セラの決意 2



「――こんのガキィ!」
 毒づく男の腕をかいくぐって、奪った剣の峰を思い切り男の腹に叩きこむ。ぐえ、と蛙を潰したような声がして、セラは状況も忘れて笑った。だがすぐに剣を離してその場を離れる。剣を持って動き回るには、奪った剣は重すぎた。だがそれを離してしまえば、速さで負ける気はまるでしない。飛びかかってくる男たちの出鱈目な動きを嘲笑いながら、それらをすり抜け、ようやく光の元に出る。その頃には、どうしてこんなことになったのか、考える余裕もできていた。
 ――十歳になったセラは、いつものように城を抜け出して遊んでいた。すると急に後ろから口を塞がれ、意識が遠くなったのだ。気づいたら見知らぬ洞穴にいた。朦朧としながらも周囲を確認すると、目の前にいた見張りであろう男は居眠りしていた。誘拐されたことを理解したセラは、いきなりの脱出の好機に口元を緩めた。一応縛られてはいたが、腕と胴をぐるぐる巻きにされているだけである。こちらはほんの子供で女だ。大した用心もしていないのだろう。セラは身を縮め、衣服の内側を探った。思ったとおり身体検査すらされていない。剣はさすがに取られていたが、服の内側に縫い止めていたナイフは見過ごしてくれたようだ。父がそうしているのを見て真似をしただけのことだったが、思わぬ役に立ったようだ。音を立てぬよう注意しながらそれを使って縄を切る。そうして転寝する男の腰から剣を引き抜き、今に至る――
「あーあ。帰ったらまたラスに怒られるなあ」
 脱出できた安堵感も手伝って、セラは呑気な独り言を言った。セラにしてみれば大問題で、帰ったらライゼスの小言を延々食らうのかと思うと気が重くなった。だがふと、視界の端で何かが煌めいてセラの興味を奪う。そちらに目を向けると、それが自分の剣だと解ってセラは喜々として拾った。セラでも持てるように軽量化された専用の剣だ。出来るだけ軽く作られているため何の装飾もなく、威力も価値もないため野盗が捨てていったのだろう。だがセラにとっては百人力、何よりの価値を持つ。これがあれば、あの程度のならず者に負ける気はしなかった。だからこのときセラは、良いことを――限りなく余計なことを――思いついてしまったのだ。
 この自分を誘拐したならず者を、捕らえて父上の前に差し出してやろう。
 そうすれば、父もライゼスも自分を認めてくれる。小言を聞くこともないだろう。
 そう思ったことを、その直後どれほど後悔したか知れない。剣などに構わず、さっさと逃げてしまえば良かったのだ。だがそのときのセラは高揚感に支配されていて、洞穴からならず者が出てくるのを剣を構えて待った。だが。
「セラ!!」
 よく聞き慣れた声が背後で聞こえて、セラは顔色を変えた。高揚感が一気にしぼんでいく。
「ラス!?」
 幼馴染の姿を視界にとめた瞬間、殺気に振り向く。舌打ちして、セラは身を翻した。この頃ライゼスは、まだ明かりをつけるといった初歩の魔法しか使えなかったし、剣についても何の才能も開花させることができず、戦う力を持たなかった。自分一人ならどうにでもなると思っていたセラは大いに焦った。ライゼスを守りながら大人数を相手にするには分が悪い。咄嗟にライゼスの手を取って逃走を試みたが、二人連れの子供の足ではあっという間に追いつかれて囲まれてしまう。
「剣を捨てろ!」
 完全に自分が甘かったのだと――セラはようやく悟った。
 抵抗を続けてみたが、自分の身を守るだけで精一杯で、気がついたときには、男の一人がライゼスを抱えあげ剣を突き付けていた。ライゼスが懸命に何かを訴えているが、口を塞がれて呻き声にしかならない。が、おそらくは逃げろと言っているのだろう。そんなことくらい想像がつく。できるわけないのに、とセラは舌打ちした。
「ラスを離せ! 貴様らの目的は私だろう。好きにすればいい」
 迷わずセラは剣を放った。それが地面に落ちた瞬間、いままで遠巻きに見ていたものまでこぞってこちらに襲いかかってきた。腰抜けが、と詰るがそれが声になる前に意識は遠のく。
 次に目が覚めたときには、空は赤く赤く染まっていた。何度も夢に見た赤。だけどそれは夢でないのだと、心のどこかでは気付いていた。累々と倒れ伏すならず者たち、否、それだけではない。倒れる者の中には、騎士も混じっている。ゆっくりと起き上がり、セラは視線を伸ばした。その先に見たものに、言葉を失う。音が消える。
 剣を合わせる二人の人物。剣を振りかぶっているのは父。その先にいるのは――
「ラ……ス?」
 呟きは掠れた息にしかならなかった。なんの冗談かと乾いた笑いが漏れたが、太刀筋が見えないほどの速さで打ち合う二人を見れば、それが冗談でないことなど解る。最初は膠着していたのだが、遠目にもアルフェスの表情が変わったのがわかり、いよいよセラは身を固くした。そこからは瞬く間にライゼスが押され、そしてようやく生まれたライゼスの隙に、父が剣を振りかぶる。
 済まない、とアルフェスの唇が紡ぐ。振りかぶった剣が、ライゼスめがけて軌跡を描く。

「――やめてえええええええ!!!」

 反射的に、セラはそこに飛び出していた。すんでのところで、父の剣が止まる。それが肌に触れるのは紙一重だったが、それに対する恐怖は全くなかった。そんなものは、ライゼスがいなくなってしまう恐怖に比べたらどうということはなかった。
「ラスを殺さないで……!」
 ガシャン、と背後で音がする。振り向くと、ライゼスが剣を取り落とし、それを追うように彼も崩れ落ちていた。ぼろぼろと涙が零れ、立ちつくしていると父が震える体を強く抱きしめた。
(私は、強くなろう)
 父の温もりを感じ、意識が遠くなるのを自覚しながらセラは誓った。
(私の為に誰も傷つけぬよう、強くなろう。誰よりも、強く――父上よりも、強く)
 フェードアウトしていく視界の向こうに、幼馴染の穏やかな笑顔が見えた。
(二度とお前にこんなことさせないように――)
 強くなろう。
 強くなろう。
 強くなろう。
 その想いだけを焼きつけて、記憶は閉ざされた。
「……やっと、思い出したよ……ラス」