ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 14


 暗い回廊を音もなくフリートは進み、やがて灯りの漏れる部屋の前で立ち止まった。ティラはそっとフリートの腕から地面へと降りると、すぐに扉に耳を押し当てた。
「次は、失敗は許さなくてよ」
 中からは、多分に苛立ちを含んだヴァシリーの怒号が聞こえてくる。
(いきなり当たりかしら)
 扉に当てた手が汗を帯びる。息を殺して、ティラは中の会話に集中した。声の具合と言葉の内容から言って、独り言のようには到底思えない。
「あの小娘がイリヤに成り代わっている今が好機なのです。実際に怪我のひとつふたつもすれば、城の連中も信じるでしょう。あの者が王位欲しさにイリヤの命を狙っていると」
「しかしヴァシリー様、治療や見舞いの間まで誤魔化せますでしょうか?」
「ならば殺しておしまいなさい!」
 おずおずと異を唱えた別の声を、ヴァシリーの叫びが一掃する。その金切り声に、ビクリとティラは身を震わせた。
「……ふふ、そうよ。殺してしまえば良いのですわ。母であるわたくしは疑われることなく、シルヴァスは失脚するでしょう。その後で、奇跡の復活を遂げた聖女としてイリヤが即位するのです。ふふふ……ああ、なんと素晴らしい」
 うっとりと自分に陶酔したようなヴァシリーの笑い声に、ティラはぞっとしたように身を引いた。
 当たって欲しくなかった自分の推理は、これで全てが正しかったのだと裏打ちされる。
 もし、イリヤと自分が入れ代わったこのタイミングで襲撃者が本気になったのが偶然でないのなら――
 黒幕は、イリヤを傷つけることができない者だ。それでもイリヤを襲う理由は、王位を狙ってイリヤの暗殺を企てる者がいると知らしめるため。それが表沙汰になって真っ先に嫌疑をかけられるのは、もう一人の王位候補者であるシルヴァスだろう。これらのことを踏まえると、黒幕はもうヴァシリーしか考えられなかった。だが、ティラはそうあって欲しくなかったのだ。
 せめて、ヴァシリーの一派の者が、独断でやったことであって欲しかった。黒幕が母親などと知れば、イリヤがショックを受けるのは間違いない。
「さあお行きなさい。お膳立てはもう済んでいるのです」
「しかし……イリヤ様がこのことを知れば――」
「これがイリヤにとって最も良い道なのです。全ては、イリヤのためですわ。いずれ、あの子もわたくしに感謝する筈です」
 ぴしゃりと告げるヴァシリーの声は、もはや耳をそばだてていなくともはっきりと届いた。は、と短い返事がして、中の気配が動く。慌ててティラはフリートを振り返り、そしてそのとき初めて異変に気付いた。会話を聞くのに集中しすぎて気付かなかったが、フリートの様子がおかしい。膝を折って、荒い息をついている。
「フリートさん!?」
 肩を揺すって呼びかけたそのとき、丁度扉が開いた。中の灯りにくっきりと照らし出されて、ティラが反射的に顔を覆う。中から現れた黒ずくめが二人、驚いたように身構えて短剣を抜いた。
「まあ、お客様がいらっしゃったのね」
 その二人をかきわけ、ヴァシリーが姿を現す。表面上はまるで敵意など感じられない人の好い笑みを浮かべ、彼女はしずしずと歩み寄ってきた。そこにある得体の知れない威圧にティラは後ずさりかけたが、フリートが動かないのでそれ以上は動けない。
「逃げろ……」
 掠れた声でフリートが呻いたが、ティラは動かなかった。戦えそうもない彼を置いてはいけなかったし、どの道一人で逃げ切ることは無理だろう。
「いいざまですこと、フリート。気付かれない程度に、確実に動きを抑える程度の毒を仕込むのは骨でしてよ」
 ヴァシリーの笑みが一転、残忍なものに変わる。少し距離を置いて彼女は立ち止まると、合図のようにすっと腕を伸ばした。それと同時に、黒ずくめが獲物をかざして近寄ってくる。思わずティラは身を固くしたが、すぐ真後ろで気配が動いてはっとする。そちらを振り向くと、フリートが剣を杖代わりに立ち上がろうとしているのが、部屋から漏れた灯りで見えた。
「……ヴァシリー様。どんなに貴女が変わってしまわれても、おれを拾ってくれたエアロン様や、家族同然に接して下さった貴女へのおれの忠義は変わりません。だからこそ」
 ふらつく体で、フリートはティラの前に進み出ると剣を抜き放った。とても戦えるようには見えないのに、その威圧に押されて黒ずくめ達が一歩退く。
「だからこそ、これ以上貴女に過ちは犯させません」
「クレイヴの狗が、白々しいことを。安心なさい、お前は殺しませんわ。お前が生きていれば、よりクレイヴへの嫌疑は深まりますものね? けれどイリヤを護れなかった役立たずの護衛として、この国を去りなさい」
 高笑いしながら、ヴァシリーが踵を返す。それとちょうど入れ違いに、黒ずくめ達がフリートに襲い掛かる。彼らが一斉に振りかぶった刃をフリートが蹴散らすが、そこにいつものような力強さはなく、反動でフリートが大きくふらつく。
「フリートさん!」
「逃げろ、ティエラ! 聞いただろう、こいつらはおれを殺せない。だから早く行け!」
「――構いませんわ。フリートも殺しておしまいなさい」
 フリートの声を撥ね退けるように、強い調子でヴァシリーが割って入る。その瞳が逃がすまいと真っ直ぐにティラを射抜く。
「殺して遺体は処分なさい。クレイヴの命により暗殺を遂行して逐電。その方が合理的なシナリオですわ」
「あなたというひとは……!」
 駆け出そうとした足が震える。彼女の言葉は挑発にも思えたが、狂気に満ちた笑みは本当に殺しかねないとも思えた。憤りに震えながらティラはヴァシリーを睨んだが、それ以上は何をできる筈もなく、ただ震えを殺して唇を噛み締めるしかできない。その間にも見る間にフリートは劣勢に追い込まれ、その手から剣は弾かれてどうと彼の体が地面に倒れる。
「さようなら、この国の礎になれることを誇りに思いなさい」
 笑うヴァシリーの顔が黒ずくめに遮られて消え、振り上げられる刃が見える。だがすぐにそれも見えなくなる。
「フリートさ――」
 フリートが、身を挺してその間に割って入ったのだった。すっぽりと抱きかかえられもう何も見えなくなったが、フリートが凶刃に倒れる姿が脳裏に浮かんで戦慄する。そしてその次は自分だ。――そこには、あまりにはっきりと死が見えているのに。
 なのに心は絶望していなかった。そして、断末魔の悲鳴と共に、フリートが斃れることもなかった。
 キン、と澄んだ音と共に、ヴァシリーの高笑いが止んで。

「約束、守ってくれてありがとな。だが――」
 
 礼を述べる聞き慣れた声は、酷く不愉快そうだった。
 きっと、今夜は延々拗ねて、くどくど文句を言うのだろうと。それが簡単に想像できて、ティラは状況も忘れて苦笑した。

「俺の妹にくっつくな!!」

 最高に機嫌の悪い怒号と共に、銀色の風が駆け抜けた。



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