ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 15


 あっという間にカタはついて、一刀の元に倒れ伏した二人組には目もくれず、リゼルがひゅっと空を切ってから刀を納める。
「安心しろ、峰打ちだ」
 誰に対して言っているのか解らない自己満足の決め台詞を決めたリゼルだったが、浸っている場合ではないことを思い出して、慌ててばっと振り返った。丁度、危機を脱してフリートから解放してもらったティラが、こちらに視線を向けたところで、リゼルはダッシュで駆け出した。
「ティラァァァァァ!!」
 うげ、とティラが呻く間もなく、リゼルがぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
「に、兄さん! 離して! そんな場合じゃないでしょう!」
「そんな場合だぁぁぁ! 寂じがっだよおぉぉぉ!!」
「兄さん鼻水! 汚い! っていうか何よその格好は!!」
 結局ティラまで状況を忘れてリゼルに説教を始める。そうやってぎゃあぎゃあ騒ぐ兄妹を見て、フリートはふっと笑った。だが、すぐにその気配に気付いて笑みを消す。そう。ティラの言う通り、そんな場合ではなかったのだ。
「イリヤ様……」
 フリートが漏らした名前に、さすがにリゼルもティラも、はっとして口を噤む。クレイヴ・シルヴァスの持つランプの灯りが、イリヤの悲壮な表情を映し出していた。
「イリヤ――」
「なんということを……お母様」
 ヴァシリーの声を掻き消して、イリヤが震える声を紡ぐ。
「ティエラを犠牲にしてまでわたくしを王位につけることが、わたくしの為と言うのですか?」
「何を言うのイリヤ。ああ、可哀想に。シルヴァスに何を吹き込まれたのです」
 それでもヴァシリーは毅然とした態度を崩すことはなかった。イリヤの髪を哀れむように撫で付けて、ヴァシリーは尚もシルヴァスを睨みつける。
「汚い男。わたくしを陥れるため、手の混んだことをなさるのね」
「あのさあ、あんたの手下がもう全部ゲロっちゃったんだけど」
「なんて愚かな。それも計略のうちに決まっているでしょう。恐らくそれはわたくしの家臣ではなく、シルヴァスの狗ですわ」
 見下しきった目で冷ややかに告げるヴァシリーに、堪りかねてリゼルは口を挟んだ。だが鮮やかに一蹴されて肩を竦める。リゼルにしてみれば、怒るというより、最早呆れや感心の境地だ。だがシルヴァスはそうではないらしかった。
「ヴァシリー様、どうか正気にお戻り下さい。私があなたを陥れることなど、天地が返っても有り得ませぬ」
「白々しいことを。ねえイリヤ。イリヤはお母様を信じてくれますわよね?」
 シルヴァスの必死の声色も突っぱねて、ヴァシリーは娘に取り縋った。母の懇願に、イリヤの表情が迷う。ああ、とシルヴァスが嘆きを口にして顔を覆い、見かねたリゼルが声を挟もうと息を吸って、だがフリートが肩を叩いてそれを阻止する。
「……わたくしは」
 誰の助けも借りず、イリヤは自分の唇で語りだした。ぎゅっと両手を握り締め、毅然と上げた顔にもう迷いはない。
「わたくしは、グランヴァニス皇女イリヤとして、クレイヴ・シルヴァスに命じます。わたくしの父エアロンの意志を継ぎ、貴方がこの国を導きなさい」
「イリヤ!」
 悲鳴のようなヴァシリーの叫びが響く。そしてヴァシリーが高く手を振りかぶり、引っ叩くつもりだと察してティラは思わず目を瞑ったが、イリヤは毅然として動かなかった。
「わたくしには、民を導くだけの知識も力もありません。そのわたくしが、どうして指導者となれましょうか」
「あなた以上に相応しいものなどいないのよ! あの人の娘である、あなた以上に!」
「血で民を救うことはできません。今わたくしにできることは、道を誤らぬことだけですわ」
 振り上げたまま下ろすことのできない、震えるヴァシリーの手を見つめながら、淡々とイリヤは続ける。
「これは、グランヴァニス皇帝エアロンが遺児、皇女イリヤの采配です」
 皇女たる威厳を纏って、厳かにイリヤが告げる。わずか十の少女が、思わず膝を折ってしまうような、そんな威圧を持って周囲を見渡していた。そのイリヤの前で、実際にシルヴァスは跪き、頭を垂れた。
「よくご決断されました、イリヤ様。エアロン様のご遺志は、このクレイヴが命に代えても必ずお守り致します」
 イリヤが頷いて微笑む。大団円、という空気の中で、だがヴァシリーは一人表情に絶望をたたえて崩れ落ちた。
「……では……、では、一体私には何が残るのです。あの方はこの国に全てを掛け、そしてこの国を遺したのに、それまで奪われて、私は……」
 ぶつぶつとうわごとのように繰り返すヴァシリーに、クレイヴとフリートが哀れみの視線を向ける。だがどうすることもできず、ただヴァシリーの悲壮な声だけがしばらく場に響いていたのだが。
「わたくしでは、不足ですか」
 決心したように、イリヤもまた膝をついてヴァシリーを見上げた。
「わたくしと静かに二人で暮らすことでは、お父様を失ったお母様の哀しみは癒されませんか。――でも、お母様」
 はらりと、イリヤの瞳から涙が舞う。もう、そこに皇女イリヤの面影はなく、歳相応の一人の少女がそこにいた。
「わたくしもずっと寂しかった。わたくしにはお母様が必要ですわ」
 イリヤがすすり泣く傍らで、ヴァシリーが毒気を抜かれたように彼女を見つめる。
 その二人を見つめながら、ティラはそっとリゼルに寄り添った。
 ヴァニス城の離れに、イリヤの嗚咽は夜が明けるまで続いていた。



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