6.聖域の番人達

 金色の光が収まって視界が拓け、エスティはようやく極度の緊張から解き放たれた。
「アルフェス!!」
 強張った表情は笑みに変わり、名を呼ぶと彼も振り返って微笑んだ。
「心配かけてすまない」
 短く詫びると、腕の中の少女が震えた。泣いているのだと気付いて、アルフェスは視線をそちらに落とした。
「大丈夫ですか、姫」
 不安げな声に、ミルディンは大丈夫と言おうとしたがうまく言葉にならなかった。だが涙が出るのは苦痛の所為ではない。それを伝えたくて、せめてミルディンは微笑んでみせた。事実咳はおさまったし、顔色も戻っており、軽傷で済んだようである。それがわかって、アルフェスはほっと安堵の息を吐いた。だが、「再会を喜ぶには早いぜ」、ルオの厳しい声にはっとする。
 ルオが剣を構えてガルヴァリエルが跳ね飛ばされた方を向くのを見て、エスティ、アルフェスもまた、警戒しながらそちらを向いた。だが視界に飛び込んできたのは、誰にとっても意外な光景だった。
 皇帝の前に、毅然と立ちはだかる少女が一人。サイドだけ長く伸ばした純金の髪に、同じ金色の瞳。肩が剥き出しの白いワンピースを纏う少女は、これ以上ないというほどの軽装だった。年の頃はエスティと同じくらいか、少し上。
「久しぶりね? ガルヴァリエル。まさか封印が解かれたからと言って、貴方がここに立ち入るのを易々と許すと思って?」
 手にした銀色のロッドを彼に向けて勢いよく喋り出した少女はからは、表情こそ微笑んでいるが凄まじいほどの闘志が感じられる。その姿は一見無謀に見えたが、立ち上がったガルヴァリエルの表情は苦かった。
「まだ生きていたのか。イリュア」
「こっちのセリフよ。それで、どうするの? あなたが不利とは思わないけど、有利でもないでしょう」
 後ろの面々を視線で指して、言い放つ。ガルヴァリエルが苦い顔をしたのは一瞬のことで、そんな少女を彼は鼻で笑った。
「ふん、まあいい。ここは退いてやろう。――また会おう、デリート・システムを受け継ぐ者よ。充分に知識と力をつけるが良い」
 その不敵な笑みと笑いと共に、銀色の風が皇帝の姿を攫う。エスティが駆け寄ったときには既に、彼は転移していた。強大な威圧が跡形もなく消え失せ、エスティはほっと息をついた。そして改めて先ほど現れた少女と騎士の方を見る。
「アルフェス。無事だったんだな――良かった」
「ありがとう。まあ、死にかけたんだけど……あんなことで死んだら情けなくて死に切れなかったよ。尤も彼女がいなければそうなっていただろうけどね」
 無事を祝うエスティに、彼は照れたように笑うと、金色の輝きを纏う少女を指差した。それに気付いて彼女が手を振る。
「はーい、エスティくん。オヒサ〜」
 彼女が口にした挨拶に、面々は驚いてエスティの方を見た。面識があるのかという無言の問いに、だがエスティ自身もまた驚いていた。
「何でオレのことを?」
 どこかで会ったかと記憶を探れど、なかなか目の前の少女とは結びつかない。そんなエスティを彼女は苛々した様子で見ながらぷうっと頬を膨らませた。
「もうっ、忘れちゃったの? ホラ、レアノルトの市場で……」
「あっ、あのときの似非占い師!?」
 少女の言葉でようやくピンと来る。確かスティンへ行く前、リューンやシレアが言っていたよく当たるという占いの娘だ。
「エセって何よ、失礼ね! 私は正真正銘の占い巫女、イリュアよ。イリュア・K・ルナー」
「ああ、確かそんな名だったな――あんたがアルフェスを助けてくれたのか」
 自分の失言をさらっと流したエスティに、だがイリュアはとりあえず怒りはしなかった。思い出して貰えただけで満足なのか、にこにこと笑って肯く。
「あの、ありがとうございます。何てお礼を言ったらいいか」
 アルフェスに支えられながらもようやく立てるようになったミルディンが、イリュアに対して深く頭を下げる。
「ううん、助けたと言っても私は彼をここまでつれてきただけだから。王女さまに頭下げられるとなんか緊張しちゃうな〜」
 照れたように頭を掻く彼女に、だがミルディンは不思議そうな顔をした。心境としては、先ほどのエスティと同じだ。
「えっと……イリュアさん? どこかでお会いしましたでしょうか」
「直接会ったことはないわね」
 言いつつ、くるりとロッドを手の中で回す。するとそれはフッと掻き消えた。
「でも、わたしのことをご存知みたいですね」
「うん、知ってるわ。あなただけじゃなくて、皆のことも。エスティくん、ラルフィちゃん、アルフェスくん」
 それぞれの名を呼ぶごとに、その名の主に視線を落としてゆく。
「もちろん、おじさんのコトも、ね」
 暇そうなルオの顔を覗き込んで、彼女はにこっと笑った。だが、その笑いはすぐに曖昧に消える。
「それから、シレアちゃんと、……リューンくんのことも」
 その言葉に、アルフェスは先ほどから抱えていた疑問をエスティに投げかけた。
「あのさ、エスティ。……どうしてカオスロードがここに? それから……リューンは?」
 イリュアとアルフェスが口にしたその名に、エスティの顔から穏やかな笑みは消えた。“あのこと”を口に出来るほどにはまだ傷は癒えていないし、その事実すら受け入れられてはいない。そんな彼に代わって口を開いたのはラルフィリエルだった。
「彼は……」
 その思いつめた表情を見、エスティは彼女の言葉を遮ろうとした。だが僅か遅く――
「彼は、私が殺した――」
「違う!!!」
 誰もが思わず驚いて彼を見た程強い口調で――咎めるようにエスティが叫ぶ。珍しく動揺を浮かべたアルフェスに、エスティは懇願した。
「落ち着いたらオレから話す。だから、頼む……今は何も」
「リューンは死んだのか」
 だが彼は思わず口にしてしまっていた。どうしても聞かずにはいられなかった――いや、逆かもしれない。一番確認したくなかったことかもしれない。おそらく、後者だろう。そう気付いた時には既に彼は答えを知ってしまっていた。
 ゆっくりと肯いたエスティによって。
「……そうか」
 僅かに後悔しながら頷く。
 彼は明らかにショックを受けたようだったが、それ以上はリューンのこともラルフィリエルのことも、何も聞いてはこなかった。 ほっとした思いを禁じえないまま、軽くラルフィリエルの肩を叩き、エスティは話題を変えた。そして、さすがに神妙な顔をするイリュアへと向き直る。
「なあ、あんたは何者なんだ? そして、ここには何があるんだ? あんたは知っているのか?」
「私は」
 畳み掛けるように幾つもの質問を投げかけたエスティに、イリュアは少しの間迷っていたが言葉を選ぶようにして語り出した。
「私は、……聖域の番人、みたいなものかな。そしてその子も」
 ミルディンを指差す。すると

「パポーーーーーーーーッ」

 そんなどこか間の抜けた鳴き声共に、ミルディンのすぐ側で金色の光が弾けた。
「きゃっ」
 思わずミルディンが小さく声をあげる。急に自分の空間が勝手に空けられる。自ら具現を成して、“それ”はミルディンの肩にちょんと乗っかった。
「……なんだ、これ」
 それは猫の顔に羽が生えたような珍獣だった。それをつまみあげ、エスティは、だがそれが持つ力の波動によってその正体を知る。
「げっ、これこの聖域をシールドしてたヤツか??」
「そうだよん」
 エスティに首根っこ(?)を掴まれパポパポと騒いでいるその珍獣をとりあげ、イリュア。
「この子は“ケイパポウ”って言う神獣なの。……数年前からガルヴァリエルに魔力を削られ続けて、ラルフィちゃんの魔力を吸ってもこんな姿にしかなれなかったのね」
「パポ」
 イリュアの手の平に乗った、その小さな淡い黄色をした毛玉は、一声鳴くとミルディンの方へパタパタと飛んで戻っていく。
「貴女をマスターと認めたみたいよ」
 頭の上に止まったそれを見て、ミルディンが微笑む。「可愛い」、神獣などとはとても思えないその愛らしさに場は和むが、エスティはそうはいかなかった。
「答えになってないぜ、イリュア。なんでオレ達のことを知ってるんだ? 番人だって? ……わかるように説明してくれ」
 納得いかない、という顔をするエスティに、イリュアがくすっと笑う。そして彼女は彼にスッと顔を寄せると、囁いた。
「知りたいのはそれだけじゃないでしょう?」
 その声に、エスティはどきり、と心臓が跳ね上がるのを感じた。
(なんだ、この感じ――)
 はっとして顔をあげると、彼女の体を金色の光が包み込んでいる。
「ついていらっしゃいな」
 少女はそう言うと完全に金色の光と化し、そして光の尾を引きながらはるか向こうへと消えていった。