06:ビデオと女性徒


 翌日、真夏は矢代が出勤すると、もう一度前の事件の防犯カメラが確認したいと願い出た。矢代は、片肘をついて書類を読みながら、顔も上げずに答えてくる。
「ああ、そうだな。そこに須々木か戸川が映っていれば動かぬ証拠になるだろう」
「それから、この辺で起こった他の防犯カメラも一緒に確認したいんですが」
「なんで?」
 やはり書類に目を落としたまま、矢代が端的に問いかけてくる。真夏は一瞬迷ったが、逡巡の後、覚悟を決めたように声を上げた。
「僕は、その二人が犯人だと思っていません」
「お前、まだそんなことを……」
 背後から日野の声がかかったが、真夏は怯みそうになるのを堪えて、言葉を続けた。
「先日西区にいる同期から、そちらでも痴漢が多発していると聞きました。でも前の署の同僚は、そんなことはないと言うんです。それで私は他の署もあたってみたのですが、痴漢が多発しているのは同じ地下鉄の沿線で、地域もごく限定されていることがわかりました。普通は同一犯と考えるのが自然ですよね?」
「なら、須々木は誤認逮捕で、犯人は戸川だけってことか?」
 日野が隣まで歩いてきて、そう言う。だが真夏は彼の方を向いて、首を横に振った。
「須々木が誤認逮捕である可能性は大きいと思いますが、僕は戸川でもないと思います。戸川はバス通勤ですし、そもそも須々木が逮捕された時間、戸川は出社していたんじゃないでしょうか。裏を取らないと確かなことは言えませんが」
 昨夜、眠れない間に整理した考えを、真夏はゆっくりと声にしていった。自分が感じた違和感や、引っかかった点を、ひとつひとつ丁寧に拾い上げて、心の中で繰り返したことを。
「なら誰が犯人だって言うんだ。戸川の他に男性客はいなかったんだぜ?」
「……思ったんですが」
 予想通り日野は噛みついてきたが、真夏は慌てなかった。
 昨夜、莉子の姉妹喧嘩を見て――正確には、莉子の姉が叫んだ言葉で気付いた可能性。これを聞けばきっと、日野も納得する筈だ。
「犯人が、『男』だとは限らないんじゃないですか?」
「……!」
 そこで始めて、矢代は書類から顔を上げた。日野は尚も言い募ろうとしていたが、はっと何かに思い当ったように口を噤む。
「貶め屋ってやつか……」
「ええ。女性が誰かに指示されてやっている可能性はあると思います。この手段なら極めて少ないリスクで、かつ確実に、恨みを持つ人物に社会的ダメージを与えることができる」
 矢代は既に書類に目を戻していたが、読んではいないのだろう。目を伏せたまま、ふうむと唸る。
「好きにやってみろ」
「ありがとうございます!」
 嬉しそうに返事をして、すぐに真夏が飛び出していく。複雑そうにそれを見送る日野に、矢代は持っていた書類を突きつけた。
「じゃまあ、佐藤にやらせようと思ってたけど、日野やっといて」
「あ、はぁ……」
 デスクに戻っていく日野を一瞥した後、矢代はふうと息をついて椅子にもたれかかり、コーヒーに口をつけた。
「うん、旨い」

 ■ □ ■ □ ■

 それから真夏は、署に防犯カメラの映像を持ちかえると、部屋に篭ってそれらを片っ端からチェックした。ラッシュでごった返す人々を、丁寧に一人一人チェックして、逮捕された瞬間や、事件直後のホームを見比べていく。すると、真夏の思ったとおり、ほぼ全ての映像に映り込んでいる人物がいた。
「係長、いました。ほぼ全ての現場に居合わせた人物が」
 真夏が確認を終えて戻ってきたのは、もう夕方になろうかという頃だった。デスクで書類を書いていた日野が真夏を見上げ、「すげぇ隈」と呟く。
「やはり女性でした。彼女がこの一連の痴漢事件に関係している可能性は高いと思います」
「うん。で、そいつは特定できそうかい?」
 コーヒーを飲みながら、矢代が尋ねてくる。
「あ、はい。特徴的な制服を着ていたので、どこの学校か調べて当たってみます」
 矢代はそれには答えず、飲み終えたカップを机に置いて「不味い」と呟いた。真夏はずっと映像のチェックでこもっていたので、恐らくは日野が入れたのだろう。
「なぁ、真夏。特徴的な制服ってもしかして、襟にチェックの縁取りがある白のブラウスで、クロスが入ったタイをつけてる、フリルスカートの制服じゃねえ?」
 苦笑していると唐突に本人から声をかけられ、真夏は焦った。正確には、唐突だったから焦ったのではない。頭の中を覗いたように、さっき見た制服の特徴をいやに細かく述べられたことに驚いた。
「あ、は、はい。先輩、見てたんですか?」
「見てねえよ。でもあの沿線で特徴的な制服っつったらそこしかねえもん。そこなら聖アリシア女学院だ。ちなみに住所は北区××町二丁目十一」
 自信たっぷりに答える日野に、真夏はある意味感心したが、矢代は呆れたようにため息をついた。
「実は日野が犯人なんじゃないのか」
「やだなー、係長。冗談キツイっす」
 下らない冗談のやりとりに、だが真夏は、日野がいつもの調子に戻っていることにほっとした。最初は変な人だと思っていたが、彼はそうでないと調子が狂う。日野を嫌っている者も多いとは思うが、矢代はなんだかんだで、一目置いているように思えた。
「それなら、これから聖アリシアを当たってみます。教師に映像を見てもらえば、誰かはっきりすると思いますから」
 疲れていたが、真夏はデスクから背広を取って羽織った。
 自分はまだ新米で、できることは少ないが、いつかは自分も誰かに一目置かれる存在になりたい。そのために、目の前にある、自分でもできることひとつひとつを丁寧にこなして行こう。そんなことを思いながら署を飛び出す。

 だが、そうして車に乗り込んだ真夏を窺う視線があることに、真夏は全く気付いていなかった。