1.終焉の幕開け
春には今少し遠い冷たい風が、長い黒髪を宙に這わせる。燃えるような真紅の瞳をした少年は、ただ無感慨に眼下に広がる光景を眺めていた。アミルフィルドの統治するスティン王国――彼らは未だそこに駐留せざるを得ない状況にあった。
一週間に渡りエインシェンティアを制御し続け、大陸を跳び、ケイパポウを誘導し、立て続けに膨大な魔力を使ったイリュアの消耗は激しかったし、重症のアルフェスにリザレクトスペルをかけ続けたラルフィリエルもまた消耗していた。そのアルフェスもまだ傷は癒えきらない。
王城のバルコニーからは、アミルフィルドのもと再編成された騎士団が隊列を組んでいるのが見渡せる。少年の瞳はそちらを向いているようで、だが焦点は定まっていなかった。
――決着をつけようか、人間――
その言葉だけが何度も何度も脳裏にこだまして、不快だ。
当初でこそ争い合っていた列強だが、セルティの独壇場となってからは、セルティへの敵意である意味団結したと言ってもいい。どこかしらの国が口火を切れば、一斉蜂起は想像に難くなかった。その先陣を切ったのが、セルティに初の黒星をつけた軍事大国ランドエバーであったのは、蜂起を促すにはベストであったと言えるだろう。
だが実際のところ、ガルヴァリエルがランドエバーに目をつけたのは、ランドエバーの王女ミルディンが、またはその騎士団を率いるアルフェスが、自分に深く関わった為ではないか。ミルディンがエインシェンティアを持ち、皇帝に狙われることとなったのも自分が巻き込んだからだ。だから、イリュアにランドエバーがガルヴァリエルの手に堕ちたと聞かされた時には、本当に焦った。二人が無事でひとまずは安堵したが、所詮一時凌ぎに過ぎない。
――勝てないだろう。
ミルディンの話によれば、ランドエバー国内をかき回したその“レガシス”なる者は、ガルヴァリエルと同じ気配、威圧を持っていたという。そしてその力は“カミサマ”から貰ったものだと。
――決着をつけようか、人間――
ギリ、と唇を噛み締める。
全ては彼が仕向けたものだ。
人間が神を打ち倒すか、それとも神が人間を滅ぼすか、つまるところこの戦はそういうものだ。
「勝てないわ!!」
謁見の間に、イリュアの叫びが響き渡る。彼女のそんな声と様子は初めて見るもので、エスティは少し意外な顔で彼女を見た。
「勝てない! 全て彼の――ガルヴァリエルの計画の内なのよ!?」
そう詰め寄られ、アミルフィルドは困ったように、しかしあくまで冷静に、このリダから来たという少女を見た。
「イリュア殿、話はわかった。君が古代人であるということも、ガルヴァリエルが神の力を持つということも、ランドエバーがセルティの手に堕ちているやもしれぬということも。にわかには信じ難いが――だがそれが嘘でも真でも、私の決断は変わらないだろう」
「何故!!」
穏やかだが、決して意志を曲げようとはしないスティン王に、イリュアが食い下がる。
「私はこんな戦に意味があるとは思えない!! 無駄に死を招くだけよ!!」
発言が過激になっていくイリュアを、流石にエスティが諌めようと動く。だがアミルフィルドは視線でそれを制した。
「意味は――ある。例え人が全て滅びたとしても、戦い、抗おうとすることには意味があると私は思うよ。それを民が強き意志を持って望むなら、それを叶え導くことも努めだと思うのだ。――イリュア殿、貴女が我々を救いたいと願う気持ちには感謝する。しかし、これは今を生きる私達の闘いなのだ」
「……でも!」
「イリュア」
尚も言い募ろうとするイリュアを、今度こそエスティが止める。
「王の言うことは尤もだ。……あんたが今の事態を憂慮してることも責任を感じてることもわかるよ。でもこれはもう古代人の戦いじゃない。あんたとガルヴァリエルの戦いでもない。第一、他の列強ももう既に戦の準備を進めているし、今更古代だ神だと言って他の国を止めることもできないだろう。ランドエバーのことにしたって、ランドエバーは敵だ、気をつけろと情報を流しても混乱するだけだ」
「だったら!!」
諭されて尚、イリュアはエスティに取りすがり、叫んだ。
「だったら、ただ見てろというの?! 人が滅ぶのを! この世界の終焉を!!」
「だから、行くんだ」
イリュアの両肩を掴み、落ち着かせるようにゆっくりと、エスティが告げる。
「だから――オレが行くんだ」
動き出した流れをせき止めることはできない。――だが、正しく流すことはできるかもしれない。
少年は決意する。
それは決して世界の為ではないけれど――
定まっていなかった焦点を、胸の前で開いた手に合わせる。
救済への筋書きが、他でもない自分の意志で壊された今、このちっぽけな手に勝算など無いに等しい。だけど壊した自分が行かねばなるまい。
戦が激化する少しでも前に。
ひとつの命でも救う為に。
戦を終わらせる為に。
「まさか、一人で行こうとか考えてないよね?」
ふいに背後からかかった声に、彼は胸の前の手を握り締めた。その拳を下ろして、振り向き、微笑う。
「――まさか。今から皆に話すつもりさ」
城内への扉に向かって歩き出す。その方向に、亜麻色の髪の隻眼の少年が立っている。彼の隣を行き過ぎる瞬間に、エスティは小さく呟いた。
「だけど、ラルフィが戻ってきた今、お前がセルティと戦う理由はもうないだろう」
その言葉に、隻眼の少年は穏やかに笑って答えた。
「……あるよ」
微笑みをそのままに、エスティを振り返る。
「ぼくは君の相棒だよ。地獄の底までだって付き合うさ――エスティ」
エスティは立ち止まると小さく笑った。だが、友を振り返って見せるのは、いつもの勝気な笑みで。
「行くぞ、リューン」
「うん!」
満面の笑みで頷くと、城内へと戻ってゆくエスティをリューンは小走りに追いかけて行った。