2.王女の結婚

「……は?」
 我ながら間の抜けた声をあげてしまった、と思う。だがそれも無理はないと思うほど、唐突な話ではあった。
「結婚……ですか?」
 いまひとつリアリティのない言葉をおうむ返しに反芻すると、最初にその言葉を告げた恰幅の良い初老の男性は頷きを返してくれる。
「それはまた……急な話ですね。レゼクトラ卿」
 何とか動揺を押し殺すと、努めて冷静にミルディンは言葉を紡いだ。そんな彼女をレゼクトラ卿と呼ばれたその人物は、薄ら笑いを浮かべながら見つめる。
 彼は親衛隊長エレフォ・レゼクトラの父に当たり、また同時に元老院でも最も強い権力を持つ。即ち彼の言葉は元老院での決定事項と言えた。
「急でもありますまい。亡き王妃は16歳でご成婚されました――」
「それはわかっていますが、何も今のような戦火の真っ只中に」
 強い調子でレゼクトラ卿の言葉を遮ったミルディンの、だがその言葉を彼が鼻で笑ってそれもまた半ばで途切れる。
「戦火の只中である今だからこそです。戦は民に不安をもたらします。それを収めるのが王。王が亡くなられた今、新たな王が必要だということは姫もお解かりのことでしょう」
「……」
 態度に気に障るものはあっても、卿の言うことはあまりにも道理だった。
「何も姫が自ら敵地に行かれる必要はないのです。ご自分の立場と義務をいい加減にご理解なさいませ」
 何も言い返せることはなかった。そして全てがミルディン自身もわかりきっている事。先延ばしにしたところで自分が王女である限り、必ずその日は来るのである。国の為に生き、そして死ぬのが王家に生まれた定めで、それに逆らうつもりはない。
 だからこそ、これ以上何も聞きたくないのに、彼のいっそ耳障りな声は止むことを知らない。
「それとも姫は、何か王をお迎えになられたくない理由でもおありかな?」
 何か含んだ言い方に、そこで初めてミルディンは言葉を返した。眉を吊り上げ、こちらも含んだ言い方で返してやる。
「どういう意味かしら?」
「お戻りになられる時期が近衛のレーシェルとぴったり同じでしたな」
 卿の言葉はあくまでまわりくどいが、言わんとしていることは嫌という程伝わってくる。
 少々うんざりした表情を僅か顔に滲ませながら、だがミルディンの対応も冷静を保ったものだった。
「わたくしの身を護る為に、彼にはスティンで同道を命じましたが。それが何かおかしいかしら?」
「いえ。しかしながら、この誉れ高きランドエバー王家の血を引きながら、姫が一兵卒ごときにうつつを抜かすことなど万に一度もあってはならぬと思い……」
「口を慎みなさい。レゼクトラ卿」
 厳しい瞳と毅然とした口調が、彼の言葉を完全に封じた。
「今このランドエバーが在るのは、レーシェル近衛隊長を始めとした騎士達が命を賭して戦ってくれた お蔭です。その恩を忘れ彼らを侮辱するような言を労するなど、恥ずべきこと」
 ぴしゃりと言い切り、静かな怒りを讃えるセルリアンブルーの瞳から、さすがにレゼクトラ卿も視線をそらさずにはいられなかった。それでも、
「……お優しいことですな」
 彼の口から出るのは賛辞に関わらず嫌味としか思えないものだ。卿が目を逸らしたのも一瞬で、再びこちらを見るその表情はにやりといやらしい笑みをたたえている。
「それならば姫。その騎士達の為にも王をお迎えなさいませ。そして姫の大事にされる騎士達を安心させてやってはいかがですかな?」
 今度はミルディンが言葉に詰まる番だった。全ては自分を結婚へと仕向ける為の挑発だったのだと気付くが、もう遅い。
 だが、最初から切り抜ける道などなかったのだと、それにももう気付いている。
「相手はもう決まっております。早速お会いなさるが宜しいでしょう」
 あっさり言うその言葉も、最初から彼女に選択権などないと、そうほのめかしていた。ミルディンが何の返事も返さないうちに、脇に控える親衛隊員にレゼクトラ卿が声をかける。
「エレフォを呼んで参れ。姫の支度を手伝うよう言いつけるのだ。――公式の場だ、レーシェル近衛隊長にもこのことを伝え同席するよう言っておけ」

 ズキン。

 胸の奥の方が確かに疼くのを感じた。だが、それを悟ってはいけない。
 こんな想いなどあってはいけないものだ。

 レゼクトラ卿にしても、アルフェスを公式の席に同席させることは、彼を嫌っている卿のことだから本意ではないだろう。だが、彼は先代の王よりミルディンの側近を務めるよう直々に勅令を受けている王家直属の騎士だ。外しては他の面々が不自然に思うだろう。
 先刻の卿の勘ぐりも単なる挑発にすぎなかっただろうから、だから彼は気付いていない。

 それこそが、彼女の心の奥の些細な願望に、絶望をもたらすということを――。