
「――気を失っておられるだけのようだ。とにかくお部屋にお連れして――」
「何事だ、エレフォ。騒々しい」
 言葉半ばで入り口の方で聞こえた声と足音に、エレフォは渋面になった。
「……父上」
 彼女の言葉の指す人物――即ちレゼクトラ卿が姿を現す。彼もまた渋面であったのだが、横たわるミルディンの姿を見ると弾かれたようにその表情に驚愕を浮かべた。
「姫様……!!」
「お静かにお願いします父上。姫はご無事にあられます」
 叫びかけたレゼクトラ卿を、エレフォが静かに制する。有無を言わさぬその口調に、彼は即座に押し黙った。それでなくとも、彼は娘であるエレフォを溺愛しているのだ。だが、だからといってそれで大人しく窘められるような人物でもない。
「これはどういうことかね? レーシェル近衛隊長。貴殿は姫様の側近であろう、それでありながらこのような失態。これは職務怠慢ではないのかね」
 当然のようにアルフェスへと責めの矛先を向ける。
「“ランドエバーの守護神”などと持て囃され、浮かれているからこのようなことに――」
「その辺にしときなよ。レゼクトラ卿」
 辛辣な言葉を次々と投げかけるレゼクトラ卿に、たまりかねてエレフォが口を開きかける。だが実際に彼の言葉を遮ったのは聞き覚えのない声で、声とともに現れた人物もまた見覚えのない者であった。
「レガシス様!」
 レゼクトラ卿が呼ぶその名には、だがアルフェスもエレフォも聞き覚えがあった。思わずアルフェスが顔を上げると、深い闇色の瞳と視線がぶつかる。

「ハジメマシテ。親衛隊のエレフォと近衛のアルフェス、だよね? ボクはレガシス。レガシス・G・ウォーハイド。ミルディン王女の婚約者にして、この国の次の王だよ」

 にこりと笑うその表情や口調は穏やかだが、どこか人を見下したような感があり、何よりその闇の威圧にエレフォは胸が悪くなるのを禁じえなかった。
「……父上、この者はランドエバーの者ではないのでは? 一体どのような血筋のお方ですか」
 ランドエバーの民は金髪碧眼を主とする。だがミルディンの婚約者というこの人物は、黒い髪と黒い目をしていた。保守的な元老院が容易するなら、生粋のランドエバー人の筈だ。それを踏まえてエレフォが言うと、今度は逆にレゼクトラ卿が彼女を強くたしなめた。
「口を慎まんか、エレフォ。この方はれっきとしたランドエバー王家の血を引くお方だ!」
「!?」
 彼の全く意外な、そして有り得ない言葉に――アルフェスとエレフォが言葉を失い、彼らを見やる。それもそのはず、ランドエバー王家がミルディンを残して絶えたのは周知の事実だ。

「馬鹿な……!! そんな筈は」
「今お父上が口を慎めって言った筈だよ?」
 叫ぶエレフォに近づいて、レガシスが微笑みかける。
「ボクはれっきとした王家の一族。ミルディン王女の親戚だよ」
 断言しながら、彼はエレフォの隣にしゃがみこむとミルディンへと視線を移した。
「精神系の魔法をかけられたようだね。少し休めば気がつくんじゃないかな」
 相変わらずの笑みを浮かべた黒の青年を、エレフォは鮮やかなライラックの瞳で鋭く睨みつけた。だが青年に動じる様子が無いのを見て取ると、アルフェスの手からミルディンの体を抱き取って立ち上がる。
「……とにかく私は姫をお部屋にお連れする」
 予断を許さぬ口調で言うなり彼女は歩き出し、アルフェスもまた立ち上がった。そして卿へと視線を移し、口を開く。
「レゼクトラ卿。仰るとおりこれは私の失態です――だが二度はない」
 尚も何か言いたげなレゼクトラ卿が二の句を告げる前に鋭く言い放つと、エレフォの後を追うためにアルフェスは踵を返した。BR> 「そんなに気負うことはないよ、守護神」
 最後にレガシスが立ち上がり、その背に声をかける。

「これからはボクがミラを護るから」

 一瞬アルフェスは足を止めた。だが振り向かない――
 退室していく彼を見ながら、小さくレガシスは囁いた。

「欲しくなったんだ。この国も、そしてその姫もね」