剣と番犬 3



「お姉様……」
 部屋に帰るなり、灯りもつけずセラはベッドに突っ伏した。後を追ったリュナがそれを見て不安げに呼ぶ。その声が届くと、だがセラはすぐに体を起こした。
「大丈夫だ、リュナ」
 リュナの方が逆に泣きそうで、セラはどうにか笑顔を浮かべた。その笑顔がとても哀しそうで、リュナはますます胸が痛んだ。黙ってセラへと近寄り、ベッドに腰掛ける。
「……リュナ、この旅は危険かもしれない。無理についてこなくていいんだぞ。私なら、大丈夫だから」
「お姉様。お姉様はティルちゃんを傷つけてなんかいません。ティルちゃんはお姉様に救われていました」
 セラには答えぬまま、リュナは別のことを呟いた。もう暗い部屋の中で、リュナは黒ぐろとする床を見つめていた。
「気休めじゃありません。あたしには視えるんです……」
 眼帯を押さえ、リュナはか細い声でそう続けた。セラはもう一度微笑み、リュナに手を伸ばすと頭を撫でた。
「ありがとう、リュナ。でもクラストの言うことも間違ってないと思うんだ……」
 リュナが顔を上げる。こちらを見つめるリュナの隻眼に涙が浮かんでいるのを見て、セラはその頬に手を当てた。
「だから、もう一度会ってちゃんと謝りたい。そう思ってる。だけど」
 不意に頬に当たる手に力がこもったのを感じて、リュナがまた眉を顰める。
「だけどあいつのは違う。クラストは嘘を言っている。私には解る……私を必要だというなら、それは何かに利用する為だ。ティルとは……違う」
「あたしもそう思います、お姉様」
 セラの手に自分の手を重ね、リュナはセラの言葉に同調した。それを聞き、セラは頷くと改めてリュナを見た。
「だからリュナ。巻き込みたくない」
 有無を言わさぬ口調で言うと、リュナは少し寂しそうに隻眼を細めた。その理由が解らずにセラが戸惑う。リュナはもともと旅の途中だったのを、なんだかんだで付き合わせてしまっただけだ。これ以上こちらに同行する理由などリュナにはない筈である。
「君には君の目的がある筈だ。無理に私たちに付き合うことはない」
 そう声に出すと、リュナは泣きそうな表情も寂しそうな色もひっこめて、酷く大人びた顔でニコッと笑った。
「あたしの旅の目的はね……いつかランドエバーの王女様に逢うことだったんです」
 思いもかけないリュナの言葉に、セラは思わずびくりと肩を跳ねさせてしまった。くす、とリュナが笑みを漏らす。きっと、彼女はこちらの正体に気付いているのだろう。
「……何故?」
 短くそれだけ尋ねると、リュナは立ち上がった。何も言わぬまま、月明かりを頼りにリュナがランプに灯を入れる。なかなか返ってこない言葉に、セラは灯りに照らされたリュナの横顔を見ながら色々理由を考えてみた。何か頼みごとがあるなら王女でなく王の方が良い筈だ。お姫様に憧れて、というなら自分は適役ではないだろう。それ以外に何かあるだろうかとぼんやり考えていると、やっとリュナは声を上げた。
「……ランドエバーのミルディン王妃とあたしのママは、とても仲が良い親友同士でした。あたしはずうっと憧れていたんです。ママとミルディン様に」
「!」
 リュナから返ってきたのは、やはり思いがけない言葉で――セラは驚きに言葉を失った。ランプを持ったまま首だけでこちらを振り返ったリュナの、やさしい蒼い瞳の中で橙色の火が揺れている。
「だからあたしは、いつかランドエバーのセリエラ王女に逢いたいって、それが小さい頃からの夢でした。もしかしたら、ママ達のように仲良くなれるんじゃないかって……友達になってくれるかどうかもわからないのに、そんなことばっかり考えてたんですよ」
 ふいにリュナは大人びた表情を消すと、てへ、と気恥かしそうに笑って小さく舌を出した。その頃には、ようやくセラも思い当って納得していた。思い返せば、母もことあるごとに話していた。母の親友で、先の『聖戦』を共に戦った仲間でもある、スティン王家の姫――その娘がリュナだというのなら、父がリュナのことを知っていた風だったのも合点がいく。
「……もしも」
 不思議な縁に驚きながらも、リュナの恥ずかしそうな笑顔を見つめてセラもまた微笑んだ。
「もしもセリエラ王女がここにいたなら、素晴らしい友ができたことを喜ぶと思う」
 リュナが驚いたように笑顔を消し、体ごとセラの方へ向き直る。その彼女に右手を差し出しながら、セラは心を決めた。
「……一緒に来てくれるか、リュナ。クラストに対抗するのに、君の力は頼りになる」
 咄嗟にリュナが何も言えずにいる間に、急かすようにノックの音が部屋に響く。
「少し待ってくれ」
 扉の向こうにそう投げかけ、セラはリュナが動き出すのを待った。ノックの主が誰かなど、叩き方で解る。伊達に城で毎日聞いているわけではない。
「連れていってくれるんですか?」
「ああ。危なくなったら必ず私が守るから」
 力強く微笑むセラに、リュナはぱあっと顔を輝かせた。そして、差し出されたセラの手を両手で握りしめ、ぶんぶんと振り回す。その勢いに、体ごと振り回されそうになりながら、セラは声に出して笑った。リュナもまた華やいだ笑い声をあげ、だが外からの圧力を感じて、共に笑うのをやめ、ついでにリュナもセラの手を振り回すのをやめる。その後で、済まなそうにセラは外に向かって声をあげた。
「ああ、ラス。済まない、入っていいぞ」
「……今、僕の存在を忘れてましたね?」
 入ってきたライゼスに図星の突っ込みを入れられ、セラとリュナは顔を見合わせてもう一度笑った。