16.破滅への序曲

「で、結局あんたは何者なんだよ」
 椅子にふんぞり返りながら半眼でエスティが問いかける。
 彼らは既に石室を出て、リダの応接室に戻っていた。リューンは珍しそうにあたりをきょろきょろしており、ラルフィはその傍らにぴったりと寄り添っている。
「折角リューンくんが戻ってきたのに、不機嫌そうねぇ。あっ、ラルフィちゃんを取られちゃって寂しいんだ?」
 噛み付きそうな目で睨むエスティをイリュアが茶化し、「そうなの?」全く聞いていなかった様でちゃっかり聞いていたリューンが面白そうにエスティの顔を覗き込んだ。だが二人ともエスティに思い切り睨みつけられ、そそくさと目を逸らす。
「はぐらかすなイリュア。いい加減わかるように答えてくれ。お前は何者だ? 何を企んでる」
「企んでるとは人聞きが悪いわね」
 溜め息をついて、彼女は笑みを消すと、ようやく真剣な表情をした。
「私は、古代から世界を見守り続ける“時”のエインシェンティアを継ぐ者。私がデリート・システムを使えないのは強力すぎるこのエインシェンティアを宿している為。そして、私が望むことは世界の救済。それだけよ」
「デリート・システムを作ったのはあんたなのか?」
「私だけじゃないけど、おおよそそうよ。このデリート・システムと救済への筋書きは、私をはじめ生き残った古代の力を持つもの全てで作った。ガルヴァリエルから世界を護るために」
 あくまで真剣なイリュアの金色の目を、エスティの真紅の瞳が睨みつける。
「ふざけんな。何が救済への筋道だ。人を救った者を裏切り、そしてそれを過ちとわかっていながらあんたたちはまたもラルフィリエルを消そうっていうのか?」
「それで世界が救われるというなら」
 凄まれてもイリュアは怯まなかった。迷わず答えた彼女から目を背ける。
「そんなのが救済って言えるのかよ……」
「そうね。私はまた過ちを繰り返そうとしていたのかもしれないわね。だけど……他に方法がわからなかったの」
 イリュアの瞳に哀しみが宿る。その目でイリュアはラルフィリエルに視線を移した。
「ごめんなさいね、ラルフィちゃん……。恨んでもいいわ。私はあなたを犠牲にしようとした。それは事実よ」
 金色の瞳に見つめられてラルフィリエルが俯く。
「……私にあなたを恨むことなんかできない。私も世界を選んでもっと多くの人をこの手にかけた」
 自嘲する彼女にリューンもやるせなさを隠せず、エステイは唇を噛み締めた。そしてイリュアもまた彼女から目を逸らさなかった。
「ううん。あなたにそうさせたのは私だわ。あなたが背負った犠牲は私が負うべきものよ。私は神を封じた者たちを止められなかったし、ガルヴァリエルを止められなかった……」
「もうやめようよ」
 自嘲するイリュアを、リューンの声が止める。深い緑の瞳は少し哀しみを灯していたが、絶望も迷いもない。強い意志がそこにあった。
「誰が悪いか、そんなことを突き止めてもどうしようもないよ。それに、例えガルヴァリエルが悪くないとしても彼を放っておくわけにいかないでしょ」
 エスティが少し驚いたようにリューンを見る。以前までの彼とは確かに変わった。
「――リューンの言うとおりだ」
 エスティが彼の言葉を肯定すると、イリュアもまた肯いた。
「そうね……」
 肯くが、イリュアの表情は暗い。
 無情なようだが、ガルヴァリエルを止めるのには、半身であるラルフィリエルを消すしかないのだ。ガルヴァリエルは彼女が消滅を望んでいることを知らない。知らないでラルフィリエルをここに置くことを許している今は、彼女を消し彼の力を削ぐ絶好の好機だ。
 だが肝心のエスティにその意志がない。
 デリート・システムはエインシェンティアを消滅させるもの。力を封じられてエインシェンティアになり、シェオリオを“(よりしろ)”として存在するラルフィリエルならともかく、いくらエスティがデリート・システムを使いこなしたとしてもガルヴァリエルには通用しないし、いくら力の全てを取り戻しているわけでないといっても神である彼を殺すことなどできるのだろうか。
 かといって今更説得が通じるとも思えない。
 天秤にかければ簡単なことだ。エスティが世界のために、彼女を消せば良い。だけど彼は選ばない。しかし彼は世界も見捨てない。それは愚かにも思えた。だけど、彼が選ぶ道こそが救済への道ではないかと、そうも思えた。
 彼を選んだのは自分だ。ならば彼に賭けるしかない――
 不安を押し殺すと無理に笑みを作って、イリュアは立ち上がった。
「とにかく、みんなと合流しましょうか」
 エスティ達が石室に入って、既に一週間が過ぎようとしている。エインシェンティアの中で、時間の勾留を受けなかった彼らはともかく、その間ガルヴァリエルの乱入によって困難になった制御をし続けていたイリュアの憔悴は激しかったが、悠長に構えている余裕もなかった。
「じゃあ、まずランドエバーへ……」
 ロッドをかざし、そういったイリュアだったが――  その瞬間、パァンと澄んだ音を立てて、彼女のロッドは粉々に砕け散った。
「……!!」
「イリュア?」
 蒼白になった彼女と砕けたロッドを見、不安げな声をあげるエスティに、イリュアは震える声を上げた。
「……この力。もしかしてランドエバーは……ガルヴァリエルの手に……?」
 その言葉に今度はエスティの血の気が引く。
「イリュアさま!」
 張りつめた空気を割ったのは、同質の張りつめた声だった。それと共に部屋に飛び込んで来た者を見て、はじめてリダの民を見るリューンがぎょっとする。――犬の頭と鳥の翼を持つ少年、イルだ。
「イル? どうしたの」
 ただごとではないイルの様子を見てイリュアが問いかける。
「イリュアさまに代わって、イリュアさまの不在の間、仰せの通りに外の世界を見ていましたが……」
「何かあったの?」
 緊張した面持ちになったのはイリュアだけではない。切迫した雰囲気に包まれながら、イルは深く頷いた。

「ランドエバーを筆頭に、スティンや他のファラステルの列強が……揃ってセルティに宣戦布告しました。戦が、はじまります。それも、今までにない規模の」

 決着をつけようか、人間。
 
 エスティの脳裏に、ガルヴァリエルの言葉が蘇る――。