ストレンジツインズ 兄妹と禁忌の魔法 3


 切れた息を整え、上下する肩がおさまるのを待って立ち止まる。それから少年は手を持ち上げると拳をつくり、ぐいと乱暴に目をこすった。ほんの少し水滴が手を濡らしたが、何度もこすっているうちにその感触もなくなる。それから一度深呼吸して、家の扉を開けた。
「ただいま」
「おかえり、ヘイル」
 優しい声に出迎えられ、顔がほころぶ。ぼろぼろの靴をぬぎすてて家に上がり、少年ヘイルは声の方へと足を進めた。
「メリルは?」
「庭で遊んでいるわ」
「……調子悪いの?」
 返ってくる声に、押し殺した苦痛を敏感に感じてヘイルはくぐもった声を上げた。古いベッドに横たわったままの母は、だがさきほど感じ取った苦痛など気の所為に思えるくらい明るい顔で、ふふっと笑う。
「そんなことないわ。明日には起き上がれるかもしれないくらい、調子がいいわよ」
 母は手を伸ばすと、まだおさない息子の頭をくしゃりと撫でた。笑顔は変わらなかったが、痩せ細った手は母の言葉を嘘だと証明してしまっている。それに気付かないほど、少年の心は幼くなかった。母は知らないかもしれないが。
「……ねえ、かあさん」
「ん?」
「正義の味方って、いると思う?」
 だけど知らないままでいてほしいから、少年は子どもじみた質問を口に乗せた。そうねえ、と考えて見せる母を、ぼうっと瞳に移しながら。庭の方からは、妹の舌足らずの鼻歌が聞こえてくる。
「いると思うわ」
 童女のような微笑みで母がそう答えたのと同時に、ばたんと家の扉が開く。
「おじゃましまーす」
 驚いて振り向いたヘイルの瞳に、眩ゆい銀髪が揺れた。

■ □ ■ □ ■

「な、なななな何しに来たんだ! ていうかどうやってここに!」
 確実に撒いた筈なのに、と呻く少年に、リゼルはにこっと笑った。
「屋根の上から見てた」
 確かにそれでは、どれだけ複雑な道を選ぼうが無意味であった。絶句する少年をにこにこと見ながら、リゼルが言葉を続ける。
「財布、ちゃんと持ち主に渡してきたから」
「財布?」
 反芻したのは少年ではなかった。彼の後ろから上がった穏やかな女性の声に、リゼルとティラの目がそちらを向く。
「ヘイル、財布って何のこと?」
 少年の顔色がいっきに青ざめ、母を振り返ることもなく硬直する。恨みのこもった視線をリゼルに向けるが、意にも介さず彼は問いかけてきた。
「お母さん、病気なの?」
「……怪我が元で動けなくなった」
 蒼白な顔色のままヘイルがか細い声を上げ、リゼルがああ、と声を上げる。まだこの大陸には設備が整った病院がない。少なくともこの小さな町には、病院のようなものは見当たらなかった。歩けない母を抱えて当てもなく病院を探すには少年は幼すぎるだろう。
「ヘイル」
 焦れた母の声に、ヘイルがびくっと肩を震わせる。その拍子に、どこかから聞こえてきていた舌たらずの鼻歌が止み、玄関の扉が開く音がした。
「おにいちゃんおかえり。どうしたの?」
 ヘイルよりさらに幼い少女が、とてとてとヘイルの前に駆けよって行く。そして、リゼルを興味津津に見上げた。
「うわぁ、きれいなかみ。ねえママ、おひめさまだよー」
 無邪気にはしゃぐ少女を見て、リゼルは相好を崩して彼女を抱きあげた。
「ありがとー。でもお姫様じゃないんだよー。どっちかといえば王子様?」
 意味がわからなかったのだろう、少女が不思議そうに首を傾げる。だが少女の興味はすぐに理解できない言葉からは逸れ、髪を触ろうと手を伸ばしてくる。
「やめろメリル! お前メリルに触んなよっ、馬鹿っ!」
 だがその瞬間足をおもいきり蹴られ、リゼルは苦笑しながらメリルを下ろした。不服そうな声を上げるメリルに「あとでね」と声をかけ、リゼルはヘイルからもメリルからも視線を離した。
「息子がすみません。あなたは?」
「俺はリゼルといいます。後ろは妹のティラ。兄として彼の気持ちはよくわかるんでお気になさらずに。俺だって可愛い妹を他の男に触らせたくはないですからね」
 ぐっと手を握り締めてそんなことを言うリゼルに、黙って見ていたティラはため息を飲み込んだ。後半の言葉はどう考えても必要ない。
「息子が何かしたのでしょうか」
「息子さんが財布を拾って、落とし主を探していたんで手伝ったんですよ。でも時間かかりそうだったし、俺が家に帰しました」
「……そうだったんですか」
 少年の母は、何か言いたげな目を伏せて、そう呟いた。蒼白だった表情に幾分か色を戻し、驚いたように見上げてくるヘイルに、リゼルがそっとウインクをした。
「お母さん、すみません。よかったらその怪我、診せてもらえませんか?」
 その横を通り過ぎ、ティラがそう声を掛ける。
「父が医術を少しかじってましたから、お役に立てるかもしれません」
「……あなたが?」
 息子とそう歳の変わらない少女の大人びた言葉に、少年達の母がまじまじとティラを眺める。だがメリルは無邪気にはしゃぎながら母とティラに駆け寄った。
「わあ、おねえちゃんおいしゃさんなの? おかあさんをなおしてくれるの?」
「お医者さんじゃないけど、少しなら何かできると思うわ」
「ほんと!?」
 嬉しそうに笑いながら、メリルは背伸びして母にかかっている毛布を掴むと、それを少しずらした。脛のあたりに深い裂傷が見えて、ティラが眉をひそめる。
「ちゃんと手当てされてないから、毒が入ったのね。熱もありますか?」
「少し……」
 これは相当に痛むだろうと思えたが、息子達の手前だろうか、母の表情にはそのようなものは見えない。細くか弱そうな女性なのに、母というものはそれだけで強いのだなと、ティラは自分の母を思い出して少しだけ家が懐かしくなった。ティラの母は毛の先ほどのか弱さの欠片もなかったが、それでも温かさは変わらない。
 その温かさを思い出して、ティラは両手を上げた。その小さな手が、複雑な印を結び、淡い光がその手を包む。

『貴き神の御使いよ。我が手によりて、癒しの力となれ』

 ティラの声に呼応するように、光が強まり、そして収まる。
「……嘘。痛みが……」
「完全に治すほどの力は私にはないですけど、治癒力は上がった筈です。熱は、熱さましの薬草を探してきて、あとはちゃんと手当すれば……」
 夢を見ているような声に、ティラが微笑んで答える。だがその言葉は、少年の荒々しい言葉に半ばでかき消された。
「金なんて、ないぞ!!」
 驚いてティラがそちらを見やる。
「別に私、お金を取ろうなんて……」
「嘘つけ! その魔法を使うには沢山お金がいるって聞いたんだぞ! だからオレ……!」
「ヘイル」
 厳しい母の声に、ヘイルの怒声が止む。びくりと肩を跳ねあげたヘイルも、自分の失言に気付いたようだった。
「やっぱり、お金を盗もうとしたのね?」
 震えて顔を上げられないヘイルに代わり、ヘイルの母が体を起こす。
「……すみません。ありがとうございます。でも、私が動けなくなって、うちには本当にお金がないんです。夫が一昨年、病で逝ってしまって」
「いえいえ待って下さい。お金は要りません。俺達は正義の味方ですから」
 にこにこと微笑みながら、リゼルがどーんとふんぞり返り、いつもの馬鹿な決まり文句を口にする。ついに自分まで正義の味方の仲間入りされてしまったことを突っ込みたかったが、ティラはそれ以上に気になることがあってヘイルをつついた。
「ねえ。魔法を使うのにお金がかかるなんて、誰が言ったの?」
 ティラの真剣な顔と声にヘイルが縮こまっていたのも忘れて口を開きかけたとき、また玄関の扉が開いて聞き慣れない声が届いた。
「困るね。人の客を取らないんで欲しいんだけどなあ」
 人を食ったような口調と言葉に、ティラは今しがたの自分の疑問が向こうからやってきたことを察していた。  



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