17.罪人は聖者の如く

 しばし、沈黙が3人を包んだ。風の音と、シレアのすすり泣く声だけが聞こえてくる。
「……リューン」
 ややあって、遠慮がちにエスティは口を開いた。
「何?」
「皇帝は」
 一度、言葉を切る。
 今問おうとすることの答は、ある意味で、最も聞きたくないことかもしれないと覚悟してのことだった。だけど目を逸らしたところで結果は変わらないと解っているから言葉を継ぐ。
「……皇帝は。なぜ、お前の妹を?」
 哀しげなリューンの瞳に、やはり自分がその答えを知っていることを、エスティは悟った。だが、もう遅い。滑り出た言葉を引っ込めることはできない。
「それは、ぼくより君の方が知っている筈だよ。君の“探し物”と、深く関わることだから」
 スティンに来るとき引き合いとして出したエスティの“探し物”を、リューンは再び口に登らせた。エスティの探し物。それはエインシェンティア全般とも言えるが、あるひとつの物とも言える。エスティの使命はエインシェンティアを無に還すことだが、それが最終目的ではない。そうエスティがぽつりと漏らしたことがあるのを、リューンは覚えていた。
 最高にして究極、禁忌のエインシェンティア――国や大陸レベルではなく、人の歴史に終焉をもたらすというエインシェンティアがこの世界には存在する。その消去こそがエスティの使命だ。
 だから、薄々エスティも気付いていた筈だ。エインシェンティアにこだわっているセルティ皇帝ガルヴァリエルが、それを手にしている可能性は高い。のみならず、その“依(よりしろ)”になってしまっているかもしれない。だが、もしもそれが無理ならば――
 相応しい依(よりしろ)”を捜すだろうということを。
「ぼくが捜していた人と、君が探していたものは、偶然にも一緒だったんだ。そして、ぼく達はもうそれを見つけている」
 エスティの想いとは裏腹に、冷静にリューンは言葉を続けた。

「カオスロード・ラルフィリエルは……ぼくの妹だ」

 リューンが断言する。彼もまた覚悟と共にそれを口にしたが、表情は苦渋に満ちていた。
 カオスロードがシェオリオだということは、一目見たときからリューンにはわかっていた。髪の色も目の色も別人のように変わってしまっていたが、そんなことは大して問題ではなかった。
 そんなことよりも、ランドエバーの戦いでああして顔を突き合せねばわからなかった自分が、どれ程腹立たしかったか知れない。
 こんなに皮肉なことはない。自分が傭兵をしている間にも、その雷鳴を轟かせていたカオスロードが、自分が求めてやまなかった妹であったことに気付かなかったというのだから――。
 だが悔やんでも恨んでももう、どうしようもないことだ。疲れたように重い息を吐き出し、それからゆっくりとリューンは歩き出した。
 ようやくシレアに真実を告げ、エスティにも全てを話した。なのに、心におりた錘は全く軽くはなってくれない。だから鉛のように重い体を引きずり、リューンはエスティの横を、泣き崩れるシレアの隣を通り過ぎた。
「……何処へ行く気だ」
 立ち去ろうとするリューンを見て、エスティが呻く。哀しさと切なさの混じった、いつもの笑み――近くにいるのに遠くにいるような、彼のいつもの笑み――それを浮かべたリューンが、こちらを見て唇を震わせる。
「今までありがとう」
 エスティの問いに対する直接の答ではなかったが、だからこそエスティは走り出していた。一瞬でリューンとの距離を詰め、その胸倉を掴んで殴り飛ばした。
「……ッ!」
 完全に予想してなかったエスティの行動に、リューンがもんどりうって倒れる。口の端が切れて、血が流れる感触がした。
「エスッ」
 悲鳴のような声をシレアがあげる。リューンは何の言葉も紡げないまま、エスティの深紅の瞳をぼんやり見つめた。
「なんなんだよ、今の台詞は」
 怒と苛立ちを隠さずにエスティは唸った。
「なんで殴ったと思う?」
「……ぼくが、今までずっと……エスを騙してきた、から」
 責めるような問いかけに、途切れ途切れにリューンが答える。その答えに、再びエスティは拳を振りかぶった。
「やめてぇっ」
「離せ! オレは本気で怒ってるんだっ」
 シレアが必死でエスティにしがみついて制止するが、その腕を払いのけてエスティはリューンを睨みつけた。
「オレは、お前を友達だと思ってた」
「……ぼくも、思ってた」
 口元の血を手の甲で拭いながら、リューンが呟く。
「だから、言えなかった。友達でいたかった」
「……知ったら、オレが友達やめますとでも言うと思ったか……?」
 シレアが止めるのも構わず、エスティは再び親友の胸倉を掴み上げた。
「建前や上辺だけで、オレはお前とつるんでたんじゃねぇんだよ!」
 間近で見て、ようやくリューンは彼の瞳にあるのが怒りではないことに気づいた。そこにあるのは哀しみだと、わかった。わかっていながら――だが、リューンは胸倉を掴む彼の手を払い落とした。
「だけど、ぼくは……! セルティ軍だったんだよ!? そしてシェオリオは君の仇だッ」
  エスティを信用していないわけではない。それほど安い友情ごっこをしてきたつもりもない。それでも――彼がセルティを憎んでいることは、側にいれば否応なくわかるのだ。その事実が、楽しさも心強さもすべて苦痛に変えてしまう。
 それが、素性を隠した上に成り立っているものだと思い知ってしまうから。
「ぼくはもう、エスやシレアの傍にはいられない!」
「――お兄ちゃんッ!!」
 エスティが怒声をあげるより早く、シレアが叫んでいた。エスティを抜き去って、体当たりするようにシレアはリューンにしがみついた。
「逃げないで。あたしは、もう逃げない。だから……一緒に行こう?」
「……」
 リューンの胸に顔を埋め、シレアが囁く。その声は、すべてを受け止め、そして受け入れた穏やかな声だった。
「まだ……ぼくを兄と呼んでくれるんだね……」
 髪を撫でると、シレアは顔を上げ、微笑んだ。
「誰がなんと言おうと、リューンお兄ちゃんは、あたしのお兄ちゃんだよ?」
 泣きはらした瞳で、それでも微笑む彼女は痛々しいが儚くはない。自分よりずっと強い少女が、ぎゅっと腰に回した手に力を込めた。そこから、温かい力が流れてくるようだった。その力が、顔を上げる勇気をくれた。
「エス……ぼくは」
「誰が何と言おうと」
 だがエスティはその言葉を敢えて遮る。彼がどんな行動を取ろうが、何を言おうが、ひとつだけ確かなことがあったから、エスティはそれを言葉に乗せた。
「……誰が何と言おうと。お前が何であろうと。お前はオレの相棒だ」
「……ッ」
 涙が零れそうになって、リューンは片手で顔を抑えた。
 今まで何も言えなかったのは、拒絶されるのが恐かったからだ。エスティやシレア、手にいれたこの自分の居場所を失うのが堪らなく恐かったのだ。だからずっと逃げていた。真実をはっきりさせることも、彼らを信じて全てを話すこともできないまま、逃げ続けてきた。そんな自分に気づき始めていたから、逃げずに記憶を受け入れたシレアを見て、話すことを決心した。
(でも、ぼくは結局……逃げようとしただけだった)
 逃げないでと言われて気付いた。結局、うしろめたさに耐えられず、彼らの側を離れようとしただけだ。
 それなのに、シレアはまだ自分を兄と呼び、エスティは友でいてくれる――
 それは、至福であり、そしてやはり苦痛でもある。だけどそれでも受け入れなければならないのだ。
 自分がしてきたことと、これから自分が成すべきことを。