14.蹂躙と復讐

「神だと……?」
 強張った笑みを浮かべたエスティの頬に、一筋汗が伝った。
「そんなものが」
 居てたまるか――叫びかけたエスティの言葉ごと、全てが闇に飲み込まれる。

「神だ!!」

 今度は今までとは逆に、闇の中、声だけが聞こえる。

「あの枯れた大地に神がいる。力が在る……!!」

 闇をスクリーンにして、豪奢な衣服を身に着けた者たちの姿がそこに一瞬浮かび上がった。

「あの力を得られれば……」

「あの力が我々のものになれば……」

「あの力を自由に行使できるなら……」

 囁きがさざめいて波紋のように広がる。

「理解したか? これがアルティメット・エインシェンティアだ」
 もう驚かない。エスティはゆっくりと振り返った。闇なのにそこにくっきりと浮かび上がる、黒衣の女性。その瞳には深い哀しみがあった。
「私は救いたかった。私に縋る人々を、この力で――救いたかっただけ。けど人は私を陥れて力を奪った」
 闇の中佇む“彼女”とエスティ、その間に銀色の閃光が迸り、人の形を作る。
「ラルフィリエル!!」
 今度こそエスティは叫んだ。短いシルバーブロンドと黒の軍服、瞳を閉じた少女は、力無くその場に崩れ落ちた。
「笑うか? 自らが生み出したものに力奪われた私を。だけど私は人を信じたかった。その思いが私の力を落とし、人を狂気に走らせるのなら私は神などではない……」
 抱きとめたラルフィリエルに黒衣の女性、女神ラルフィリエルが触れる。
「この娘の中にあるエインシェンティアは私自身だ」
 言うなり彼女の姿は掻き消えた。それと同時に闇は晴れて、エスティは再びラルフィリエルを抱えたまま上空にいた。だがその足元にあるのは先ほどの栄えた都市ではない。それが崩壊してゆく姿だった。
 旅の中に見てきた暴発のそれと同じ様に、吐き気を催す。引き裂かれてゆく世界。成す術なく巻き込まれる人間。ひとつの時代が幕切れ――

「人にとって不幸だったのは、神が一人ではなかったということだ」

 慣れることのない威圧と全身が発する警告に、身体が震える。その声は忘れることのできない畏怖を連れてくる。
「ガルヴァリエル」
 ラルフィリエルを抱えた手に力をこめて、エスティがその名を呟くと、滅びてゆく地上を背に、黒衣の青年が立っていた。そのひどく整った口元を歪めて、彼は嘲笑する。
「これが真実。救いを求めた人間を救って、彼女は囚われた。だがその手に負えぬ力に人は自滅し、ラルフィリエルの力の破片は私の手に残った。そして私は半身を失って力を失くし、眠りにつきながら待ったのだ。復讐のときを」
 黒い外套を翻して近寄ってくる彼に、エスティが少しずつ後退する。だがじりじりとその距離は近づいた。
「それでも生き残った人間は、拡散したラルフィの力を元に滅びの魔法を作った。今なお人間はラルフィリエルの力を畏れて滅ぼそうとしている。その為に選ばれたのが貴様だ。エスティ・フィスト」
 ガルヴァリエルが足を止める。
「面白い余興ではないか? 貴様が力をつけ、ラルフィを滅ぼして今度こそ私を倒すのが先か、それとも私がラルフィを取り戻して貴様らを滅ぼすのが先か。ラルフィリエルが完全に覚醒すれば、私の神としての力は完全に蘇る。我らは踊らされているに過ぎぬ。未だあの醜い古代人共に。あの金の目をした娘に」
 不快そうに、ガルヴァリエルは秀麗な顔を歪めた。だがすぐに、その表情は狂気を含んだ笑みへと変わる。
「だが私はそれを承知で踊っているのだ。それでも構わぬ……ラルフィがこの手に返って来るなら、我が復讐果たせる日まで、この茶番を続けようではないか!」
「ラルフィリエルの為だと言うのか……?」
「そうだ」
 エスティを一瞥して、ガルヴァリエルは即答した。
「人間は私からラルフィを奪った。触れてはならぬものに触れた。汚してはならぬものを汚した。私は、私が生み出した者に奪われたのだ――では私も奪う。それだけだ」
「……」
 唇を噛み締める。
 そこにある感情をエスティはよく知っている。
 大切なものを奪われた哀しみと憤り。
 誰を憎めばいいの、そう呟いたミルディンの言葉が脳裏を掠める。
「ラルフィリエルを返してもらおう」
 静かなる要求に、エスティはラルフィリエルを抱いたまま後退さった。
「……渡せない」
 呻く。渡せない。彼女が彼にとってどんなに大事なものでも、どうしても渡せない。
 今の自分の気持ちと、同じだと解っても。
「渡せない。こいつはラルフィリエルじゃない、シェオリオだ」
「ラルフィリエルだ」
 エスティの言葉を否定し、ガルヴァリエルは近づいてくる。エスティは腰に携えた長剣に手をかけた。大切なものを護りたいだけなのに、人は争い合う。神もそうだというならば、そこに救済などあるのだろうか。
 戦う以外の答えが見つからないのだ――神でさえ。
 剣を抜いたエスティを見て、ガルヴァリエルは嘲笑した。
「そんなもので何をする気だ? ここはラルフィリエルの記憶で創られた精神世界。物理的攻撃など意味を持たぬ。まして精霊などここにはいない」
 銀髪を翻し、刹那の間にガルヴァリエルはエスティとの距離をつめた。そしてエスティの長剣を掴んで自らの胸に突き立てて見せる。だがエスティの手にはなんの手ごたえもなければそこから血が流れることもなかった。
 眼前で、ガルヴァリエルがおぞましい笑みを浮かべる。

「救済などない」

 顔の前でかざされた彼の手に力が集まってゆく。その力の根源など知らないが、それはが死の引金となって自分を貫くことは必至だ。 死を覚悟しながらも、エスティは強くラルフィリエルを抱きしめた。
「さらばだ」
 死の告知が彼へと降り注いで、その力がエスティへと真っ直ぐに伸びた、その瞬間。

『“精神破砕(ソウルクラッシュ)”!!』

「な、何ィッ!?」
 エスティに降り注いだのは死ではなく、初めて耳にするガルヴァリエルの動揺の叫びだった。
 無意識に閉じていた目を恐る恐る開いてみると、白い光がガルヴァリエルの黒い光ごと、ガルヴァリエルまでも弾き飛ばす。
「普段なら、ぼくの魔法が貴様に作用することはない。だけど精神世界では話は別だ。ここには精神体しか存在しない。どれだけ強固な心を持っていてもここでは無意味」
 その視界の中で、見覚えのある亜麻色と、深い碧のコントラストが揺らめいた。

「エスは殺させないよ。そしてシェラも、渡さない!!」