16.−汝、力を望むか−

 その日もエスティは姿の見えないリューンを捜し、そして彼を見つけたのはまた屋上だった。
「お前高いトコが好きなのか?」
 エスティに気付いて、リューンが振り返る。
「人を馬鹿みたいに言わないでよ。単に人がいないから来てるだけ」
 反乱の日からエスティ達はスティン城に駐留していた。したがってここは城の屋上なので、相当な高さがある。眺めも壮観だ。だがそれを楽しむには少し風が冷たく、肌寒い。外套を広げながら、エスティは世間話でもするように話を切り出した。
「リューン。お前、剣が使えたんだな。それも、相当な手練だ」
「……」
 エスティが外套をすっぽりと被り終っても、リューンは無言のままだった。エスティはそれを肯定と取って続ける。
「お前は意識してなかったかもしれないがな。構えや扱い方どれひとつ取ってみても、素人じゃないぜ」
「……」
 やはり、彼は応えない。予想はしていたことなので、エスティもそれ以上追及するのはやめることにした。しばらくは王都の街並みを眺めていたが、やがて踵を返す。
「詮索されるのが嫌なら、もう言わない。邪魔したな」
「待って」
 だがここにきて、ようやくリューンは口を開いた。
「待って……エス。聞いて欲しいことが、あるんだ」
「?」
 足を止めて振り返ると、どこか思いつめた表情で彼は歩み寄ってきた。そして、身に着けている上着のポケットを探り、何かを取り出して差し出してくる。
「……? これは、ペンダント?」
 受け取ったそれを眺める。リューンが差し出したのは、古びた銀のペンダントだった。ヘッド部分が二つに割れ、中に何かを入れれる形状になっている――ロケットペンダントだ。
「見ていいのか?」
 無言のままのリューンに尋ねてみると、彼はやはり無言のまま頷いた。それを見てからふたをあける。セピア色の写真の中央で、幼いが美しい少女が微笑んでいる。写真自体は何の変哲もないものだったが、エスティの表情には驚愕の色が差した。
「ッ、この少女は……!」
「ぼくの妹」
 静かに告げられ、エスティが言葉を失くす。その少女が、あまりにも“似ていた”からだ。そう、似すぎていた。酷く整った表情、その瞳、長い髪も。
(この少女が、リューンが捜していた本当の妹だって!? だが、こいつは――)
 まさかと否定したい反面、それなら全て辻褄が合うと心のどこかは納得していた。
 あの時、リューンが躊躇(ためら)った訳も。レグラスでの戦いでの行動も。リューンの不可解な行動のすべてに納得が行く。
 そう、その少女は、“彼女”に酷似していた。
「そこに、いるんだろ? シレア」
 ふいに、リューンが優しい声を上げる。それに呼応するように、扉が小さな音を立てた。果たして、浮かない顔をしたシレアが、おずおずとその向こうから姿を現す。
「シレア」
 少し驚いたように、エスティが名を呼んだ。
「……エスが、お兄ちゃんを捜してここに入るのを見て」
 咎められるかと思ったのか、シレアが弁明のような事を口にする。だが、リューンには始めから気にした様子はなく、ただ優しい瞳で彼女を見ていた。
「エスティ、シレア。ぼくは、二人にずっと隠してたことがある」
 決然と話し始めた頃、もう彼の瞳に迷いはなかった。
「ぼく、エスにもシレアにも出会う前は――セルティの傭兵だったんだ」
「……!」
 二人の表情に、驚愕が走る。だが構わずリューンは続けた。
「ぼくの本当の名はリュカルド・S・リージア。一応二年程前は、通り名がつくくらいには名を馳せた」
「……まさか、“漆黒の悪魔”? お前が?」
 エスティが呻く。嘘だと思いたかったのに、リューンはきっぱりと首を縦に振った。見間違いだなどと思えぬほどはっきりと。
 通り名がつくほどの者は、そうはいない。ここ最近は、セルティの常勝将軍“カオスロード”と“ランドエバーの守護神”アルフェス・レーシェルの二人くらいだ。だがもう少し前にさかのぼると、セルティに“漆黒の悪魔”リュカルドという凄腕の傭兵がいた。聞かなくなって久しいので、エステも今の今まで忘れていたが。
「でも、噂では、漆黒の長髪だって」
「染めてた。戦場でシェオリオに出会っても、その血塗れの傭兵がぼくだと悟られないように」
 縋るようなエスティの問いかけは、無情に両断される。哀しげな瞳の親友は、嘘など言っているようには見えなかった。だがその話が本当ならば、彼は多くの人を容赦なくその手にかけてきたことになる――目的の為なら卑劣な手段も厭わない、残虐なセルティ帝国の下で。
 エスティのそんな想いを読み取ったかのように、リューンは寂しそうに笑った。
「ぼくは君が思うようなイイ奴じゃないし、シレアに慕われるような兄じゃない。君と一緒にセルティと戦っていたのも単に妹を捜す為だったし、シレアを助けたときあの場所にいたのも……ぼくが、王の命を受けて王家討伐に向かったセルティ兵だったからだ」
 彼の言葉に、シレアの体がぐらりとかしいだ。エスティが支えようと手を伸ばしたが、彼女はそれを払いのけ、下に膝をついた。だが、彼女は立ち去ることも耳を塞ぐこともしなかった。そして、リューンもそんな彼女から決して目を逸らさなかった。
 もう、現実から目を逸らすのは終わりにすると、決めたから。
「……全て話す、エスティ。もう五、六年も前になる――皇帝は、ぼくの妹を連れ去り、エインシェンティアを暴発させて、ラティンステルにあるぼくの故郷を滅ぼした。ぼくが生き延びたのは、暴発したエインシェンティアの“(よりしろ)”になったからだ」  忌まわしいあの日、何が起こったのか理解できないまま全てが吹き飛び――
 気がついたら、真っ白な世界にいた。
 死んだのだと思った。 頭に、声が響くまでは。

 ――汝の力を――

 それと同時に意識がはっきりと覚醒した。だが、リューンはそのことを恨んだ。自分だけを別にして、暴発が巻き起こっている。人や建物が簡単に吹き飛び、死が蝕んでいく様がゆっくりと双眸に映りこんでく。
 足の力が抜け、崩れ落ち、嘔吐した。だが、声は構わず続いた。

 ――汝、我を収めよ――

 白い手が、自分の右目の辺りへ伸びるのが見えた。

「う、わあああああああああああああああああ!!!!!!!」

 そして、何も見えなくなった。
 故郷が崩壊する様も、白い手も、何もかも。
 自分の叫び声だけがやけに耳にこだまして鬱陶しい。
 そして気がついたときには、何もないところに倒れていた。そこが故郷であった場所と知るには時間が要った。
 そして彼は、右目と、妹と、故郷を失った。
「お前の瞳が――暴発したエインシェンティアを再び制御するだけの力を持っていた」
「そんなこと、ぼくには解らない。でも、そうなんだろうね」
 抉られた右目を押さえて、吐き捨てるかのように、苦々しくリューンが零す。
「思えばそのときから既にぼくは“依(よりしろ)”だったんだろうけど……その力の使い方を知らなかったし声ももう聞こえなかった。次にぼくがその声を聞いたのは、……スティンでシレアを助けたときだ」
 びくり、とシレアが肩を震わせるのがエスティの視界の端に映った。
「生き残ったぼくはシェオリオを捜す為、皇帝に近づこうとセルティの傭兵隊に志願した。彼女を取り戻す為、何をも厭わず戦った。指令があれば暗殺もやったし、汚いこともした。でも一向にシェオリオには会えず――もう生きていないのか、生きていてもセルティにはいないのか ……そんな考えも出てきたし、血なまぐさい生活も限界だった。そんなとき、スティンの王家討伐の命を受けた」
 いくら足掻いても妹には近づけず、血まみれになって堕ちて行く自分に、存在意義も出せなくなっていた頃だった。周りのセルティ兵が殺戮を繰り返していくなか、虚ろに立ち尽くしているだけの王家討伐の日々に、突然視界にとびこんできた、泣き叫ぶ長い髪の少女。

「シェオ……リオ」

 剣が、無意識に動き――彼女を突き刺そうとしていたセルティ兵を、自分の剣が突き刺していた。
 少女を抱えて逃げ、セルティ兵がそれを追う。
 切り払っても切り払っても、黒い軍勢は向かってきた。少女を庇って逃げながらのリュカルドに、限界は思ったより早く来た。軍勢に呑まれて、手を離れた少女に、セルティの手が伸びる。
 ――護れないのか、また。護りたいと思う人を――
 そう思ったその瞬間。

 ――汝、力を望むか?

 時間が止まった。あのときと同じ感覚、同じ声がリュカルドを包み込む。

 ――汝、力を望むか?
 問いかけに、かぶりを振る。
 力などいらなかった。
 力で護ろうとし、力で対抗しようとしても、力で押し返されるだけだった。
 だからもう、力など求めない。

 俺が欲しいのは力なんかじゃない。
 俺が欲しいのは――

 ――ならば、汝欲するものを護る為に、我が力託そう――