剣と番犬 1



 秋晴れの心地よい風が、髪を攫う。
 そろそろ夏の暑さを忘れつつあるが、冬の寒さを実感するまでには至らない心地良い行楽日和。それに初めて見る土地は、本来なら心弾むものだったろう。だが素直にそうすることはできず、彼女は鋭い目つきをさらに険しくした。
 ――アッシュブロンドにアイスグリーンの瞳。青年のように凛々しい容貌をした少女の名は、セリエラ・ルミエル・レーシェル=ランドエバー、世界でも有数の軍事国家ランドエバーの第一王女で愛称をセラという。しかし青年のような少女は中身もまた然りであり、セラはドレスと夜会より剣と冒険を好んだ。そして先の戦で名を馳せた父を誰よりも慕い尊敬するあまり、父王のような騎士になることこそセラの夢だった。それを誰より理解していたのが幼馴染であり側近のライゼス・レゼクトラである。彼は周囲の猛反対と戦い続け、セリエラ王女の騎士としての道を拓いた。それによってできたのが、王国騎士団第九部隊である。
 特殊派遣部隊と銘打たれたその部隊は、実質セラのためだけに作られた名目上だけの部隊だった。その部隊長をライゼスが務め、長らく九部隊は二人だけの異色部隊として王国に在った。そうして任務も与えられず、数年が過ぎた。
 初めて任務に出たのは、つい数か月前のことだ。
「――……」
 そこまで回想をめぐらせて、セラは目を伏せた。胸を掻き混ぜられているような落ち着かない感覚を、おさめるように息を吐く。
「大丈夫ですか、お姉様?」
 心配そうな声がかかり、セラはすぐに目を開けるとそちらを見下ろした。自分の歩調に少し遅れるようにして着いてきていた少女が、声の通り心配そうにこちらを見上げている。頭の上で跳ねるツインテールと幼い容貌に、まるで不釣り合いな黒く大きな眼帯が右目を覆う、そんなアンバランスな容姿の少女。その月明かりの夜の空の色をした隻眼にセラは微笑みかけた。
「大丈夫だ。……そんなに大丈夫でなさそうに見えるか?」
「大丈夫そうに見えるから心配なんです。無理しちゃダメですよ」
「はは……リュナまでラスみたいなことを言うんだな」
 屈託なく笑うセラを見て、リュナと呼ばれた少女は、瞳から幾分心配の色を消した。だがその視界を遮るように、甘い声が間を割る。
「そう、無理はダメだよセリエラ。疲れたなら休憩にするからね。別に急ぎの旅ではないのだから」
 心配は薄らいだが、別の感情にリュナの瞳が曇る。それを見たわけではないが、セラも似たような目つきをすると、笑みを若干苦笑に変えた。
「結構だ。それに私は割と急いでいる」
「どうして?」
「お前はどうか知らないが、私は暇ではないんだ、クラスト」
 淡々としたセラの言葉は、穏やかだが友好的ではない。それを向けられた青年――クラストは、気にするでもなく微笑んだ。風がハニーブロンドを揺らす。
「ふうん?」
 同様に揺れるセラのアッシュブロンドに指を入れながら、クラストは尚も甘く囁く。
「どんな予定があるのかボクには解らないけれど。キミはボクの妃になるのだから、キミの意志も予定も関係ないんだよ?」
「ついていくとは言ったが妃になると言った覚えはないぞ」
「ボクについてくるってことは妃になるということでしょう?」
 再度、セラが溜め息をつく。会話から弾かれたリュナがそれを見て、ぽつりと呟いた。
「なんだか……いつもとあまり変わり映えがない気がしますねえ」
 言いつつ、やや斜め後ろを見遣る。そして、胸のうちでリュナは前言を撤回した。その視線の先には、しかめっ面をした少年がいる。魔法の力がすっかり衰退した昨今では珍しい、魔法使い風のいでたちをしたその明るい金髪の少年は、セリエラ王女の側近ライゼスである。
 リュナの呟きを聞いて、ライゼスは曖昧に苦笑したが特に何も言ってくるわけでもなかった。セラと彼女にまとわりつくクラストにも、今のところ何かを言うわけでもない。それが、リュナに少しの違和感をもたらしていた。
 彼女の言ういつもとは、先日までのことだ。その先日には、クラストはいなかった。代わりに違う者がいたが今はいない。
「いいんですか、ライゼスさん?」
「何がです?」
 名ざしで振ると、ようやく彼は声を上げたが、聞き返されて余計にリュナは腑に落ちない顔をする。
「あの人、ほっといていいんですか? ティルちゃんのときは、あんなに怒ってたのに」
「……」
 不思議そうなリュナの声を受け、ライゼスはそちらに目を向けた。よく真意のわからないその目を、リュナもじっと覗きこむ。
 ティル――本名ティルフィア。リルドシア国王の第十子で、美しい銀髪の姫――だった。だが実際は姫を望んだリルドシア国王に女として育てられていただけで、その中身は軽薄・女好き・腹黒な男性という、ライゼスに言わせればどうしようもない人物である。だが最もどうしようもないのはセラにベタ惚れだった点だ。隙あらばセラにちょっかいをかけるので、気の休まらない日々だった。ティルからすれば、セラと家族同然に育ちいつも傍にいるライゼスは目の敵だったようで、当のセラに呆れられるほど毎日衝突していた。
 それを目の当たりにしてきたリュナは、だから腑に落ちないのだろう。少し間を置いて、ライゼスは答えた。
「……警戒はしていますよ。でもまあ、あの人よりかはいくらかマシですね」
「ライゼスさんて、よっぽどティルちゃんが嫌いなんですねえ? そんなに悪い人じゃないと思いますけど、ティルちゃん」
「だから嫌いなんですよ」
「はえ?」
 意味が解らない、という表情をするリュナにライゼスは再び苦笑を見せた。
「とりあえず、セラが気を許していないので大丈夫です」
「はあ」
「それより、リュナ。本当についてくる気ですか? それに……」
 ライゼスはリュナからセラの方に注意を戻すと、話を変えた。その内容に、リュナもセラ達の方を――というよりもクラストの方を向く。童顔に似つかわしくない憂いのようなものが隻眼に宿る。
 ライゼスの言葉は完結していなかったが、ライゼスはそれを継がなかったし、リュナもそのことに対して何も言わなかった。リュナのそんな態度はいつものことで、彼女はいつも追及してこない。リュナにこちらの素性は話していない。だがクラストの言動で恐らくはもうばれているのではないかとライゼスは思う。それでもリュナは何も言わない。その代わり、自分の素性も話さないが。
「……胸騒ぎがするんです。クラストさんを見ていると、嫌な予感がします。それに、お姉様が心配です」
 それだけぽつりぽつりとリュナが呟き、それからは二人とも黙りこんだ。前を歩くセラとクラストも会話をやめたようで、四人はただ黙々と歩いていた。