クリスマス編2

(※エドワード視点 2011年12月掲載)



 一夜明けても、まだ咲良の熱は下がらなかった。
 荒い息をつきながら、声をかけても返事もままならない様子を見ると、下がるどころか悪化している気がする。
 そんなわけでキッチンに降りて粥を煮ていると、足音がして扉が開いた。
「あら、ありがとう。あの子まだ熱下がってないのね」
「はい。というより上がっている気がします。医者に見せなくて大丈夫でしょうか」
 エプロンをつけながら隣に立つすみれさんに、火加減を見ながらそう聞いてみる。
 この世界では医術がずいぶん進歩していると聞いたけれど、それでも魔法みたいに病が治るというわけではないようだ。苦しそうな咲良の様子に心配になったが、すみれさんはからからと笑った。
「大丈夫よ、病院には昨日ちゃんと行ったしただの風邪って言われたから。普段は無駄に元気なのに一年に一回くらいは派手に熱出すのよ。でも三日もすればいつも下がるから」
 そんなものか。確かに記憶を探れば、弟も幼い頃はよく熱を出した気がする。今も丈夫ではないが、兄上に比べればよほど健康だった。
「でもエドちゃんが看病してくれて助かるわー。わたしは朝ごはん作るから、咲良のことお願いできる? もうすぐ楓も起きてくるし」
「はい」
「薬だけは首絞めてでも飲ませてね」
 首を絞めたら喉を通らない気がするが、私の解釈が間違っているのだろうか。
 とにかく頷くと、すみれさんが朝食の準備に取り掛かったので、私は粥を煮ていた小さな鍋を火からおろすと、それと水と薬を持って咲良の部屋へ向かった。

 ……正直なところ、私は咲良が回復していなくてほっとしていた。
 昨夜どさくさで妙なことを言ってしまった為に、どうしようかとあまり眠れなかったくらいなのだ。治って欲しいと思っているのも心配しているのも本当だが、すみれさんに大丈夫だと言われてしまえば、これでうやむやにできると思ってしまった。
 そんなことを思い悩むくらいなら、あんなこと言わなければ良かったと、それは重々分かっている。だが私はいつもそうなのだ。
 幼い頃から負けず嫌いで、とにかく勝たないと気がすまない。そんな性格だからこんな人生になってしまったのかもしれないが、自分の根本的性格など直そうと思って直せるものではない。おまけに、負け戦でも余裕の笑みで啖呵を切るうち、そんな性格に余計拍車がかかってしまった。
 けど実際には、咲良の部屋の前まで来て、そこから先の一歩がなかなか踏み出せない。
 そんな私を知ったら、咲良はどう思うだろうか。
 いや、むしろその方がいいのかもしれない。
 昨夜だって、頬の一つも染めて俯いて、嬉しいと言っておけばよかったのだろう。なのに私という奴は、解っていながらどうしてそれが出来ないのか。
 昔から、周囲には散々可愛げがないと言われ続けてきた。このままでは咲良からもそう思われてしまうかもしれない。
 咲良はあんなに可愛らしいというのに、私は未だ初対面だと男に間違われる有様だ。
 今日こそは素直になろう。
 昨夜、本当は嬉しくて、でも嬉しいあまり動揺してしまって、自分でも何をやったのかよく分からないんだと正直に言おう。
 そう心に決めて部屋の戸を開け――
 早々に私は怒鳴ってしまった。
「何してるんだ、咲良!」
 着替えていた咲良が、私の声を聞いてびくっと肩を跳ねさせる。
「いや、その、もう治ったかなー……と」
 おずおずとそんなことを言う彼に、私は嘆息しながら盆を置くと、叩きつけるように咲良の額に手を当てた。そうしなくても表情と顔色で、回復してないことくらい一目でわかる。案の定手の平から伝わる体温は尋常ではない。
 体が治っていないことは、本人が一番わかっている筈だ。気まずそうに私を見る咲良を見て、もう一度深々とため息をつきながら、私は手をおろした。
「まだこんなに熱があって、治った訳がないだろう」
「いや、そんな大したことないよ」
 この期に及んでそんなことを言われ、私は思わず彼を睨んでしまった。笑う兵も泣くという折り紙つきの私の一瞥で、ひっと咲良が小さく悲鳴を上げる。
「つべこべ言わず、今すぐ着替えて布団に戻れ!」
「は、はい!」
 条件反射的な返事が返ってはきたものの、それから寝巻きを取る動作は酷く緩慢だ。よほど治ったことにしたいのだろうか。だとしたらその理由は……私、の所為なんだろうか。
「……着替えられないなら、私が着替えさせてやろうか?」
「いえ! 自分でできます!」
 髪を逆立てるくらいの勢いで、真っ赤になった咲良は悲鳴のように叫ぶと、さっきまでののろさや高熱はどこへ、という程の俊敏な動きで寝巻きに着替え、布団に潜った。
 ああ……相変わらず可愛いな。
 微笑ましくそれを見守ったところで、はっと我に返る。
 駄目だ。いつもと全く変わらないじゃないか。
 こういうときは――そうだな。無理をしては駄目だと優しく諭して着替えを手伝い、朝食を食べさせてあげたりするのが女性の在るべき姿だろう。思い直して、粥の盆を取り寄せる。
「……食べさせてやろうか?」
「いえ! 自分でできます!」
 なるべく可憐な微笑みを目指してそう言ってみたら、布団の中からさっきと同じ悲鳴が聞こえた。
 ……何故だ?
 自問している間に、咲良が布団から顔を覗かせる。
「またそうやって笑って。俺をからかうの、そんな楽しい?」
 荒い息の間に不貞腐れた声を聞いて、私の疑念はますます深まる。
 一体何故、こうなってしまうんだろう。
 焦って何も言えない間に、咲良はまた布団を被ると向こうを向いてしまった。
「後で自分で食べるから、置いといて」
 拗ねられた。
 そんなつもりはないのだろうが、明らかに拗ねている様子が可愛くて、ちょっかいをかけたくてうずうずする。
 だが、駄目だ。今は静養させないといけない。それに、薬を飲ませないといけないんだった。すみれさんが言うには、薬は胃に何か入れた状態で飲まないといけないものだそうだ。
「咲良、薬を飲まないと駄目だと、すみれさんが言っていた」
「あとで飲むよ」
 と言われても、咲良は一度寝るとなかなか起きない。薬は一日等間隔で三回と袋に書いてある。
 仕方なく、私は息を吸い込むと口を開いた。
「……私が作った粥が食えぬとでも?」
 ぼそりと呟くと、ぴくっと布団が動く。
「冷えたら不味い。今食わぬのなら下げるが、いいな?」
「う……」
 駄目押しに、ついに咲良はのろのろと起き上がると、私から盆を受け取った。それから、息を整えて、その後で大きなため息をつく。
「はあ。どうせ、どうしたって俺はあんたに勝てないよ」
「何故そんなことを言う?」
 突然のそんな言葉に、私は思わず問いかけてしまった。確かに、私はなんでもかんでも勝ちたがる節はあるが、今はそんな気などなかったのに。拗ねる顔は可愛いのだが、どうしてだか考えるとよくわからない。
 問うと、咲良はひとくち粥を食べてから、じと、と横目でこちらを見た。
「どうせ下がらないってわかってたから、昨夜も俺をからかったんだろ?」
 ――ああ。
 咲良が疑心暗鬼になっている。
 そうさせたのは私なのだということは承知だが、その言葉が胸に刺さった。
 素直じゃない。可愛げがない。今になって、昔婚約者からさんざん言われた言葉が私を苛む。あの頃は、どんなに冷めた目を向けられようが、辛辣なことを言われようが、気にも留まらなかった。けれど、もしあの目を咲良から向けられたらと思うと、劣勢の戦場に放りこまれる以上に怖い。
 この気持ちは何なのだろう。
 いくら愛そうとしても愛せなかった昔と違って、今はいくら抑えようとしても抑えきれない気持ちを、私はこの頃持て余している。
 感情は、いつだって儘ならない。
「……からかってなど、いない」
「はいはい。いいよ、そうやって俺で遊んでれば」
 完全に被害妄想だ。
 そうやって、自棄になったように咲良は粥を平らげて、薬を飲んで水を干すと、また布団にもぐりこんだ。
 ……そのとき、私は悟った。
 咲良はやっぱり何をしていても可愛くて、見ていると楽しくて飽きなくて、嫌われたらどうしようと思いながらも、からかうのをやめられないのだ。
 でも仕方ない。咲良が可愛すぎるのが悪いんだ。いくら私が努力したって、こんなに可愛くはなれやしない。
 開き直ると、私は不貞寝する咲良の枕元に顔を近づけた。
「――咲良。まだ朝になったばかりだ。昨夜の件は今日中に治れば有効だぞ」
「……え!?」
 ぼそ、とその耳元で囁いてから、空の茶碗を持って部屋を出る。
 もしかしたら眠れなくなるかもしれないが、これだけ食事ができれば、もう大丈夫だろう。裏返った声を聞きながら、私は咲良の部屋の戸を閉めた。