06:初任科時代


 警察試験までは、既に半年を切っていた。散らかり放題の机から、漫画や雑誌を床へと払いのけて、悠二はその日から勉強を始めた。とりあえずネットで試験範囲を調べ、苦手な英語あたりの基礎をやり直したが、二日目で諦めた。これでは間に合わないと判断した悠二は、過去問を集め、毎日ノルマを決めてこなした。今度は逆に時間が余ったので、それ以外は適当に遊んで過ごした。
 国家公務員――所謂キャリア組になるのでなければ、警察試験は他の公務員試験よりも比較的易しい。一年後、無事試験に通った悠二は、卒業して警察学校へと入った。
 警察学校は厳しいというのは有名な噂だ。悠二も覚悟して臨んだが、現実は予想をはるかに上回った。何人、否何十人もの同期が毎月のように去って行った。元高校球児だとか、柔剣道有段者だとか、警察官になるのが夢だったと誇らしげに語っていた者たちが、心身共にボロボロになって辞めて行った。
 厳しいのは、なにも訓練だけではない。
 刑務所よろしく起床時と就寝前には点呼があり、一人でもずれたり動いたりすれば何度でもやり直させられる。就寝時など、風呂の後なのに汗だくになるまで点呼を続けさせられた。その風呂にしても時間が短すぎて、風呂に浸かるなどまず無理だった。それどころか、お湯と水が別になっている古いタイプの蛇口は温度調節に時間がかかるため、水で頭と体を流した。風呂の間も見張られているので、時間になったら即出ていかなければならなかった。また、消灯時間後に明かりがついていることは許されないが、確実に消灯時間までには終わらない量の宿題が出され、決して明かりが漏れないよう懐中電灯と共に布団に潜って、汗だくになりながらやった。
 そうしてどれだけ自分が完璧にこなしても、誰かがミスをすれば、連帯責任で容赦なく外出禁止を食らった。泣き事を吐けば「辞めろ」と言われ、毎日のように言われ続けた者は洗脳されたように辞めていった。
 そんな生活の中、悠二も何度教官を殴ってやめてやろうと思ったかわからない。だが、美咲が通った道で音を上げることなどできない――そんな意地で踏みとどまった。そして半年。秋風が吹く頃、初任科を終えた悠二は、まだ着慣れないスーツに身を包んで配属先の署に出勤した。
「日野巡査他三名は、平成××年十月一日から△△署勤務を命ぜられました! 敬礼っ!」

 初出勤の折は、まず配属先の署長に申告することが決められている。同じ配属先になった同期三名と共に一列に並び敬礼すると、署長は「そんな緊張すんな」と笑った。気作な笑顔にややほっとするが、まだどんな曲者か知れたものではない。
「左向けーッ、左!」
 退室して副署長にもほぼ同様の挨拶をすると、その後は会議室で書類を書いたり、ビデオを見たりしながらの説明があったりした。それも終わると、今度は各課への挨拶だ。
「あれっ、悠二じゃん!」
 刑事課、生活安全課、刑務課を回って、交通課に来たときだった。聞き覚えのある声に、思わず「げ」という声が零れてしまう。
「警察学校に入ったっておばさんから聞いたけど、同じ署になったんだ!」
 話し掛けんな、と喉元まで出かかったが、幼馴染とはいえここでは先輩に当たる。縦社会のこの職場で、しかも出勤一日目で右も左もわからない新米が、とてもではないがそんなことは言えなかった。美咲もそういう事情は分かっているのだろう。『ニヤッ』と意地の悪い笑みを見せ、「知り合い?」という他の職員からの問い掛けに、ご近所だと嬉しそうに話していた。
「ま、よろしくね、後輩」
 ばんっと肩を叩かれ、悠二はため息をすんでのところで飲み込んだ。初日からどっと疲れが押し寄せてきた。