03:大学時代


 日野家は警察一家だった。祖父も警察官、父も警察官、母も悠二が産まれるまでは警察官をしていた。勉強や将来のことについて家族に何か言われたことはなかったが、その環境自体が悠二にとってはプレッシャーだった。物心付く頃には周囲から「警察官の子」として見られていることを感じ、小学校の間は優等生であることに努め、テストでいい点数を取ることに執着した。中学は自分から望んで有名私立を受験し、「さすが日野さんとこの子ねぇ」と言われることでほっとしていたのだ。
 しかし、弟の春紀も難なく同じ私立に合格し、常に学年一位をキープするようになると、周囲の視線と期待はあっという間に弟へと移った。それと反比例するように悠二の成績は下降の一途を辿り、高等部に上がる頃にはすっかり落ちこぼれになっていた。  弟に嫉妬しなかったといえば嘘になる。実際悠二は一時期荒れたし、煙草を覚えたのもこの頃からだ。しかしその一方で、どこかすっきりしている自分もいた。春紀が周囲の期待を全て背負ってくれたことで、自分の重荷を降ろせたような気がしたからだ。出来の悪い兄と優等生の弟。そんな立ち位置に甘んじた悠二は、荒んだ気持ちを押さえられない時も、家族と弟のことを考えて、警察の世話にだけはならないよう努めた。
「それ、ロン」
 ぼんやりしていた悠二は、すかさず上がった楽しげな声にはっとして顔を上げた。いつの間にか場に出ていた立値棒に気付いて舌打ちする。 「立値一発タンピン、満貫だな。サンキュー日野」
 向かいからニヤニヤと手を伸ばされ、悠二はセブンスターを咥えながら箱を探った。だが探るほどの点棒もなく、見れば千点棒が五本ばかりあるだけだ。それを全部掴んで場に放り投げ、ジッポの蓋を開ける。
「悪ぃ、ハコった」
「マジかよ。てか、リーチかけられてんのにド真ん中から放るやつがあるか。全然安牌じゃねぇぞ」
「見てなかった。……箱下ありか?」
「そういえば決めてなかったな。どうする? 今誰がトップだっけ」
 卓を囲む面々が自分の点数を確認する間、その必要のない悠二は遠慮なく煙草を吸う。灰皿は既に山盛りになっており、こころなしか部屋の中が曇って見える。
「……日野以外はトントンだな。辛うじて山下が膨らんでるか?」
「俺は差し支えなければそろそろ開きたいな。明日就活セミナー行くから」
「は、お前もう就職考えてんの?」
 続ける雰囲気ではなさそうだ。話に入る気も起きず、日野は煙を吐き出すとその場に寝そべった。
「三年の夏からが基本だぞ。お前らが何も考えてなさすぎなんだって」
「余裕だな。俺は卒業するので精いっぱいだわ」
「日野はなんか考えてんの?」
「……あー」
 話を振られ、悠二は面倒くさそうに声を上げる。それからふと思いついて、体を起こした。
「そだな。ケイサツにでもなるかな」
 友人たちが一瞬きょとんとし、それから、揃って大爆笑する。
「日野が!?」
「ヤベェ、向いてねぇー」
「そうか? 向いてるって言われたことあんだけどなぁ」
 山になった吸殻を崩さないように注意しながら、短くなった煙草を消す。ふと美咲の声が頭をよぎった。

「悠二も警察官になるんでしょ?」

 あの日、高等部の屋上で警察官になると言った美咲。彼女はその言葉通り、高卒で警察官になった。女性警察官は超難関であるにも関わらず、だ。恐らく父のなんらかのコネはあっただろうが、それでも採用数が男子に比べて格段に少ないその狭き門をくぐるのは容易ではない。
「ならねーよ。大体、似合わねーし」
「そんなことないよ!」
 皮肉気に悠二が答えると、美咲は意外なほどに強く否定した。
「悠二は絶対警察官に向いてると思うよ!」
 彼女が何を思ってそう言ったのかは知らない。悠二は警察になる気などなかったし、聞こうとも思わなかった。

「お前の弟は向いてそうだよな。T大進学決まってんだろ?」
「ああ、そういや俺の妹、お前の弟と同じ歳なんだけどさ。全国模試でいっつも一位なんだってな。将来安泰だよな、俺らと違って」
「うるせーな、弟はどうでもいいだろ」
 大学に進学してからは、春紀とも美咲とも全く話をしなくなっていた。大学へは実家から通っていたが、夜中も遊び歩いている悠二は、二人とは全く違った生活スタイルになっていた。しかし、春紀は相変わらずの秀才振りを発揮しているようだ。
「……」
 煙草を取り出しかけ、さっきのが最後の一本だったことを思い出す。
「なぁ、悪ぃけど一本くんない?」
「マルボロでよければ、やるよ」
 そう言って隣の友人がマルボロの箱を差し出してくる。
「……やっぱいいや。俺も帰るわ」
 悠二は首を振ると、ジャケットを掴んで立ち上がった。