終焉者は謳う 4



 問いかけだけが、頭をぐるぐるとかけめぐった。
 クラストの表情が消えて、景色が回って、体から五感が消える。
「何故、何故姫が生まれんのだ!!」
 金切り声が思考を攫って、セラははっと目を開けた。それと同時に視覚も戻る。周りの景色は一変しており、そこはもうルートガルド城ではなかった。視覚以外の感覚は曖昧なままで、まるで夢を見ているように目の前で事態が展開していく。
「このまま姫が生まれなければ、ユーリアは何のために死んだというのだ」
(……リルドシア王?)
 両手で顔を覆いむせび泣く男を見て、セラはぼんやりと記憶を繋いだ。泣きだすその前に見えた顔は、だいぶ若くはあったがリルドシア王に間違いなかった。彼が吐く台詞もその推測が正しいと裏打ちした。そうしてようやく思考が働き始めたというのに、また目の前の景色にノイズが走って目眩がする。場所は変わらなかったがリルドシア王の顔は少し老け、表情も満面の笑みになっていた。
「ティルフィア。そなたはわしの全てじゃ。生きる希望全てじゃ。この国も、城も、宝も、わしの持つものは全てお前のものじゃ」
 ざ、とまた視界がぶれて、そこに新しい人物を生み出す。
 白磁の肌に対の蒼玉とプラチナブロンド、白いドレスと限りない憂いを纏って、美しき姫は苦渋に満ちた声を零した。
「お父様、どうか目をお覚ましください。国など要りません。わたくしの存在がお父様を狂わせるだけのものだというならば、……真実をお兄様と民にお話します」
 その途端、リルドシア王は弾かれたように笑い出した。対峙していないセラですら空寒くなるくらいの、狂ったような笑い声だった。
「何を言うティルフィア。お前はわしの娘じゃ。今さらそれ以外になどなれぬわ」
「でもわたくしは……! 私は男だ! 姫ではない!」
 さも可笑しそうに王はそう言い放ったが、それを受けて尚、姫は食らいついた。憤りが美しい碧眼から零れおち、爆発するように声になる。王も狂っていたが、姫も正気ではなかった。狂気と狂気は、だがぶつかり合わずにすれ違ってゆく。
「よいか、民など放っておけばよいのだティルフィア。わしのお蔭で今まで生活できたものを、感謝こそすれ恨むような輩などどうなろうと構わん。守られるのを当然として、ユーリアとフィアラを亡くしたわしを悲しみに浸ることすら許さずなお求めることしかせん。そんな奴らなど守る必要はない。わしに必要なのは、ティルフィア――お前だけなのじゃ」
 笑いながら王が一歩踏み出す。膨大な狂気に当てられて、姫が正気に返って一歩退く。
「真実を話すだと? 話せば奴らは怒り狂うだろう。彼らは成功しか望まぬ。過ちなど決して許さぬ。お前とて決して許されぬ。もう誰もお前など見ないし必要としない。姫でないお前が生きる場所は、既にないのじゃ」
 唐突に王は笑いやめ、後退しようとしていたティルフィアの足はそこで止まった。双眸を見開いたまま、全ての時間を止める。
 感覚のない体を、セラはどうにか動かそうと努めた。せめて名を呼びたかったが、そのどちらも叶えられぬまままた視界がぶれて、その先から王の姿は消えてしまった。
「……姫でなければ、誰も必要とはしてくれない……」
 残された姫の口から、か細い呟きが漏れ落ちる。
「だけど、姫でいれば……少なくとも父上は、わたくしを愛してくれる」
 泣き出しそうな声なのに、彼は泣かない。そう呟いた後に、彼は微笑みを浮かべた。信じられぬほど美しく、哀しく、虚ろな笑顔に、セラは激しく頭を振った。
(違う。そんなの違う。ティル――――!!)
 叫びは結局声にならず、そのまま視界はティルの姿だけを残して暗転した。残ったティルの姿にも少しノイズがかかり、そしてまた目眩が起こる。視界がまたはっきりする頃、彼はこちらを向くと微笑んだ。ふわりと花開くような、優しい微笑み。
(ティルじゃ、ない……)
 それにはっとする。長い銀髪も碧眼も瓜二つだったがどこか違う。纏っているドレスも変わっている。何が違うのだろうと考えていると、ふとその笑顔に憂いが混じった。
「ねえ……アレクシス。どうして人は争うのかしらね。戦乱はいつまで続くのでしょうか」
 紡がれる声もティルのものではなかった。もっと高く、鈴が転がるような声だった。誰かに話しかけているようなせりふに振り向いて息を飲む。いつの間にか金髪碧眼の男性が背後に立っていた。だいぶ老いてはいたが、しっかりとした目鼻立ちは、若いころさぞ美しかったのだろうと思わせるものだ。そしてその顔にセラは覚えがあった。
(カルヴァート伯爵……)
 彼はゆっくりと歩みよってくるとこちらをすり抜け、ティルに良く似た女性の肩を抱いた。
「わからん。それに、終わってもまた始まるのだろう。人はその歴史を繰り返している。だが、憎み争い合うからこそ、愛が美しいのだと私は思う――フィアラ」
 その言葉に、フィアラは微笑みから憂いを消すと、頬を染めてカルヴァートを見上げた。だがまたセラの視界にノイズがかかると、もう彼女の表情から笑みは消えて、そして彼女も消えた。景色も伯爵も消えて、暗闇だけになり、そしてざわざわと遠い声だけが聞こえた。
「あんな若く美し人が……ねぇ」
「伯爵さまの財産が目当てなのでしょう。もう伯爵さまもお歳ですしね」
 そんな陰口ばかりがいくつも、さざ波のように押し寄せては消え、ノイズの向こうにうずくまる伯爵の小さな姿が現れる。
「私が……老いているばかりに、フィアラが悪女になってしまう」
 ダメだ、とセラは声にならぬ声を絞った。その先を、セラは知っている。握りしめた手がじっとりと汗ばんだ。
「いや、もしかしたら噂通りなのかもしれぬ。私はもう老いて美しくない。このままでは彼女の愛に偽りなくとも、彼女は他の男に心を奪われる。フィアラは美しい。その傍にいる者も美しく在らねばならない……その愛こそ最も美しい」
 ダメだと繰り返すセラの視界がまた、暗転していく。そうして彼らの姿は消えたが、顛末はわかる。それからフィアらは伯爵の元を去り、狂った伯爵は若さと美を求めて多くの女を手にかけるのだ。
(伯爵……どうして、フィアラを信じなかったんだ。彼女が求めていたのはそんな偽りの美しさじゃない)
 何もなくなった空間にセラは呟いた。あまりにも何もなさすぎて、自分の存在も呟いた声も何もかもあやふやだった。それでもそうせずには居られなかった。だが無為に思えた呟きに、意外にも返事が返ってくる。
「でも、信じるのは怖いの。裏切られてしまうから」
 顔をあげると、ぼんやりとその向こうで輪郭が人を形作る。
「好きでも、好きになって貰えるとは限らない。好きだと言われてもその人の本音なんてわからない」
 ツインテールが揺れ、月明かりの夜の色をした左目がまっすぐにこちらを貫く。その隣に眼帯はなく、深い碧の色をした瞳が神秘的に輝いていた。
「好きだよって言って笑っていたって、心の中では平気で悪態をつけるんだよ、人間って」
(リュナ……)
 名を呟くと、リュナはにこ、と笑った。
「お姉様だって、友達になってくれるって言ってたけど本当はわかんないよね? あたしのこと置いていったもの。連れていってくれるって言ったのに」
(違う、リュナ。それは……)
「お姉様の嘘吐き」
(私は嘘は言っていない!)
 セラは叫ぶと、リュナの小さな両肩を掴もうとした。しかしその手はすり抜け、リュナはくすくすと笑いながら、すこしずつその姿をぼやけさせる。
「ふふ、でもセリエラはさっき、ボクの心を探るためわざとボクに靡いたふりをしたよね?」
 そこから漏れた声に、セラは反射的に手を離した。リュナの小さな体が歪み、等身を伸ばして姿を変える。
「セリエラだってそうやって人を騙す。ティルフィア姫にそうしたように人を傷つける」
「……ッ、だけど私は……」
「そんなつもりはなかったんでしょ? 知っているよ、優しいセリエラ」
 こつ、とクラストが足を踏み出し、それに合わせて暗い視界が一気に赤く染まった。
「……!」
「傷つけるつもりはなくても、傷つけてしまうんだ。哀しいことだよね」
 クラストが赤に溶けて、剣がぶつかり合う音が飛び込んでくる。足元に、たくさんの人物が倒れている。
「大事にしようと思っていても、側にいれば傷つけ合う。人は悲しい生き物だ。この世界はとても理不尽だ。ねえ、セリエラもそう思うでしょう?」
 赤い空の下で、金髪の少年が血にまみれて剣を振るっている。それがぼやけるのはノイズのせいではなく、あふれ落ちる涙のせいだった。