14.騎士の帰還

 力なくうなだれていた白髪の王は、聞こえた声にがば、と勢いよく顔をあげた。
「……その声、まさか」
 興奮で震える声でアミルフィルドは叫んだ。
「ルオ……!? ルオフォンデルスか!?」
「ああ。久しぶりだな、兄上」
 やがてアミルフィルドの瞳にルオが映ると、彼は信じられない、といった顔でルオを見上げた。
「生きていたのか!? でも、何故」
「さあな。俺にもわからん。だが、どういうわけだか俺は生き残っちまったのさ」
 ルオの言葉は自嘲を含んでいた。
「だが、あんな兄上を見ることになるなら、あのとき死んだ方がマシだった……と、思ってきた」
「ルオフォンデルス……」
 そろそろ夜明けも近いだろうに、闇は一向に晴れない。いつの間にか雨が降り出したようだ――物寂しい音が室内に響いた。
「俺は……兄上を信じられなかった。姉上達や俺にセルティ兵を指し向け、俺の騎士団に自害を命じ……セルティの傀儡となってしまったあんたが、信じられなくて……いや、信じるという行為すら信じられなくなってしまったんだ。だから、八つ当たりなんかしちまって」
 ふと、若い騎士を振り返る。目があって、アルフェスは少し悲しげな瞳をした。
(だから……ルオはあんなにも騎士を嫌っていたのか)
 それは、自らが愚直なまでに、兄王、君主を信じ、護ってきた為だった。揺ぎ無い信頼を寄せる者に、突如背を向けられた痛みのやり場を見つけられなかったのだ。
(だけど、違う。それでも僕は、信じられる。何があっても、信じることはできる)
 アルフェスの瞳に浮かんだその答を読み取ったかのように、ルオはフっと笑った。
「でも、そのお蔭で解ったよ。俺が馬鹿だったんだ。俺は、何があっても兄上を信じるべきだった。その為に、俺は生き残ったんだ。誰が兄上を恨み、呪ったとしても、俺だけは、信じなければいけなかったんだ――。なのに、俺は逃げた。兄上も、この国も見捨てて、スタコラ逃げたんだよ!」
 自嘲を含んだ声はやがて自責の叫びへと変わり、その言葉が終わるとルオは疲れたように息を吐いて、どっかりとその場に腰を下ろした。
「だから、殺すなら俺を殺してくれ。兄上は逃げずにこの国を護ったんだ。兄上は悪くない」
「ルオ!」
 とがめるようにアミルフィルドは弟の名を呼んだが、ルオは動かなかった。二人の間に悲痛な空気が張りつめ、誰も動けないのを見るや、短く息を吐いてエスティが二人の前に歩み寄った。そのふらつく体にリューンが肩を貸す。
「……短い間だが、世話んなったな、エスティ」
「馬鹿かお前は」
 別れを述べたルオを、エスティの呆れた声が切り捨てる。
「なんでオレがお前らを殺さなきゃならないんだ? オレはスティンの民じゃないし、ましてセルティ兵でもないぞ」
 意味がわからない、心底そんな表情を浮かべられ、それでもルオは逆説を繋いだ。
「しかし」
「しかしもへったくれもあるかよ。死にたきゃ死ねよ。そんな無責任に死ぬようなヤツらにゃ、スティンの民も導かれたくねぇだろうよ」
 エスティの言葉は容赦がない。支えているリューンが苦笑した。
 だがそれなのに、ルオにはいっそ心地良かった。
「――そうだ……な。兄上。俺達をどうするかは民が決めることだ。スティンの為生き、スティンの為死ぬ。それが、スティン王家に生まれた俺達の定め」
 虚ろだった瞳に自信と誇りにを取り戻し、ルオが立ち上がる。そして、兄の下へと歩み寄るとその足元に跪いた。
「参りましょう、国王陛下。民の元へ」
 恭しく頭を垂れる。そんな弟を、兄はためらいがちに見下ろした。
「だが……」
「アミルフィルド様」
 尚も迷いの消えないアミルフィルドに声をかけたのはミルディンだ。
「我が国は、セルティと戦う道を選びましたが、それにより多くの騎士や民の命が失われました。それに対し、わたしも死ぬことばかりを考えてきました――償いの死を。でも、それじゃ何も誰も救われない。王家に生まれたわたしたちが、死んでいった者達にできる償いは――生きること。生きて、平和な国を築いていくことなんだわ」
 自分に言い聞かせるように、ミルディンは一言一言をかみしめるように呟いた。そんな彼女は、アミルフィルドにとって眩しく見えた。自分よりも遥かに幼いこの少女は、既に“王”としての器を持っている。彼女なりに国や民のことを考え、そしてもう答えを出したというのだ。この“王”という茨の道を歩く覚悟と共に。
「王女の言うとおりだ。昨日、ルクテ達の声をきいたろう? 民はあんたにまだ希望を持っているんだ。“我らをお導きください”、そう言ったじゃないか」
 エスティの声にももう冷たさはない。
 そう――民は王を信じていた。それこそが彼が良き王であった証に相違ない。
「そうよ、叔父様。もう一度、やり直しましょう。叔父様ならできるわ。あたしも叔父様を信じてる」
 真摯(しんし)なシレアの眼差しが見つめ返すのは、もう悲壮さを浮かべた白髪の王ではなかった。

 瞳に理想と輝きを宿した、スティンの賢王が、長きの不在から帰ったのだと、その場の誰もが思った。

「おじさん」
 ふいに、シレアがこちらを振り向き、ルオが彼女を見下ろす。
「そんなかしこまっても似合わないよ。逃げたことは良くないことかもしんないけどさ。おじさんが放浪の傭兵やっててくれたお蔭で、レグラスは救われた。あのときおじさんがいてくれたから、あたしもこうして生きているのよ」
 シレアの言葉に、エスティもレグラスでの戦いに思いを馳せた。確かに、ルオがいなければあの戦局を乗り越えられたかは甚だ疑問だ。少なくとも、あそこでルオが現れなければシレアの元に駆けつけるのは遅れたし、それによって確実にシレアの命は危険に晒されていただろう。
「そうだぜ、ルオ。あんたは少なくとも、可愛い姪を護ったじゃないか」
 ルオが、スティンを逃亡していた後悔と自責の念にかられていることに気付き、シレアは彼に声をかけたのだろう。そんな彼女の気持ちを汲んで、エスティもまた励ますようにルオの肩を叩いた。
「エスティ、嬢ちゃん――」
 仲間達の気遣いに、柄にもなく涙がこみ上げそうになって、ルオは顔を背けた。そんな彼を見てシレアが微笑む。
 雨は既に上がり、東の空が白みはじめている。

 もうすぐ、夜が明ける――。