ビュウがパルパレオスの訃報を知ったのは、それから幾日も経たぬうちだった。
「……ビュウ? どうしたの?」
急に黙り込んだビュウに、ヨヨが不安げな目を向ける。
「あ、いえ……、何でも……」
「嘘」
「……」
真っ直ぐに見つめられぴしゃりと言われると、事実嘘なわけで、それ以上の言い逃れはできなくなる。せめてもの抵抗でビュウは目を逸らした。嘘をつくことだけは上手くなれない自分を心底呪った。
「教えて、ビュウ。ほんとうのこと」
「何でもありません!!」
叫ぶつもりなどなかったのに、逃げ場をなくした焦燥は怒号へとすり替わってしまった。ヨヨの驚いたような顔が視界の隅に引っかかり、後悔が押し寄せる。
「……すみません……」
そんな自分を見て、ヨヨが小さく溜息をつく。それから声をかけてきた彼女は、これまでの話題とは別のことを口にした。
「わかったわ。じゃあ、他のこと。きいていい……?」
「……?」
「どうしてそんな話し方をするの……?」
寂しさを隠しきれていない声は、一層のことビュウをやるせなくさせた。喘ぐように、答えを絞り出す。
「それは……、私が王家に仕えるクロスナイトだからです。クロスナイトが女王に忠誠を誓うのは当然ではないですか」
それもまた嘘だったけれど。
視線をヨヨへと戻すと、今度はビュウが驚く番となった。
ヨヨは泣いていた。
恐らく本人も気付いていないのだろうが――ぽろぽろと涙を零し、泣いていた。
静かに、声も立てずに。
「やさしすぎるよ、ビュウは……!」
投げつけられた声に、どうしていいかわからずにいる彼と。
これまでと同じように接していたかったから、今まで触れずにいたけれど――
ビュウの態度は、昔とは随分違うものになっていた。それは、ヨヨがパルパレオスへの想いを明かしたあたりからだったろうか。
冷たくなったわけではないが、ただ一歩引いた位置にいようとしているようだった。ヨヨの気遣いを振り切るように。または、自分の想いを振り切るために。
自らを、“カーナ戦竜隊隊長”に位置づけるために。
「どうして……? わたしはきっと、あなたをたくさん傷つけたのに。どうしてあなたはそんなに優しいの……?」
いっそ恨まれた方が楽だとさえ思った。
優しすぎる気遣いが逆に辛かった。敬語や様付けで呼ばれる度に、胸が張り裂けそうに痛い。
「わたし……多分、わかってる。あなたがわたしに、何を伝えに来たのか」
「……!」
驚きを隠せないビュウに、ヨヨは何かを吹っ切ったような笑みを見せた。
「それでもあなたは変わらないのね」
触れれば壊れそうなほどの、儚く寂しい泣き笑い。
――いつからだろう。
彼女がこんな笑みしか見せないようになったのは。
幼い頃は、いつだって眩しい笑顔を見せていたのに。
そんな笑顔を見ていたくて強くなろうとしたのに。
「……もう、いないのね? あの人は……」
あふれ出るヨヨの涙を、止める術が解らない。
そうやって、もう何年彼女の笑顔を見ていないのだろう。
いつから泣かせることしかできなくなったのだろう。
思い出の始まりはいつだって、彼女の笑顔だったのに。
「……信じない」
「え?」
俯いたビュウの唐突な言葉に、ヨヨは一瞬涙を止めて彼を見た。
「僕は信じない。将軍が死んだだなんて、信じない! まだ決着がついていないんだ! 決着が……!」
――彼はまだ、剣を取りにきていない。
「だから泣かないで。もう涙なんか見たくない。僕は、ヨヨが笑ってくれるなら何だってするから!」
蒼い瞳をいっぱいに見開きながら――
ヨヨは時が戻るのを感じていた。
心から笑えた、幼いあの頃。
(ああ――思い出の始まりはいつだって、あなたの笑顔だった)
春の風吹き渡る、あの教会で――。
――二人の気持ち、変わっちゃうこともあるのかな。
その言葉に隠した本当の気持ち。
いつか大人になって、どんなに周囲が変わっていっても。
(あなたはわたしの幼馴染で、わたしのナイトなの)
お互い違う人に恋をしても、大事な人。
誰にも代わりなどできるはずもない。
「……ビュウだね。あの頃の、ビュウだ」
今度こそ、ビュウは驚きに言葉を失った。
ヨヨは笑っていたのだ。
あの頃と全く変わらない笑顔で。
「ヨヨ……」
「あの頃みたい。あの頃は――わたし、素直でいられたのに。今みたいに、イヤな女の子じゃなかったのに。……ずっと、思っていたの。あの頃は良かったって……。大人になることがこんなにも辛いことだなんて知らなくて……。でも、あの人に会えて、側に居られて幸せだったの。たとえ誰かを傷つけても、あなたを裏切ることになっても……。わたしは、心弱き者だから」
笑いをおさめ、ヨヨは真剣な顔になると頭を下げた。
「ごめんなさい……」
「……もういいよ。誰も傷ついてなんかいない。ヨヨが幸せなら」
ビュウは携えていた剣を――パルパレオスから受け取った剣を――鞘ごと腰から外すと、頭を下げたままのヨヨにそれを握らせた。
「ビュウ……?」
「ヨヨは心弱き者じゃない。僕が保証するよ。――それは、君が持っていた方がいい。いつか彼が、君の元に取りに行くまで」
そしてビュウはヨヨに背を向けた。退室しようとするビュウを、ヨヨは何もできないまま見つめていた。
――もう、あの頃には戻れないの。
自分の声が、冷たく自分に響く。
「ビュウ!」
彼が退室してしまって、居てもたってもいられずにヨヨは弾かれたように部屋を飛び出した。
「あなたは! どうやって戦うの!? あなたはクロスナイトでしょう!!」
叫ぶと、ビュウはこちらを振り向いて笑った。
そしてもう片方の剣も外して、磨きぬかれたカーナ城の床へと置く。
「剣は、もう要らないんだ」
微笑だけを残して彼が去っても、ヨヨは動けないまま佇んでいた――
――やがて城の外で、赤き竜のいななきが聞こえるまで。