剣と番犬 4



 ランプの灯りが頼りなく揺れ、それがぼんやりとリュナの寝顔を映し出している。規則正しい寝息が聞こえ、セラは毛布をかけ直してやった。そろそろ、夜は冷える。
「……そうですか。スティンの……」
 セラからリュナの素性を聞いて、ライゼスはそれを感慨深げに反芻した。
「不思議な縁ですね。それが事実なら、リュナの父上も母上も、陛下や妃殿下と先の聖戦を一緒に戦った仲間ということになります。僕も両親から何度も聞かされました」
 規則正しく上下する毛布をぼんやりと見つめ、「ああ」とセラもまた頷いた。
「私も何度も聞いた。幼い頃はその話が、どんなお伽噺よりわくわくしたものだな」
「お伽噺って、セラ。れっきとした史実ですよ」
「解っているよ、そのくらい」
 むっとしたようにセラが言葉を返す。だがそれにライゼスが苦笑するとセラもまた笑った。リュナを起こさないよう小声でひとしきり笑うが、それもやがて収まると沈黙が訪れた。それがあまりに長かったので、もしかしたら寝てしまったのかとライゼスが思い始めたとき、それを否定するかのようにセラが声を上げた。
「ラス……」
「はい」
 すぐに返事をすると、彼女が驚いたのが空気で解った。向こうもこちらが寝ていると思っていたのだろう。
 セラはすぐには言葉を継がず、ライゼスも催促しなかったのでまたしばらく沈黙が続く。
「……クラストの言うことは、気にしない方がいいですよ」
 なかなかセラが喋り出さないので、ライゼスは催促する代わりに、違うことを述べた。
「クラストも精神魔法のようなものを使います。こちらの弱みにつけこみたいだけですよ」
「わかっている」
 きっぱりと答える横顔は、迷いこそないものの憂いを帯びている。ずっと一緒だったが、あまり今までに見たことのない表情だ。ライゼスがそのことに少しの寂しさを感じて何も返せずにいる間に、セラはその表情をまっすぐこちらにむけてきた。
「……違うと」
「?」
 何事か呟きかけて、だがセラは言葉を止めた。言い出しにくそうな様子に気付いて察してやろうとするも、あまりにも断片的すぎてそれもまた困難だった。だからせめて、彼女が言葉を継ぐのを黙って待つことにする。
「私が、ティルを傷つけたって言ったとき……それは違うって、言ってくれたよな」
「……ええ」
 顔を上げては俯き、口を開いては閉じを数回繰り返した後、ようやくセラがそう切り出す。
 ティルが去った日の翌朝、雨に濡れて泣いていたセラを思い出しながら、ライゼスは頷いた。否定したのは、彼女を慰めたかったわけではない。わかるからだ。ティルとは性格も考え方も何もかも相容れないが、ただひとつだけ同じことがあったから。
「どうしてそう思う?」
 だから、問われれば今度はライゼスが困って言葉に詰まる番になってしまう。かと言ってあまり答えに迷っては、気休めになってしまう。
「どうしてと言われましても。惚れた晴れたに傷つくも何もないんじゃないですかね」
 目を逸らして咄嗟に捻り出した言葉は、惚れた晴れたの何を知っているわけでもないのに自分でも白々しいと思うものだった。笑われるのではないかと思ったのだが、なかなか返ってこない返事にセラに視線を戻すと、薄闇でもわかるほどに彼女の顔は真っ赤だった。それで、しまったとライゼスは慌てた。あの夜何があったのか、直接セラに聞いたわけではないのだ。これではまるで盗み聞きしたようである。
「き、聞いてたのか?」
 案の定、掠れた声で尋ねてくるセラに、ライゼスは慌てた。
「違います! そんな悪趣味なことしませんよ!」
「じゃあ、何故……!」
「セラの様子で、なんとなくそうじゃないかって思っただけです」
 リュナが起きないかとライゼスは危惧したが、依然として安らかな寝息が聞こえてほっとする。その視線でセラも察したのだろう、まだ顔は赤いがひとまずは落ち着いたようだった。
「……ラスは、知ってたのか?」
「というか、知らないのはセラだけだと思いますけど……」
 セラの問いにそう返すと、彼女は釈然としない表情をした。
「あんなの普通冗談だと思うだろ」
「まあ、それも解りますが」
 確かにセラの言うことにも一理はあるのだが、それにしたってセラが鈍感すぎることは否めない。それを言うのは憚ったのだが、セラは憮然としたままうなだれた。一応は自覚があるのだろう。
「……そういうの、よくわからない。私はラスもティルも好きだし、リュナも父上も母上も隊長も、城の他のみんなも好きだ。でも、そういう好きじゃないんだよな……?」
 何と言っていいか解らず、ライゼスは曖昧に笑った。だが答えなくても、彼女は彼女なりに気付き始めているのだと思う。そういう感情については自分がどうこう言うことでもないとライゼスは沈黙を通す気でいたのだが、気付くとじっと見られていて、少し慌てた。
「ラスは……わかるのか?」
 純真な目で見つめられ、さらに困る。どちらかというと立ち去ったティルの気持ちが解りそうになりながら、ライゼスは曖昧に答えた。
「僕もあまりそういうことに興味はないので。でも……」
 逆説で切ったためだろう。少し不思議そうに、じっとこちらを見つめる見慣れた瞳の色に、ライゼスは微笑んだ。
「わかるような気がします、今は」
 小さく呟く。別に聞こえなくて良かったのだが、静かな部屋の中でそれを阻むものはなく。
 ますますセラは不思議そうな顔をしたが、何か問われる前に話を打ち切る。
「さて、そろそろ休みましょう。しっかり休息をとっておかないと、何かあったときに対処できませんしね」
「う、うん……」
 セラはまだ何か聞きたそうにしていたが、ランプを消そうと手に取ると諦めたようだった。
 仕方なく外套を外し、剣を降ろそうとしたところで、だがセラは手を止めた。
「……ラス」
 剣に視線を落としながら呼ぶ。だがライゼスが振り向いたのに気付いてそちらに目を戻した瞬間、暗い部屋に赤い空がフラッシュバックしてセラは目眩を覚えた。
「なんですか、セラ」
 だが穏やかな声に、一瞬で現実に引き戻される。剣を抱えたまま、セラは目を伏せた。
「……済まない、なんでもない。また、今度でいい……」
 目を伏せると一度に睡魔が襲ってくる。そういえば昨夜ほとんど眠れなかったことを思い出した頃には、もう眠りに落ちていた。
「セラ、ちゃんとベッドで寝ないと風邪を……」
 いつもの癖で小言を言いかけ、だがやめる。すっかり熟睡してしまったセラは、ちょっとやそっとでは起きそうになかった。よほど疲れていたのだろう。体だけでなく、恐らく精神的にも。ふう、と息を吐くと、ライゼスは彼女をベッドまで運んでやった。毛布をかけようとして、抱えたままの剣を取るまいか少し悩む。逡巡の後、そっと指先だけを触れさせると、得体の知れない何かが全身を駆け抜けた。
「…………ッ」
 一瞬視界が赤く染まり、何かに突き動かされるような衝動を覚える。断片的な記憶が頭を駆け抜ける。古いものも新しいものも混じり合って、それはまるで走馬灯のようだった。

 剣を手放した幼いセラ。
 倒れ伏していく黒覆面。
 そして、傷つけてでも奪うと言った彼。

 頭痛がしたが、覚悟を決めるとライゼスは剣をセラの腕から引き抜いた。存外あっさりとそれは叶って、そしてやはりセラに起きる気配はない。
 少しでも気を抜けば、衝動に呑まれてしまいそうだった。酷く困難だったが、どうにか自我を手放さぬように努める。もっと早くこうしておくべきだったと胸の中で吐き捨てる。わかっていたのにできなかった。自分を制御できる自信がなくて、触れぬよう鍵をかけた。そんなことでどうして彼女を守れると思ったのだろうと笑い出したくなる。
 ――だが、遅すぎることはないはずだ。
 夜は冷える。なのに汗でべったりと張り付いた前髪を掻きあげ、ライゼスは剣を握り締めたままその場を後にした。