4.救う力

 ラティンステル大陸――いまや隅から隅まで帝国領となった、セルティの本拠地である。
 エインシェンティアを消去する為に動いてきたエスティは、世界各地を巡って列強の魔の手からエインシェンティアを護り、そして消してきた。
 だが、その生活もセルティ皇帝ガルヴァリエルが参戦してからは終わることを余儀なくされた。戦乱がセルティの独壇場となった為である。その軍事力は、かのランドエバーを凌ぐとも思われた。とても一人で対抗できるものではない。何よりも、帝国の危険さをエスティの第六感は告げていた。
 大陸が掌握され、いよいよ危険になったラティンステルを脱出してからは、リルステル大陸でインシェンティアの捜索と消去を続ていた。セルティにエインシェンティアがあることは明白だったが、それでも、立ち向かう力を持たない以上、迂闊には近づけなかったのだ。
 たとえそこに、探し求めているものがあるとしても。今にして思えば、それはきっとリューンも同じだったのだろう。

 だが今となっては――その場所こそが、行き着くべき先なのだ。

 捜していたものが、そこにあることを知っている。力が告げてくる。

 エスティは、伏せていた目を開いた。
「……皆。オレと一緒に来てくれるか」
 そして問いかける。誰も信じなかったのも、一人で旅をしていたことも、何も裏切られるのが怖かったのではない。巻き込むことが嫌だったのだ――しかし、それは決して優しさなどではない。自分が、理不尽に巻き込まれた存在であるから。そのように自分の運命を決定したモノに、嫌悪感すら持っていたから。同じことはしたくなかった。ただそれだけだが。
(……同じなのかな)
 一人で行くことが無謀だということは解っていた。そんなにも自分の力を過信はできない。誰も巻き込まない強さなど持っていない。
「――ぼくは、行くよ」
 真っ先にリューンが口を開く。
「別にエスの為にじゃなく、ぼくは行かなくちゃならないから。だけど、どっちにしても。……例え、君に頼まれたから行くのだとしても。どっちにしても、君と行くのはぼくの意志だよ。君がそうであるようにね」
 真っ直ぐに目を覗き込んでくるリューンを、エスティは、はっとして見つめ返した。視線が合い、リューンがにっこりと笑う。それを受けて、エスティも、僅かに口の端を上げた。
(……オレらしくもねぇな)
 今まで考えていたごちゃごちゃを、全てまとめて思考の外へと掃き捨てる。運命も使命も関係ない。
(オレは誰かの意志で動いているんじゃない。例え、選択の余地がなかったとしても。オレが動くのはオレの意志でしかないんだ――)
 きっと、ここに居る皆も。
 巻き込んだなどと考えるのは、思い上がりというものだろう。
「――行こう、セルティへ。一緒に」
 エスティの言葉に、リューンが――、アルフェスが、ミラが、そしてルオが。微笑んで、一様に頷いた。彼らが何を思い、帝国領にまで行くのかはわからないが、その頷きだけで一緒に行く理由には足るものだった。しかしただ一人、頷きを返せなかった者は、複雑な表情をして佇んでいた。
「あたし。……あたし一人だけ、残っちゃうけど」
 悲痛な声を出すシレアに、エスティがいつになく優しい声で話しかける。
「そんなこと、気にするなよ。ここで王を助けるって、自分で決めたんだろ?」
「でも……ッ」
 堪えていた想いが一気に押し寄せ、シレアは引き攣った声を上げた。笑顔で見送ると決めていたのだが、急な出立が心を狂わせたのだった。
「でも……! 本当は、あたし、皆と一緒に行きたいよッ!! でもあたしには何の力もない! だから何の役にも立たないんだもの……!!」
 足手まといであることは最初から解っていた。わかっていて、それでも一緒に行きたいと我儘を言い続けた。だけど、ずっとコンプレックスは付きまとい続けた。リューンやミルディンのように備わっている力などないし、アルフェスやルオ、いやそれどころかエスティ程にも剣を扱えない。“(よりしろ)”でもないし、エインシェンティアを制御などできる筈もない。せめて精霊魔法を学んで、なるべく多くの精霊魔法を扱い、魔法のバリエーションを増やそうと励んだが、それにだって限度があった。
 力を持つ者に嫉妬した。
 リューンと共に戦えるエスティに。或いは、エスティの大きな目的の力になれるリューンに。そんな二人の関係そのものにかもしれない。シレアはずっと、その二人の傍で彼らに嫉妬し続けていた。
 だけど、そんなことは億尾にも出さなかった。自分のそんな嫌なところを見せたくはなかったし、そうやってただネガティブになっていても何も変わらないことを知っていたから。
 だから、無理矢理付いて来た。
 だから、アミルフィルドに残ってくれないかと言われたときには激しく心が揺らいだ。
 必要とされる場所があって、そこには自分に何かしらできることがある。だが、彼らと一緒にセルティに行っても、多分自分ができることは何もないだろう。自分の身を護ることすらできるかどうかわからない――足手まといになるだけだ。それならば、自分のできることをしなければ。それが考え抜いた末にシレアが出した結論だった。
 ――頭では納得しているのに。
「シレア」
 自分の名を呼ぶその声に、思わずシレアは肩を震わせた。
「力があっても……誰も護れないし、救えない。でも……ぼくはシレアに救われた」
 顔を上げるとリューンが微笑んだ。今まで見たことがないほど、優しくて、儚くて、哀しい笑みだった。
「リューン……お兄ちゃん?」
「ぼくを救ってくれたのは、シレアだ」
 もう一度、リューンは繰り返した。
 もちろん、彼女だけでなく、シェオリオやエスティがいたからこそ、今こうしてここに自分がいるのだと思う。だが、その中でもリューンにとって、シレアの存在は大きかった。あの時彼女を助けなければ、エスティに出会い、共に戦うなどできなかっただろうし、 シェオリオを見つけ出すこともできずに自分の命を絶ってしまっていたかもしれないと思う。
 改めて、目の前の小さな少女を見つめる。
 その存在は、抱きしめたい程愛おしい――“妹”だ。
「……行こう、エス」
 だから、リューンはそのまま踵を返した。その意味を、シレアは正確に受け取っていた。だけど、もう涙は流れなかった。
「気をつけてね。お兄ちゃん」
 その背に呟く。応えてもらえなくても、もう良かった。
(必ず、追いかけよう)
 そう心に決めて、シレアは涙を拭いた。そしてためらいがちにリューンを追いながらもこちらを気にするエスティに、大丈夫、と言う様に微笑む。
 去っていく彼らを見、ルオもまた剣を担ぎ直し、後を追おうとしたが、ふとシレアを振り返った。
「……何も、悩むことはないぜ、嬢ちゃん。嬢ちゃんだから救うことができた人もいるんじゃねぇかな。少なくとも、俺や兄上は――」
 そこで言葉を止めると、ルオは照れたように頭を掻き――そして足早に彼らを追った。
「ありがと、おじさん」
 その背に言うと、ルオは振り向かないまま片手をひらひらと振った。
「……アルフェス、ごめんなさい、先に行っててくれる?」
 ふいに、残されたミルディンがアルフェスに言葉をかける。アルフェスは頷くと、シレアを見た。
「僕も君に感謝してるんだ、シレア。君と会ってから、姫は明るくなられた。姫を孤独から救い、笑顔を与えてくれた。僕が剣を振っているだけではできなかったことを、君は簡単にやってのけた。それこそ、君の何よりも大切な力だと思うよ」
「アルフェス」
 驚いたようにルフェスを振り返ったのは、シレアだけでなくミルディンもだった。だがそれらに対し、アルフェスは一礼しただけで、エスティ達の去った方向へと歩き出していく。
「……ミラ。アルフェスさんは、ちゃんとミラのこと見てるんだねぇ」
 落ち込んでいた筈なのに、何故か自分のことのようにそれが嬉しくて、シレアは自然と笑顔になった。そんな彼女と例え一時でも別れることが酷く寂しく感じられて、ミルディンの方は素直に笑みが出なかったが。
「そうね。わたし、戦が始まってから……笑うことも忘れてたのかもしれない。……シレアはとても強いわ。シレアがいるから、皆笑顔を忘れずにいられるんだもの。そんな力、そうそう誰も持ってない。だから、元気出して……ね?」
「ありがと。でも、あたしが今笑っていられるのは、ミラがいてくれたからなんだよ……?」
 励ましてくれているのだと解って、ミルディンが微笑む。
「……ありがとう。なんだか、わたし、逆に励まされちゃったみたい」
「持ちつ持たれつ。あたし達、親友でしょ?」
 ふふっ、と二人は笑い合った。
 ようやく、いつものシレアに戻ったようだった。