時は、エスティとラルフィリエルが“真実”を見る前まで遡る――
彼らを待つ間、国に帰ることを決めたランドエバーの王女ミルディンと、彼女の側近である騎士アルフェスは、イリュアのテレポート・スペルによって、束の間の祖国への帰還を果たしていた。

1.ランドエバーの騎士達

 交差した2本の剣の間に鎮座するドラゴン。
 軍事王国ランドエバーの国旗を模したレリーフがあしらわれた重厚な扉の先は、真っ直ぐ続く赤絨毯。その先の王座、そこに収まる者――即ち己が主君に、騎士は跪くと恭しく頭を垂れる。
「ランドエバー聖近衛騎士総隊長、アルフェス・レーシェル。只今スティンの視察より帰還致しました」
 仰々しく述べられた言葉に、瞳の奥に苦笑を押し隠して――王座に座るにはあまりにも幼いと言える姫君もまた、事務的に応える。
「ご苦労様でした、レーシェル近衛総隊長。経過を報告して下さい」
 微笑む彼女の瞳には、だが凛とした厳しさがある。ランドエバー王家にして唯一の王位継承者の鎧に身を包んだ彼女に、隣で笑っていた少女の面影はどこにもない。


「お前は馬鹿なのか」
 当たり障りのない報告を終えて騎士の宿舎に戻ったアルフェスを、辛辣な言葉が出迎える。机にもたれながら、アルフェスは苦笑した。
 居心地が良い、とまでは言わないが、幼い頃から今までの大部分をここで過していたためにひどく落ち着く。アルフェスにとっては宿舎が我が家のようなものであった。
 その椅子の座り心地も机の感触もよく慣れ親しんだものならば、そんな辛辣な声もまた、慣れたものだと言える。
 波のようにうねる長い金髪を結い上げた、紅い軍服の女騎士。それが声の主だ――彼女は目があっても表情をぴくりとも動かさなかった。
「例のスティンの一件で、進展しない現状に業を煮やして元老院はわざわざ目障りなお前に使者を依頼したんだ。それなのにお前が戻ってこなくてどうする」
 静まり返った宿舎に、彼女の他に騎士の姿はない。城下町の警護を始め、レアノルトやスティンへ派遣されるなどして大部分が出払っているのだろう。
 彼女の淡々とした冷たい物言いに、アルフェスは再び苦笑した。この女騎士が表情を緩めるのはミルディンの前くらいのものだ――それはわかっているので仏頂面は今更気にならないのだが、彼女の言うことはもっともだったために素直に彼は詫びた。
「ああ、済まなかった、エレン」
 彼が詫びても、エレン――親衛隊長エレフォ・レゼクトラは眉ひとつ動かさない。そんな彼女の厳しい表情を、だが気にしていないのはアルフェスだけではなかった。
「まあ、元はと言えばさー。エレンやオレが姫を止められなかったのが悪いんだけどね」
 宿舎の戸口にもたれかかって、茶髪の騎士がどこか間延びした声を上げる。だがエレフォが振り返って泣く子も黙るような形相で睨み付けたので、彼は思わず首をすくめた。
「ヒューバート」
「お久しぶりです、隊長」
 名を呼ばれると、近衛騎士副隊長ヒューバート・ヴァルフレイはアルフェスの方を見、にかっと笑みを見せた。つられてアルフェスも笑みを返すが、ふと思い立ってそれを消す。
「って、お前ここで何してるんだ? 城下町の警護は」
 アルフェスの問いに、椅子に腰を降ろしかけたヒューバートの動きが止まる。
「え、そりゃ、ほら。不在の隊長の代わりに城で公務を……」
「成る程。で、具体的に何をしてた」
 アルフェスがそう問うのも至極当然のことで、城でのアルフェスの立場と言えばミルディンの側近だ。当たり前だがミルディンに同行していたアルフェスが不在の間は、ミルディンもまた不在であった。代わりなどできる筈がない。
「元老院のお偉いさんの相手をね……」
「元老院嫌いのお前が?」
 追及する程に、ヒューバートの態度はしどろもどろになっていく。
「“面倒だから隊長の代理を名目に城で羽を伸ばしてる”」
 ふいに口を挟んだエレフォの台詞に――ヒューバートの顔色はまともに変わった。
「……と、言っているのを私は聞いたが」
「ほう」
 再びアルフェスはにこりと笑うとヒューバートへと視線を向けた。だが彼はあからさまに目を逸らす。
「と、言うことで。私は城下町の警備があるので失礼します」
 アルフェスが口を開く前に、脱兎のごとくヒューバートが宿舎を飛び出していく。それを呆れ顔で見ながら、アルフェスは頭を抱えると溜め息をついた。
「相変わらずだな……なんであれで副隊長だ」
「同感だが、腕は確かだからな。……それより」
 ふいにエレフォが真顔に戻り――いや最初から彼女は真顔だったか――、話を変える。
「知っているかアルフェス。姫がご結婚されるらしい」
「へえ、姫が……」
 ただの世間話のように切り出されたそんな話題に。
 彼もまたごく普通に相槌を打ち、エレフォが少し不審な表情をして、さらに少しの間が空いた後。

 ガタン!!

 派手な音を立ててアルフェスの座っていた椅子が転倒した。
「……は?」
 我ながら間の抜けた声をあげてしまった、と自覚したころエレフォからの追い討ちがかかる。
「反応が遅い。やっぱりお前は馬鹿なのか」
 無表情のままに、女騎士は嘆きを口にした。