6.抜けない剣

「……何か用か」
 ミルディンを抱きながら早足に歩いていくエレフォに追いつくと、彼女はつっけんどんにそう言ってきた。
「用も何も。姫を護るのが僕の仕事だ」
 当たり前のようにアルフェスがそう返すと、エレフォは歩く速度を緩めないまま深い溜め息をついた。
「はっきり言って邪魔だ」
 歯に衣着せぬ彼女の言葉に、だが退く訳にはいかない。アルフェスもまた、彼女を追うのをやめなかった。それに気付いて、エレフォが初めて立ち止まる。そして、ミルディンを片手で抱えたまま、彼女は――
 目にも止まらぬ速さで剣を抜き、その切っ先をアルフェスの喉元へと突きつけた。
「……!」
 完全に不意を突かれた行動に、だが咄嗟にアルフェスの手も腰の剣へと伸びていた。だが、抜剣は途中半端に終わっている。
「今のお前では使い物にならない」
 エレフォの言葉は、レゼクトラ卿の悪態などより遥かに深く胸を抉った。剣を収めて再び歩き出した彼女を、今度は追うことができなかった。
 ただ立ち尽くしながら、アルフェスはぼんやりとリダでのルオとの会話を思い出していた。


「あんたは姫さんのことをどう思ってるんだ?」
 ルオにそんなことを聞かれたのは、リダを出る少し前。彼はスティンに、そして自分はランドエバーに帰る支度をするために、一旦部屋に戻ったときのことだった。不意を突かれた質問に、アルフェスは一瞬言葉に詰まった。
「……どういう意味だ?」
「兄ちゃんにとってミラっていう人物は、どういう存在なんだって聞いてるんだよ」
 問い直してきたルオを、アルフェスは思わずまじまじと見つめた。ふざけているのかと思ったが、彼の表情はいたって真面目だった――生きるか死ぬかの瀬戸際でも豪快に笑っているこの男にしては珍しいことだ。
「主君。それ以上でも以下でもない」
 視線を外して淡々と言う。これ以上この話題を続けたくないという意思を言外に含んだつもりだったが、ルオは喋ることを止めなかった。
「そうか? 俺にはそうは見えないんだがな」
「何が言いたいんだ」
 苛立ちを隠さず、アルフェスが鋭いアイスグリーンの瞳で彼を睨みつけたその瞬間。
 全く唐突な殺気を感じ、アルフェスは反射的に剣を抜いた。剣がぶつかる音が、重く部屋に響き渡る。ルオが、恐ろしい早業で剣を抜いて斬りかかってきたのだった。
「兄ちゃんが俺の部下なら、誉めてやるよ。たいした反射神経だ、とでもな。だが一国の騎士隊長としてはお話にならねぇ」
 およそ今まで耳にしたこともないルオの冷たい声が響く。それはまるで死神の宣告のようだった。ぎり、と物凄い力に押されて、アルフェスの剣を支える両手が小刻みに震える。対して笑みすら浮かべるルオは、あまつさえ片手で大剣を繰っていた。
 決してアルフェスは非力ではないが、それでもルオとは体格が違う。恵まれた体躯を惜しみなく覆う筋肉、鍛え抜かれたその身体を見れば、どんな戦士とて力の膠着は避けるだろう。それでも彼が力技だけの戦士ならば、この場を切り抜けることぐらいアルフェスにとっては容易だ。しかし不敵に笑うこの男には一部の隙もなく、思いつく限りの全ての次の手は封じられた。
 成す術の無いアルフェスを見下ろすと、ルオは笑みを消した。
「英雄と謳われた“ランドエバーの守護神”とも思えねぇな」
 吐き捨てたルオからアルフェスは目を逸らした。ルオの剣に伝わる彼の力が弱まり、ルオが表情を険しくする。
「僕は……守護神などではない……!」
 呻いた彼を、ルオは力尽くで弾き飛ばした。その豪腕の容赦ない力に、アルフェスがもんどりうつ。
「甘えたこと言ってんじゃねぇよ」
 吹っ飛ばされた若い騎士に歩み寄ると、ルオはその目線に合わせてしゃがみこんだ。
「俺は忠告してるんだ、兄ちゃん。そんなハンパな剣を振るうなら騎士なんかやめちまえ。この旅も金輪際やめちまえ。ミラのことなら俺が護ってやるよ。どの道そんな剣じゃ誰も護れやしねぇぜ」
 もうルオの声から冷たさは消えていたが、紡ぐ言葉に容赦はない。
「自分でもわかってるだろ。こないだのセルティとの海上戦……ありゃねぇぜ。そんなんで、この先兄ちゃんは自分が護りたいものを護れるか? ……それとももう護る気がねぇのか?」
 アルフェスは立ち上がることも答えることもしなかった。もともと短気なルオが業を煮やすに時間はかからない。彼は剣をおさめると、大きく息を吐いた。
「……姫さんのこと、好きなんだろ」
 お節介だと解ってはいても、ルオは口に出さずにいられなかった。
 彼が気付いてないなら、気付こうとしていないなら――それでもいいと、いやその方がいいとすら思っていた。  彼の剣が、だんだん死へと急ぐそれへ変わっているのを見るまでは。
「なら認めちまえよ。じゃなきゃいずれ剣は振れなくなるぜ」
「……どの道」
 黙ったままだったアルフェスが、ようやく口を開く。握った剣に視線を落としながら、無感慨に。
「この気持ちを認めてしまえば、僕は――騎士ではいられなくなる」
 彼女の騎士になることを決めたときから――全ての想いは忠誠へと変えた。そうして彼女の傍で彼女を護り続けてきたのだ。ようやく築き上げた、気持ちを押し殺した当たり前の日常。だがこの旅で、それはあまりにも脆く崩れ去ってしまった――

 いつもよりもずっと近くで、彼女が微笑み、涙し、会話を交わす、その度に。

「王族の貴殿にはわからない」
 苦笑するアルフェスに、ルオもまた苦い笑みを浮かべると立ち上がった。
「……そうだな。でもお互い様だぜ。王族だっていうだけで受け入れられねぇ気持ちは、兄ちゃんには解らねぇ」
 はっとした顔で彼を見上げたアルフェスに背を向けると、ルオはどこか遠くを見るような目つきをした。
 ルオが、アルフェスにこんな話をしたもうひとつの理由――
 それは“聖域”で“彼女”の幻を見せられたこと。

 身分を理由に背を向けられては、成す術など何もない。流れる血を変えることなどできないのだから。

「伝統も血筋も格式もクソくらえだ。俺はそーゆーの、苛々すんだよ。だから俺は今でもたったひとつのちっぽけな理由の為に剣を振るうぜ」


 あのときそう言い残して退室していったルオを、言葉もなく見送ったあのときの気持ちが蘇る。  エレフォなら初めから気づいていただろう――自分の迷いなど。
「……情けない……な」
 抜けなかった剣を収めて嘆息する。だが、だからと言ってただ立ち止まっている訳にはいかない。
 急すぎる結婚話。襲われた王女。王家の血を継ぐという漆黒の青年――

「さて、何から探るか――」
 呟くと、アルフェスは瞳を細めて踵を返した。