禁忌の姫 1



 目が覚めたときには、もう随分陽は高いところにあった。カーテンの隙間からそれを確かめて、その眩しさに目をこすりながら、セラはベッドから足だけを降ろした。気分はよかったし体力も回復していた。しかしこの状況でよく眠れるものだと、自嘲気味な溜め息も零れた。隣のベッドはもう空で、部屋には誰もいない。
 任務に出るようになって、城でないところで目覚めるのにもだいぶ慣れた。慣れたのはそれだけではない。ライゼスとティルの喧嘩にも、ティルに口説かれるのも、ライゼスに小言を言われるのも――いやこれは随分昔から慣れていることだったか。くす、と笑って、だが笑みはすぐに溶けた。もう一度ベッドに帰って光を遮るように目を覆う。
 窮屈だが理解してくれる人が傍にいる日々も、新しく始まった仲間と過ごす日々も、セラにとってはかけがえなく幸せな日々だった。いつまでもそんな日々が続くと思えるほど子供ではないが、唐突にそれを奪われるのをすんなり受け入れられるほど大人でもない。悩んでも仕方ないことはわかっている。止まっていても何も変わらないことも知っている。それでも起き上がるのが酷く難しい。だが部屋に響くノックの音だけで、重い体は簡単に動いた。
「――ラス」
 入室してきた幼馴染は、まだベッドの上にいるこちらを見て呆れたような顔をした。
「まだそんな格好をしているんですか、セラ。とっくに朝食の準備はできてますよ」
 説教じみた言葉に、セラもまた苦笑する。だが、
「さあ、さっさと出かけて、毎度攫われる厄介なお姫様を連れて、さっさとランドエバーに帰りましょう」
 ライゼスがそう言うと、セラはベッドを飛び降りて、いつもの笑顔で頷いたのだった。

 目の前には今日も豪華な朝食が並び、手始めにセラはパンに齧りつくと、スプーンを使わずにスープを干した。それに眉をひそめているのは専らライゼスであるという事実はセラの気には留まらないらしい。
「で、クラスト。目的を言う気がないのは解った。だがせめて目的地くらいは言ったらどうなんだ」
「噛みつくのは食事だけにしておいてよ。偶には不機嫌じゃない声も聞きたいんだけど?」
「だったら偶には問いに答えたらどうだ?」
「答えないなんて言ってないよ。せっかちさんだね」
 ふう、と息をついてクラストがナイフを降ろす。思わず身構えたセラの顔を覗きこむように、クラストが言葉を継ぐ。
「というか、察して欲しいものだね。ボクはルートガルドの王子で、キミを妃にしたいと言っている。だとしたら向かう場所はひとつだろう?」
 言いながら、クラストが手を伸ばす。その手が束ね損ねて頬に流れる髪を掬うと、セラは蠅でも叩き落すように無造作にその手をはたいた。そしてライゼスの方を見る。聞きたいことを瞬時に理解して、ライゼスも食事の手を止めた。
「ファラステル大陸の北にある軍事国です。ここからだと、港から船に乗ってリルドシアで下船し、ラーシアを経由して向かうのが普通ですね」
「模範解答をありがとう、ライゼス」
 ぱちぱちと、クラストが今しがたはたかれた手を打ち合わせて白けた拍手を送る。無視してライゼスは食事を再開した。犬だのなんだの言われるのも癇に障るが、気安く呼ばれるのもそれはそれで腹立たしい。だがそんなことをいちいち口にするのはもっと面倒だった。必要なこと以外全て無視するライゼスの態度にクラストは小さく肩を竦め、だが彼もそれ以上は気に留めることはなかった。
「そういうわけで、食事が終わったらリルドシアに向かうよ。懐かしいだろう?」
 会話を続けるクラストの笑顔が何かを含んだものに変わり、セラは目を逸らした。実際、懐かしいと思うほど何度もリルドシアに行ったわけでも、そして行ったのがそれほど昔というわけでもない。数か月前に一度だけ行っただけだ。それが最初の任務だった。任務の内容は、リルドシア王女の護衛。だがそれを思い起こすと、確かに酷く懐かしく思える。
「でもリルドシアも随分住みやすくなったよ。国王は倒れ、近々レイオス王子が正式に王位につく。厄介者の姫ももういないしね」
 回想は、笑いを含んだクラストの声に遮られた。そのこと自体に苛立ったわけではない。だがセラはグラスを掴んで立ち上がった。まだ一度も口をつけていないそれには、並々と水が注がれている。
「……貴様の挑発に乗る気はない。だが敢えて言う」
 抑揚のない声を紡ぎながら、セラはその中身を躊躇なくクラストに向けてぶちまけた。
「二度と私の仲間を愚弄するな」
 グラスを置いて、セラが踵を返す。さすがにクラストも驚いて硬直していたが、やがてふっとその相好を崩した。水が滴る前髪を摘まみながら、やれやれと呟く。
「なかなか最後まで一緒に食事できないなぁ」
「自業自得です」
 リュナが突っ込むと、クラストはくくっと喉を鳴らした。
「ああいう子はついイジメたくなっちゃうんだよね。挑発に乗らないって言っときながらあんなに怒ってるんだもん、可愛いくて仕方ないよ」
 笑いながら呟くクラストに、リュナはべっと舌を出した。