さよなら 1



 レリアの言葉通り、その夜はエズワースとレリア、そしてセラ、ライゼス、ティル、リュナと、六人での食事になった。テーブルには豪華な料理が並べられ、リュナは歓声を上げたがセラは冷や汗をかいていた。王女のくせに、フォーマルな食事というのが酷く苦手なのだ。だが縋るように周囲を見てみれば、ティルは勿論ライゼスやリュナまでフォークとナイフを動かす手つきに危なげは無い。レイアですら様になっているというのに、セラは終始びくびくと辺りを窺いながらの食事になった。
「そう気を張らなくとも構わんよ。楽に食べてくれ」
 見かねてエズワースが声をあげ、セラが気まずさと恥ずかしさに頬を赤らめる。
「……セラも、レリアと一緒にテーブルマナーを教わったらどうですか」
 思わず隣にいたライゼスがぼそりと漏らすが、
「いつでも教えて差し上げますわ♪」
 ティルが楽しげに声を上げたのを見て、余計なことを言ったと後悔した。
「しかし、レリアのテーブルマナーも随分上達したな。歌もダンスもだ。本当に驚いたよ」
 レリアの食事を見ながら、エズワースは上機嫌な声を上げた。話を振られてティルが軽く会釈する。
「あんなに勉強も歌のレッスンも大嫌いだったレイアが、今では私も知らないようなことを教えてくれたり、毎晩歌を歌ってくれるんだ。君達には本当に感謝している。よければギルドを通してではなく、正式にここで働いてくれないか」
 思いもかけないエズワースの言葉に、四人は顔を見合わせた。それぞれに、ここでの生活に不満があるわけではない――とくにセラなどは心地よいとさえ思っている。しかし、だからと言ってエズワースの申し出を受けるわけにもいかない。
「……有難いお言葉ですが」
 セラが言葉を濁すと、エズワースはすぐに「ああ」と片手を振った。
「済まない。君達にも都合があるだろう。突然無理を言って悪かった。……それほど感謝しているということだ、気にしないでくれ」
 そう言うとエズワースは再びナイフを動かし始めた。それとは逆に、レリアが手を止める。
「……先生達やリュナちゃん、そのうちいなくなってしまうんですか……」
「レリアちゃん……」
 哀しそうに呟いたレリアに、リュナも眉尻を下げる。少し湿った空気になりながらも、晩餐は続いた。
「ティル先生」
 その空気を払拭するような弾んだ声をレイアが上げたのは、食事が大体終わり、それぞれがデザートも食べ終えて食後の紅茶に手をつけた頃だ。料理はいずれも美味で、デザートにしても、甘いものが嫌いなティルから甘党のリュナまでを納得させる味だった。
 その食事の余韻に浸っていた各々が顔を上げる中、不穏な空気を感じながらも呼ばれたティルはレリアに目を向けた。
「約束ですー。歌、聴かせて下さい」
 にこにこと見つめられ、ティルは「うっ」と僅かに声を漏らした。とりあえず口をつけていたティーカップを受け皿へと戻す。何といって上手く断るか考えているうちに、さらに間の悪いことにエズワースと目が合ってしまった。
「君の歌はレリアがいつも誉めている。私もかねてから聴きたいと思っていたんだ」
「私も聴きたい」
 セラにまで便乗されて、いよいよティルが逃げ場を失くす。歌は昔からよく誉められたものだが、ティル自身は別に歌うことが好きではない。人前で歌うなどもっての他だ。もう姫でない今となっては特にである。だが、期待に満ちたセラの瞳を見ると、どうにも弱い。
「――わかりました」
 碧眼を伏せて、ついにティルは折れた。静かに立ち上がると、皆が口を噤んで彼に注目した。歌が始まる前から、その姿は人を魅了する。やがてうっすらと、伏し目がちに彼は目を開けた。遠目でもわかる長い睫毛の下で、対の蒼玉が瞬く。

「I do not want to get a matter of certain
 For "is" or "is not" I define
 I hope, and hold out my hand to one slender woman
 To thy lip, to thy eyes.

 I can only look up at the sky
 Heaven but the vision of fulfill'd desire
 In a cage which is carried away in the dark
 I sing this song for the Pastime of Eternity
 I am a solitary singer offer my song
 To the sky, to thee, far away.

 A glimmer of the little crescent which had been sought was over
 Ah, may fading life is still singing
 In scarce heard whisper;
 One glimpse ―― yet indeed.」

 時が止まった。誰もがそう思うほど、皆が動きを止め息をも忘れた。
 その声とその歌う姿を、正しく形容する言葉など誰も見つけられないまま、エズワースもレリアも、セラ、リュナ、ライゼスまでもが、時も場所も忘れて歌に聴き入った。まるで歌声に包まれて揺らているような錯覚を覚えるほど美しい声が、透明な旋律を紡いでいく。
 屋敷にいる使用人も雇われ兵も、翼を休めた鳥も、体を丸めた猫も、その声の届いたものは誰も、時を止めただろう。そう確信させる歌声だった。それは昼にも歌っていた、少し物悲しい旋律。だがやはり、どこの国の言葉なのかはわからない。
(でも何故だろう――)
 わからないのに、涙が出そうになるほど胸が締め付けられる。そんな夢心地からふとセラが我に返ったのは、まっすぐにこちらを見る碧眼に気付いたからだった。吸い込まれるような青は宝石のように美しいが、輝くことはない。笑っていても、いつもどこか寂しげな瞳。この歌と同じ、美しいのに胸が締め付けられるほど哀しい瞳だ。
 思わず名を呼び掛けた。だが口を噤む。些細な何かで、歌はふいに途切れてしまいそうだったから。だが構わず呼べばよかったのだと――後悔するなどその時には知る由もなく。

「I do not want to get a matter of certain
 For "is" or "is not" I define
 I hope,and hold out my hand to one slender woman
 To thy lip,to thy …… 、green eyes.」

 視線の先で、ティルは微笑んだ。美しい笑みだった。だが、泣き出しそうな笑みだった。

「――リルドシアの、旧い唄だね」

 歌声が途切れる。
 締め付けられそうなほど凍えた胸が、一気に溶けて騒いだ。ずっと頭にこびりついていた、声。ぱちぱちと、どこか白けた拍手が、開いた戸口から贈られる。
「まさかキミの歌声を再び聴ける日が来るとは思わなかったよ。麗しき雪の君?」
 すぅ――っと。部屋の中の気配が変わる。だがそれはきっと、エズワースやレリアには気づけない変化。それを成したのは、ティルが放った強烈な殺気だった。
 蜂蜜を溶かしたような明るい金色の髪に、水色の瞳。およそだれもが認める美青年は、甘い笑みを浮かべ、未だ拍手をつづけていた。突き刺さるような冷たい殺気を受けても、彼のその態度は何一つ変わらなかった。
「――失礼ではないかね、クラスト。見て解るだろう。今は大事な友人との団欒の途中だ」
 エズワースが不機嫌をあからさまにして声を上げる。それでも青年――クラストは、眉ひとつ動かすことはなく、だが拍手はやめると優雅に一礼をした。
「それはお邪魔しました。ですが、お別れを言おうと思いまして。私はこれにて失礼します。契約は今この時を持って破棄します」
 頭を垂れたまま、恭しく胸に手を添え、クラストが告げる。あのときと同じように、歌うように喋る。どういうことだと、エズワースが声を上げる。だがその頃には、クラストは踵を返していた。同時に、ガタン、とセラが椅子を蹴る。ようやく見つけたというのに、このまま見送る気など毛頭なかった。回廊を横切って中庭へと降りるクラストの背に、叫ぶ。
「待て!!」
 セラの鋭い静止に、青年は足を止ると、ゆっくりと体ごと振り返った。