13.偽りの兄妹
冷たい空気がそこに居る者達を包み込む。リューンは剣を落としたことにすら気付いていないようで、ただ隻眼を見開き立ち尽くしていた。「シレア……お前、やっぱり……記憶が」
やっとのことで、それだけを口にする。
「……ごめんなさい」
そんな彼を真っ直ぐに見つめ、シレアが呟いた。
「ずっと前から……気付いていたの。でも、言えなかった……! あたし、お兄ちゃんの……あなたの妹でいたかったの。あなたの傍に居たかったから」
大きな蒼い瞳から、ぽろぽろと涙が零れて落ちる。そんな彼女に、リューンはかける言葉が見つからなかった。どうすることもできずに、ただその場に立っているしかできなかった。
彼女は、どんな想いで今まで自分の傍にいたのだろうか――マインドソーサラーなのに、それすら解らない。親しい人の心の痛みにすら気付いてやれない。いつだってそうだった。
シレアが、涙を手の甲で拭う。だが、彼女の小さな手は涙に濡れる一方で、涙が止まる気配は無かった。それでもシレアは懸命に両手で目をこすっていた。そうすることでしか今は自分を保てそうになかった。
「シレア……、」
見かねてミルディンが彼女を優しく抱きしめる。仔犬のようにぎゅっとしがみついてきたシレアの髪を、ミルディンはいたたまれない思いで何度も撫でた。静寂の中シレアのしゃくりあげる声だけが響き、誰も言葉もなくそれをじっと見つめていた。
窓の外はまだ暗い。王都へ向かうときは出ていた月も今は雲に隠れ、星は出ていなかった。漆黒の世界を、それでも照らそうとする燭台の炎が酷く頼りない所為か、その炎に映し出されるアミルフィルドの横顔は、一層悲壮感を漂わせている。彼は泣きじゃくるシレアをしばしの間黙って見つめていたが――やがて目を伏せると剣を降ろした。全ての限界が来たことに気付いてしまったから――これ以上剣は振れない。
それを視界に見止め、エスティはスペルを紡いだ。
『“我が御名において命ず。冥界の深奥に住まう冥府の主よ――”』
「魔法は使ってはいけない! このエインシェンティアの制御力は、些細な魔力干渉によって乱されかねない――」
スペルを聞きとがめたアミルフィルドが思わず叫ぶ。印を切り始めたエスティを止めようと身構えるが、シレアに腕を掴まれて留まった。なおも何か言い募ろうとした彼に、シレア黙って目を伏せると首を横に振った。
「大丈夫よ、叔父様」 静かな城内に、エスティのスペルは止まることなく響く。
『“我が魂を喰らいて出でよ。汝の力で以って、彼の力を、死兆の星の彼方へと還さん――
スペルが終わると同時に、アミルフィルドの持つ“剣”の周りで黒い閃光が巻き起こる。思わず彼は手を離したが、剣は落ちずに黒い霧へと姿を変え、そして霧散した。
「これは……? 君は一体?」
「ただの、トレジャーハンターさ……」
呆然と問うアミルフィルドに、古代呪を使った反動の脱力感に襲われながらもエスティは不敵な笑みをその顔に浮かべた。今にも崩れ落ちそうなエスティの体をリューンが支える。
「リューン……」
「これは……やっぱりぼくには必要なかったよ」
耳元で囁いて、リューンは拾い上げたエスティの剣を彼が腰に下げたままの鞘に納めた。そうしてから、シレアを振り返る。
「ごめん……シレア。結局ぼくは、君に何もしてあげられなかった」
今にも泣き出しそうな、哀しく、切ない微笑みを向けられ、シレアは目に一杯の涙を溜めたまま、ぶんぶんと何度も大きく首を横に振った。
「君は、シレアの命を助けてくれた……そして、ずっと護ってきてくれた。それだけで……充分だ」
まだしゃくりあげているシレアの変わりに、アミルフィルドが口を開く。その表情には疲労が濃く見えたが、その中にも温かく優しいものが浮かんでいた。改めて彼の顔を良く見てみると、端正だがひどくやつれているな、とエスティは思った。だから、どんな表情をしていても悲壮に見えるのかもしれない。
「……私は……戦って民の命を失わせるよりはと、セルティに自分の首を差し出すつもりで降伏の道を選んだ。民を護るのは王家の努めと定め。そうする事が王として正しい道だと……私は信じたのだ」
王が静かに語る。独白のように、言葉は続いた。
「だが皇帝は……ガルヴァリエル=セルティは私を嘲笑うかのように私の首を望まなかったのだ。そして、私を除く王家の一族と騎士団の首を望んだ。私が躊躇うと、ガルヴァリエルはあの剣を私に渡して言ったのだ。これは、この国を吹き飛ばす力を持つと……そしてそうなるかどうかは私に掛かっていると脅された。学者に調べさせ、私はエインシェンティアの恐ろしさを知った……知った為、従わざるを得なくなったのだ。私が皇帝を裏切れば、皇帝はあの剣を暴発させるつもりだと解ったから」
言葉を切り、アミルフィルドが顔を上げる。幾分か悲壮さが抜けた、晴れやかな顔。
「だが、これでもう枷は無い。どうか――私を、殺してくれ」
「叔父様!?」
王の台詞に、シレアが叫び声を上げる。
「どうして!? どうして、叔父様が死ななきゃならないの」
アミルフィルドに取りすがって、シレアは悲痛の声を上げた。その彼女の髪を、アミルフィルドが愛おしそうに撫でる。だが、彼の決意は揺らがなかった。
「理由はどうあれ、私は多くの人を殺した……これ以上おめおめと生きてはいられんのだ。それに、どの道私は用済みとしていずれ皇帝に消されるだろう。だから――」
「……駄目だ」
彼の言葉を遮ったのは、誰にとっても意外な人物だった。
「あんたが死ぬことはない。誰かが罪を負うべきだというなら、それは――――俺だ」