さよなら 5



「……どうしても行くんですか、セラ」
 早足に部屋へと戻るセラに追いすがり、先ほどから何度も繰り返している問答をライゼスはなおも続けた。そしてセラも、先ほどから何度も口にした答えを繰り返す。
「ああ」
 彼女が決して前言を翻さないであろうことは、ライゼスにも分かっていることだ。それでも、ライゼスはきゅっと眉根を寄せると、セラの前に回り込み、その進路を止めた。
「僕は反対です」
「知っている」
 足を止めたセラは、てっきり苛立っているものだと思ったがそうではなかった。苦味はあるが、笑みすら浮かべて見つめ返してくる。意外さにライゼスは思わず険しい表情を緩めた。
「セラ?」
「……お前は帰れ」
 しかし、間髪入れずライゼスの表情に険しさが戻る。
「それで僕が、貴方を置いて帰ると思いますか?」
 睨んでも、セラはいつものように睨み返してはこなかった。笑顔のままに言葉を継ぐ。
「ラスこそ、引きとめて私が言うことを聞くと思っているのか? お互い様だろう」
 セラの言い様に、ライゼスは呆れたような溜息をついた。その彼と、苦笑を続けるセラの間に光が差し込む。ようやく、朝日が雲を割ったようだった。セラはライゼスから視線を外すと、その光の差し込む方を見る。回廊から見える中庭中に、雨の雫が輝いている。
「姫はご自分の立場を解っていない。貴方はランドエバーの王女です」
「解っている。……そんな顔するな」
 こちらを見ていないのに、セラがそんなことを言う。きっと傷つけると思っていたから、拍子抜けするのとほっとした思いが混じり合って表情を溶かす。同時に、セラがそれを見越してそう言ったのだと気づく。いつもよりずっと大人びた顔で、セラは朝日を見つめていた。
「前にも言ったが、私は国よりもラスが大事だ」
 言葉の通り、前にも聞き覚えのある言葉を、彼女はもう一度唇に乗せた。そして、こちらを向き直ったセラは、さらにもう一言続けた。
「……ティルもだ」
 眩しいほど強い瞳にこめられた意志は決して動かない。誰より解っているつもりなのに、ライゼスはまだ動けなかった。だがセラはそれを詰りも責めもしなかった。ただ、まっすぐな言葉を投げかけ続ける。
「王家の名を持つからこそ、私は大事なものを簡単に切り捨てられるようにはなりたくない。ランドエバーの名に恥じぬよう、私は行く。胸を張って私の国に帰るために」
 朝日よりもセラが眩しくて、ライゼスは目を細めた。無鉄砲だのじゃじゃ馬だの言われていても、セラは決して王家の誇りを捨ててはいない。どんなに疎んじていても、彼女は国を愛しているし彼女なりに国を案じている。だからこそライゼスもずっと彼女を守り続けてきた。今さらながら、それが間違いでなかったことを強く自覚して両手を握り締める。だが紡ぎかけた言葉はセラに遮られた。
「だから、ラス。私は一人で行く」
 こちらが何を言おうとしたのか、セラにも解っていたのだろう。有無を言わさぬ口調で彼女は先回りする。
「ただでさえお前は謹慎中だった。この上無断で城を離れては……謹慎では済まない。ラスがいない城に帰るのは、嫌なんだ」
 笑みを消して懇願するセラに、逆にライゼスは笑った。
「今さらなにを言っているんですか。謹慎中に出掛けて、姫を連れずに帰ったら余計に大事ですよ。だから貴方は短慮だと言うんです」
 ずばずばと言われ、セラは憮然としたが、事実なので何も言い返せない。だからといって、ライゼスを巻きこめば危険にさらすうえに城での立場がなくなるのも事実だ。だから退くこともできずに再びセラは息を吸う。
「それはそうだが……でも今度ばかりは、だめだ。あのクラストという男、只者ではない。何を考えているかも解らないし、罠かもしれない。国さえ危険に晒すかもしれない。私の行動は間違っているって、本当は解ってる……」
「でも貴方は行くと決めたのでしょう。貴方の信念の元に」
 力を無くしたセラの声を、力強いライゼスの声が遮る。セラは改めて顔を上げるともう一度見慣れた紫の瞳を見つめた。そして、頷く。葛藤はあっても迷いはなかった。いつも自分を叱ってばかりの幼馴染は、今までで一番のこの我儘に、だが満足そうに笑った。
「だったら僕はセラの道を守り、拓く。それが貴方にさえ譲れない、僕の信念です」
 ついに、互いに説得を諦める。それもまた、幼い頃から繰り返してきたことだった。ただ一つ、いつもと違うことがある。セラに進路を譲って、ライゼスは小さくそれを付け足した。
「でも……本当はそれだけじゃないんです」
 歩き出すセラの後姿を視界におさめ、ライゼスが目を細める。
「約束していますから。正々堂々戦うと」
 呟いて、ライゼスは曖昧に笑った。
 朝日は徐々に強まって、彼と彼女の行く先を照らしていった。