01:ネギと美少女


「おう、いらっしゃい」
 立てつけの悪い扉が唸る音に、店主は麺の湯切りをしながら声を上げた。
 夕食時をとうにすぎたこの時間に訪れる客は、大抵馴染みの者しかいない。店主が客に意識を向けるよりも目の前の注文品を優先させたのはそういう理由からだったが、いざそちらに視線を伸ばせば、その考えは半分当たりで半分外れだった。
「大将、久しぶり。新しい客を連れてきましたよ」
 そう声をかけてきたのは、言葉通りここしばらくご無沙汰ではあったが、見慣れた常連客である。だが、連れは見覚えのない若い男だ。客はその二人連れだった。
 彼らはカウンターに陣取ると、若い男の方がきょろきょろと周囲を見回す。
「メニューはねぇよ。定食かラーメンかだ」
「あ、じゃあラーメンで……いや、やっぱりちょっと待って下さい。……定食で」
「おう。兄ちゃんはラーメンでいいよな」
 馴染み客が頷く頃には店主は厨房へと戻っていた。
「いやー、久々に大将のラーメンが食えますよ」
「なんだ、忙しかったのか」
「ええ、でかいヤマがありましてね」
 深刻そうに顔を抱える男を見て、若い男が「え」と声を漏らし、店主は鼻で笑った。
「そんな話は聞かないがな」
 麺を熱湯に放り、冷凍庫から取り出したフライをフライヤーに投げると、店主はリモコンを手にとりテレビのチャンネルをバラエティーからニュースへと合わせる。丁度耳慣れたテーマ曲が流れ、トップニュースはスポーツの話題だった。
「ニュースで取り上げられてなければ平和ってわけじゃないっすよ」
「そりゃそうだろうが、まあ、胡散臭い根拠はそっちの兄ちゃんの馬鹿正直な顔だな」
 言われて男は連れを振りかえり、頭を小突く。
「顔に出るようじゃこの仕事、勤まらないぞ?」
「は、はい、すみません」
 その小言が本気か冗談か声の調子では判別がつきかねたが、どちらにしても若い男の答える言葉はそれ以外にはなかっただろう。そう周囲に確信させるほど人が良さそうな彼は、馴染み客と同じ仕事だとすれば確かに向いていないように見える。
 丼にスープを注ぎながら店主が苦笑していると、ああ、と馴染みの方がまた声を上げた。
「まだ紹介していませんでしたね」
「なんだ、結婚相手でもあるまいし、そんな改まって紹介していらねぇよ」
「まあそう言わずに。まさかの人物なんっすよ〜」
 そう声を上げたところで、また出口の方から派手な音が聞こえる。
「ただいまー! 買ってきたよ、ネギ」
「もっと静かに開けろ! 壊れちまうだろうが」
 そんな会話の応酬に、二人連れの客も揃って出口の方を振りかえる。戸口にいたのは常連の男も見覚えのない、高校生くらいの若い娘だった。
 ジャージに真っ黒なエプロンという酷く色気のないスタイルではあるが、顔は上々だ。ひとつに結わえた髪が、肩に着くか否かのところで歩く度ひょこひょこ揺れる。そうやって彼女は真っ直ぐにカウンターへ歩み寄ると、ネギが覗いたエコバックを店主の方へ突きつけた。
「ギリギリだ。暇がねぇから今すぐ刻め」
「え、ネギないのにラーメン受けたの?」
「久しぶりの客が来たもんでうっかりしていた」
「えぇー、ありえなーい」
 ぶーぶー言いながらも、すぐさま女は厨房へ駆け込むと、ネギを洗い始める。
「大将、バイト雇ったの?」
「俺の娘だ。小遣いが欲しいというから先月から手伝わせている」
「えぇ!?」
 店主の言葉の後半は、男の素っ頓狂な叫びに掻き消された。
「大将、結婚してたのか……」
「常連なのに、知らなかったんですか?」
「だって今まで見たことねえもん」
 連れに突っ込まれ、馴染み客は彼をじろりと睨んで一蹴すると、水差しから水を注いで一気に干した。
「そりゃそうだ。お前らみてえな手の早ぇ連中の前に愛娘を出してたまるかと、今までは店に来るなってきつく言っていたんだ」
「じゃあ、もう手を出していいってことですか?」
「警視クラスになってから言え、馬鹿野郎」
 定年まで働いても無理っすよ〜、と男はふざけて笑ったが、冗談のようなことを言いながら店主はまったく笑っておらず、若い男は目を逸らして水を一口飲んだ。それを見て、娘がくすっと笑う。
「初めまして、娘の莉子(りこ)です。えっと、お客さん達は常連さん? 早く顔覚えますね!」
 刻み終わったネギを乗せ、カウンター越しにラーメンを出しながら、娘がにこっと笑う。それを見て、若い男が慌てたように顔の前で手を振った。
「いえ、僕はこの春から異動でこっちに来た……」
「そうだ、話が途中になったな。さて、まさかの人物とやらの紹介を聞くとするか」
 店主が出した定食の盆を受け取りながら、恥ずかしそうに若い男は名乗りを上げた。