17.漆黒の夜、彼は彼を殺せと告げる

 何もかも話してしまったことで楽になる気持ちと、言葉にしてしまったことでつのる罪悪感と。そんな両極の、ふたつの気持ちがリューンを支配していた。
 相変わらず気持ちは安定しないままだが、人通りの激しい往来を眺めて目を伏せると、様々な人々の“心”の波動が脳裏に流れ込んでくる。右目の変わりにてにいれた力。それはいつもより鮮明に、尚はっきりと、心を視てくれる。
(……強化、されたのか。ぼくのマインドソーサルの力が)
 その事実は彼にとっては複雑な結果だった。
「よぉ、リューン」
 豪快な声に捉えられ、リューンは目を開けると思考を閉ざした。そしていつもの微笑みを浮かべる。
「捜したぜ。お前に礼を言っとこうと思ってな」
 ルオがどかどかと走り寄り、隣で城壁に寄りかる。反対に寄りかかっていたリューンは体を起こし、怪訝な表情で彼を見た。
「礼? ぼくに……?」
「おう」
 人なつこく笑う彼の瞳から、リューンは笑みを消すと目を逸らした。
「……悪い冗談だ。君は、ぼくが誰なのか知っているんだろう」
 ルオに自分の素性をまだ明かしてはいない。だが、するまでもない。リューンは最初から、彼を知っていた。だから、ルオも自分を知っている筈だ。案の定、ルオはとくに何のリアクションもなくあっさりと答えてきた。まるでリューンがその話題を出すのを待っていたと言わんばかりに。
「――ああ、知ってるぜ。だから、言っただろう? あの時……レグラスでお前と一緒に戦ったとき。“久しぶりだな、リュカルド”ってな。思い切り無視されたが」
「応える勇気なんかなかったよ、あの時は」
 リューンが自嘲的な笑みを漏らす。
「忘れたかったからね。自分が“漆黒の悪魔”だってこと。過去から逃げたかったから。だけど……エスやシレアに黙っててくれて、ありがとう。お蔭で自分の口から話すことができた」
「お互い様だぜ」
 地面を見つめながら、ルオもリューンと似たような笑みを浮かべた。
「俺も“ルオフォンデルス”から逃げていた。だが、お前はそれを誰にも言わなかった。だから俺も言わなかった――それだけさ。礼を言うなら他にいるだろ?」
 ルオのその言葉と、彼の視線の先に通りかかった人物に、リューンの表情に驚きの色が宿る。
「……アルフェス?」
 彼は偶然通りかかっただけらしく、呼ばれて不思議そうにこちらを振り向く。
「……? どうかした?」
 アルフェスに問われ、リューンはしばし迷ったが、やがて思い切ったように口を開いた。
「君も……知っていたのか? ぼくが……セルティの」
 問いかけの言葉はまだ最後まで言う強さを持てなかったが、それだけで事足りたようで。ふいに和やかだったアルフェスの表情が真剣になる。
「君は僕を覚えていないのか? リューン……いや、リュカルド。僕は一度剣を交えた相手は忘れない」
「スティンには、偵察にいったことがある。でも……ランドエバーには」
「その時、僕もいたんだよ」
 予期せぬ言葉に、リューンがはっと顔を上げる。
「あのとき近衛隊員だった僕は、スティンに赴いていた王の護衛をしていたんだ。帰りが遅くなって、王はこのスティン王城にお泊りになっていた。その夜に騒ぎがあって、僕は異変に気付いた他のスティン兵と共に駆けつけたんだ。その時競り合ってたのが――」
「俺とお前だった、てわけだ」
 腕を組みながら、ルオがアルフェスの言葉を継ぐ。
「そう……だったのか。あの時駆けつけたスティン兵の中に、君が……」
 妙な因果関係に嘆息する。
「あの時戦ってたのはルオ殿だったのか」
「……お前、まさか俺のこと言わなかったんじゃなくて本気で忘れてたのかよ」
 今更のように言ったアルフェスに、ルオが呆れた声を出す。が、
「貴殿とは剣を交えてないからな」
 屁理屈の様な言葉で流された。
 そんな二人のやりとりを聞くともなしに聞きながら――リューンがかすれた声を上げる。
「馬鹿だよ……二人共。ぼくがセルティ兵だったって知りながら、なんでそんな風にぼくと接していられるんだ……?」
 誰一人として自分を罵らない現状に、リューンは苛立ちすら感じはじめていた。いっそ人殺しと責められた方がどれだけ楽だったかわからない。
「……同じさ」
 彼の言葉を受けて、アルフェスが呟く。
「僕の二つ名も、屍の上に成り立っている。その意味では“漆黒の悪魔”と変わらないさ――いた国が違うだけ。戦に綺麗も汚いもないし正義も悪もないだろう。戦自体が汚く、悪そのものなのだから」
 彼の言葉に、同感だ、とでも言うようにルオが肩をすくめる。
「ま、そーゆー事さ。ぐだぐだ悩むくらいなら、お前もちょっとは世の中が良くなるように前向きに頑張ってみた方がいいぜ?」
「……貴殿はちょっと強引に前を向きすぎだ」
「兄ちゃんもちょっと考えすぎだな。あんまり真面目だとハゲるぜ」
「歳を考えればハゲるのは貴殿が先だと思うがな」
 子供のような二人の言い合いに、リューンは思わず吹き出した。例の件では和解したと聞いたが、それでも折り合いが悪いのか、しょっちゅう刺々しい言い合いをしているのを聞く。が、その中身を聞いてみると、もしかしたら仲がいいのかもしれない、とも思う。
(前向きに……か)
 確かにそこはルオを見習うべきかもしれない。まだ何か言い合っている二人を尻目に、リューンは空を仰いだ。

(お前を迎えに行ける日がきたなら。お前を早く、この暖かな場所に連れてきてやりたいよ)


 彼女は、走っていた。暗く冷たい闇の中を。
「どこへ行くのだ?ラルフィリエル」
 夜影に紛れて聞こえてきた声に、体が竦む。
「兄上……、いや、皇帝ッ」
 暗闇から、さらなる暗闇が足を踏み出す。合わせてラルフィリエルは後退った。
「どこへ行こうというのだ……我が妹よ。私の元以外にお前の居場所などないと言うのに」
「私は……ッ」
 激しくかぶりを振る――が、言葉はそれ以上出てこない。どんどん縮んでいく距離に、彼女は慄(おのの)いた。
「お前は私の妹だ。いや……そんな言葉では例えられぬ。お前は私だ」
 同じ紫水晶(アメジスト)の瞳が自分を捉え、同じ銀の髪の輝きが彼女の瞳に映り、彼は彼女を抱きすくめた。
「……嫌……ッ」
「何を脅えている? ラルフィ」
 ラルフィリエルを抱いたまま、ガルヴァリエルが囁く。
「回帰に恐れることなどない。それとも……私にこう命令されるのが恐いのか?」
 皇帝の言葉に、ラルフィリエルは抵抗をやめて彼を見上げた。その瞳には明らかな恐れがある――その双眸を見開いて、ラルフィリエルは表情を凍らせた。
「――エスティ・フィストを殺せ、と」
「……や」
 彼女の唇からかすれた声が漏れる。
「いやああああぁぁぁぁぁぁッ!!!」
 絶叫。そして、銀色の風と共に、腕の中の少女は闇に溶けた。
 銀の余韻の残る虚空を見つめるガルヴァリエルの顔に、冷笑が浮かぶ――

 ――そんな、漆黒の、或る夜。