7.リダ 〜忘れ去られた民〜

 ――汝、邪なるものか?

 金色を追う自分の足が、次第に速くなるのを感じる。
 心がざわつく。
 頭の奥が疼く。

 ――汝、力求めるものか――?

 頭の中でぐるぐると回る声に、エスティは気がつくと駆け出していた。  誰かの声が呼び止めた気がしたが、頭に響き続ける声が、それを掻き消してしまった。

「エス――」
 その声が届いていないことを知り、ラルフィリエルは追おうとした足を止めた。
「なんなんだあ?」
 突然表情を変えて走って行ったエスティの背を見て、訳がわからないと言う風にルオが頭を掻く。エスティの姿は、金色の光と共に既に小さくなっており、ケイパポウを頭に載せたままのミルディンも不安げに彼が去った方を見つめた。その場に残された四人は戸惑ったように顔を見合わせたが、ここで立ちつくしていてもらちが明かない。
「とにかく、エスティを追おうか」
 アルフェスの言葉に残りの面子も頷き、四人が歩きはじめたとき。
 急に――全く急に。幾つもの気配を感じてまたも彼らは立ち止まることとなった。気配の主は、すぐに姿を見せたが、ミルディンは驚きに息を呑み、ラルフィリエル、アルフェス、ルオは警戒して身構えた。現れた者は、必ずしも敵かどうかはわからない。それでも警戒したのは、彼らが異形の姿をしていたからだった。
 その中から歩み出てきたものもまた人とは思えない者で、二本の足でこそ立っているが、頭は犬のような被毛に覆われ耳がぴんと生えている。背中にはにょきりと鳥の翼が生えたその異形のものは、ぎょろりと目を紅く光らせながら言葉を発した。
「イリュアさまから窺っております。ようこそ、西の大陸の方」
 意外な言葉に、戸惑う四を見、その者は口をわずかに開けて牙を覗かせた――笑ったらしい。
「そのように脅えずとも、我らは人間ですよ。ご安心下さい。僕はイリュアさまから皆様のお世話をするよういいつかりました、イルと申します」
「では何故……そのようなお姿に?」
 彼の言葉に、遠慮がちにミルディンが口を開く。問われて彼――イルは、ミルディンの目線に合わせて屈み、答えた。
「古代人は禁忌を犯しすぎたのですよ。魔力を万能とし、力で以って力を生んだ。幻獣をつくり、キメラをつくり、そしてそれがエインシェンティアとなった。様々なエネルギーを濫用し、力を融合させたそのリスクとリバウンドが時とともに現れたのです。それだけのこと」
 嘘偽りのない優しさを讃えた瞳に、ラルフィリエル達も警戒をとく。
「でも大変じゃねえか? そんな体」
 何と言って良いかわからずにいるミルディンをおしのけて、ルオがずけずけと言う。良くも悪くも悪気の無い男であるが、犬の頭と両翼を持った彼は気を悪くした風ではなかった。
「生まれつきこうですから、不便なことはないですよ。僕はまだ比較的人に近い方ですしね。さ、それより客室にご案内しましょう」
「客室だって? この辺りには何も見えねえ……」
 イルの言葉に、怪訝な声でルオが疑問の声を上げる。だがそれは途中で切れた。
 見たこともない草木がはびこるリルステルの風景が一瞬歪み、陽炎のようにゆらゆらとゆらめく――
「……えっ?」
 ミルディンが思わずそんな声をあげる。目眩がしたと思ったら、周囲の景色が一変していた。既に頭上に空はなく、足元に大地はない。
 見たこともない材質でできた、見たこともない作りの建物の内壁がそこにあり、無数の異形の者があちこちを徘徊している。

「ようこそ、聖域"エルダナ"へ。ここはリダ。忘れられた民のすむ場所――」


 走るエスティの足元から、頭上から、唐突に景色が変貌していく。膨大な魔道の流れを感じて目眩がするが、それでもエスティは走った。金色が通り過ぎると共に異形の者は道を明けるので、彼もまた徘徊する彼らに邪魔されることなく光を追い続けることができた。
(なんだ、これは――これが、古代に最も近い血と力を持つものだと?)
 カンカン、と耳に障る足音を立てながら階段をいくつも駆け上がり、どこをどう走ったのかは覚えていない。だが彼はやがて、大きな扉に突き当たった。金色の光がその中に消えるのを見て、息をつく。手をかける前に、すっと音も無く扉は開いた。
 ゆっくりと中へと足を踏み入れる。
 光など届かぬ殺風景な暗い部屋。そこに金色はよく映える。

「ようこそ、リダへ。貴方が来るのを待っていました、エスティ・フィスト」

 金色の瞳と髪の少女が厳かに告げる。それだけで、さっきまでの彼女とは印象がまるで違った。そして、それで確信する。
「……お前」
 歩み寄る。
 馬の顔をしたものや蝙蝠(こうもり)のような羽が生えたもののかしづく中をずかずかと歩き過ぎ、イリュアと距離を縮めていく。
 穏やかに微笑む彼女に、絞り出すような声でエスティは問いかけた。
「あのとき遺跡にいたヤツだな……!?」
 それは問いだが確信だった。そして、少女の悲しげな笑みがそれを肯定する。
 囁いた彼女の声は、幼き日遺跡で聞いた、冷たくも美しい女性の声とピタリと重なった。

 ――消去せよ。

 そう囁いた彼女の声と。