FAKE ROMANCE 3



「こんなところで何を騒いでいるんだ」
 それだけでは咄嗟に男女の判断はつきかねる、アルトとテノールの丁度中間の声。だが、この場にいる誰もが、よく知ったその声と口調。そしてその一言で、三者三様に皆の表情に変化が加わる。それを簡潔に述べるならば、ライゼスが困り顔をさらに困らせ、リーゼアが眉間の皺を更に深め、そしてティルだけが渋面から一転して顔を輝かせるという、逆の変貌を見せる。
「セラちゃん」
「姫様!」
 長いアッシュブロンドを束ねた、鋭い目つきの青年――のような少女を、ティルとリーゼアが同時に呼ぶ。どちらも少女を示す単語だが、どちらも正確な名ではない。正確には、セリエラ・ルミエル・レーシェル=ランドエバーという名が彼女にはある。この国の王、アルフェス・ライディス・レーシェル=ランドエバーの一人娘、即ちこのランドエバーの王女であり、ライゼスとリーゼアが仕える相手だ。また、一応騎士団に所属しているティルにとっても同様なのだが、ティル本人はそういう風に彼女を見たことがない。それが顕著に呼び名に表れていて、喜々として呼んでしまってから、しまったとティルは口を押さえた。だが遅い。
「貴様……!」
 案の定、リーゼアが鬼の形相でこちらを向く。そして次の瞬間には、目の前に彼女の剣の切っ先があった。
「こともあろうに姫様に向かって、なんという口の利き方を!!」
 猫のように髪を逆立てる勢いでリーゼアが叫ぶ。本当に今にも斬りつけてきそうな彼女に、ティルとライゼスが同時にため息をつき、そして互いにそれに気づいて睨み合う。それを尻目に、セラはいつもの面子に混じる顔を、少し気まずそうに見た。
「リズ……」
「少しお待ち下さい姫様。今すぐこの無礼な輩を片付けますゆえ」
 言うなりティルめがけてリーゼアが剣を振り下ろす。冷や汗を流しながら、ティルはそれを紙一重で避けた。刀を抜かずともリーゼアをやりすごすことはそれほど難しいことではないのだが、その動作にいちいち本気の殺気を感じるのが恐い。
「リズ。構わないから剣を仕舞え」
 剣を構え直したリーゼアを見て、慌ててセラがそれを止める。だが主君の制止を受けても、彼女は剣を納めなかった。
「何を言われますか。姫様がそれを許してしまっては、他の騎士に示しがつきませぬ。ご自分の立場をご理解下さいますよう」
 とりつくしまもなく言われ、セラが少し怯む。どうにもセラはこの少女が苦手だった。救いを求めるようにライゼスの方を見たが、目を逸らされた。少なくともこの場においては、どう考えてもリーゼアが正論なのでどうしようもない。ティルは今現在、一介の騎士でしかないし、正体を明かすことは何より本人が望まないだろう。
「……私の失言でした。お赦し下さい」
 その空気を感じて、ティルも抵抗を諦めた。自分の事情云々より、単純にセラが困るのを見ていられないからだったが、詫びてもなおリーゼアは剣を突きつけてくる。
「私ではなく姫様に詫びろ!」
「はいはい」
 肩を竦めたい衝動に耐えながら、ティルはセラの方へと足を向けた。しかしまたしてもリーゼアが再び剣を構えてそれを遮る。
「姫様に近づくな!」
「いや、どっちよ」
 突きつけられた剣が、明確な殺意とともに繰り出される。首を傾けてそれも避け、今度は突っ込みを入れるのを耐えることはできなかった。
 それを後目に、ライゼスはセラの肩を押した。
「セラ、部屋に戻りましょう。そもそも今は授業の時間で――」
 だが、言ってしまってから「しまった」という顔をする。その反応は先ほどのティルとまるで同じで、そしてティルはといえば、それを見てにやりと笑った。ジト目で咎めるように兄を見たリーゼアは、だが実際に咎めることはしない。
「お兄様は、お姫様を呼び捨ててもいいんですか〜?」
 意地悪く目を細めてティルがそう言うと、しかしリーゼアはぎっと両目を吊り上げた――この少女は、怒るたびいちいち猫科の動物を連想させる。しかし、リーゼアが次に口にした言葉は、そんなことを考える余裕を一気にティルから吹き飛ばした。
「お兄様は――、お兄様は側近である前に姫様の許婚だ! 貴様なんかと一緒にするな!」
「リ、リズ!!」
 凍りついたように固まったティルと対照的に、ライゼスは悲鳴にも似た引きつった声を上げて妹を振り返った。だが焦るあまりになかなかライゼスが二の句を繋げないでいるうちに、ティルの硬直がとける。
「テメェ……そんなこと一言も」
 殺意すら感じさせる冷たい声を上げたティルに、別にそれが恐かったわけではないが、慌ててライゼスは否定の言葉を絞り出した。
「違います! 貴方にとやかく言われる筋合いはないですが、とにかく誤解です」
「側近とはいえお前が四六時中傍にいるの、おかしーとは思ってたんだよな」
「……話聞いてませんね?」
 すっかり目が据わっているティルを見て、ライゼスは拳を固めた。一発殴るか魔法をぶちかまして冷静になってもらおうとしたのだが、その前にセラが声を上げていた。
「そんな話、とっくに流れただろ」
「元老院の方では流れておりませぬ」
 腕を組み、まるで他人事のように喋るセラに、リーゼアが詰め寄る。その後ろからさらにティルが詰め寄った。冷静さを欠いていてもセラの声は聞こえるらしい。
「詳しく説明してよ」
「何怒ってるんだよ……別に詳しく話すようなことじゃない。単に、他に私に縁談がないだけだ」
 有無を言わさぬ声色でティルから詰め寄られ、セラはたじろいだ。彼がセラにこういう声を向けるのは珍しい。
 答えを聞いて、ティルは首を捻った。ランドエバーほどの大国の王女に縁談がないなどおかしな話だ。
「え、何、なんで? セラちゃんはこんなに超絶可愛くて清楚で可憐で優しいのに、この辺の王侯貴族の目は節穴なの?」
「な、なんて嫌味な男だ……」
 リーゼアがティルに対して怒りに震える声を向ける。ライゼスは反応に困った。恐らくティルは本気だろうから、これではリーゼアの方がセラに失礼である。しかし当のセラはとくに気にした様子もなく、縁談がなくなるまでの経緯を話し始めた。
「いつだったかなぁ……元老院があんまりうるさいから、私より強い男となら結婚してもいいと言ったんだ。それから元老院が何人か連れてきたけど全員返り討ちにした。以来、パッタリ縁談が途絶えてしまって」
 ティルが目を点にして、当時を思い出したライゼスとリーゼアは深い深いため息をついた。
「いや、だって、結婚相手が自分より弱いの嫌だろう」
「一般的にはそうかもしれませんが、姫様の場合賛同いたしかねます……陛下でも連れてこないと無理じゃないですか」
「そうだな。父上のような男なら縁談を考えてもいい」
 ははは、とセラが声を上げて笑う。セラの父――アルフェスは、先の聖戦の英雄であり、大陸でも一・二を争う剣聖だ。そしてセラは剣才をあますことなく受け継いでいる。まだ若いセラならともかく、アルフェスに匹敵するような剣の使い手などは世界中探してもなかなか現れないだろう。
「そんなわけで、私に縁談がないのでレゼクトラ卿が騒いでいるだけだ。父上も母上も時が来たら私が自分で選べばいいと言っているし、私もそう思う。それだけの話だよ」
 笑うのをやめ、セラは話を結んだ。しばし誰も声を上げなかったが、やがてティルが「うぐぐ」とうめき声をもらす。
「ダメ元で挑む!」
 仕舞っていた刀を取り出したティルを見て、セラは意外そうな顔をした。
「珍しい。ずっと嫌がってたくせに」
 今までに何度かセラはティルに手合わせを頼んだことがある。父は多忙だし、ライゼスは剣を使えないので、セラは常々剣の相手を探していた。しかしセラの頼みは二つ返事で引き受けるティルが、手合わせだけは絶対にしてくれなかったのである。
 ティルとしては、セラと違って戦うことが好きではなかったし、まして冗談でもセラに剣を向けるのは嫌だったのだが。
「勝てたら結婚できるんでしょ!?」
「からかってるのか? ……勝てたら考えるよ」
 剣に手をかけたセラを見て、ティルがう、と一歩引く。それから絶望にうちひしがれるようにその場に両手をついた。
「ダメだ……勝てる気がまるでしねぇ……ッ」
 頭を抱えるティルに、リーゼアが汚いものでも見るような目を向ける。
「何をのたうちまわっているんだ、この男は」
「放っておきなさい。どうせ勝てませんし」
 人のことは言えないが、という言葉を胸の中だけに落として、ライゼスはセラに視線を向けた。
「それはともかく、貴方もいい加減剣を振り回すのはやめて下さい。本当に嫁の貰い手がなくなりますよ。その歳で縁談が全くないというのもどうかと……」
「あれくらいで尻込みするような男はこちらから願い下げだ。それに母上が結婚したのは十九だ。あと三年ある」
 両手の指を立てて数えるセラを見て、ライゼスは胃が痛くなってきた。
「人をどうこう言う前に、そのくらいの計算、指を使わないでやって下さい。小等部の子供が笑いますよ……」
「あはは、まあ最悪お前らがいるだろ」
 ライゼスの表情が険悪になってきたのを見て、セラは適当に会話を終わらせようとした。そんな彼女の心情など容易く想像できる、その上で――
 ライゼスは顔がひきつった。そして、足元で未だに唸っていたティルが唸るのをやめて、胃痛が増す。
「……ら?」
 声を上げたのはリーゼアだった。
「今『お前ら』と言いましたか姫様?」
「あ、いや別に深い意味は……」
 スッと目を細めたリーゼアが冷めた声で問いかける。セラは彼女をなだめるように胸の前で両手を上げて制したが、そのころには彼女は剣を抜いていた。そして、迷わずそれをティルめがけて突き立てる。
 まだ床に転がっていたティルは、さらに転がってそれをかわしたが、顔の横に突き立った剣を見てさすがにぞっとした。
「おのれ……姫様を惑わせる下衆め……!」
「惑わされてくれるような人なら苦労してないよ! ね、冗談だよねセラちゃん!?」
「うん」
「即答――ッ! そこは否定して欲しかったッ! しかしボーヤと一括りにされるのも屈辱!」
「それはこっちのセリフですよッ」
 リーゼアの剣を逃れて転がりまわるティルに、ライゼスが腕組みして吐き捨てる。
 おおよそ、いつもの日常。そこに混じる新たな色に、ティルは小さく笑った。
 ――本当に、ここは退屈しない。