心の行方 5



 セラが目覚め、さらに一晩が過ぎた。いくら熱が下がったとはいえ、セラは病み上がりだったし、ライゼスとリュナがティルを探している間に日も暮れてしまったため、誰も異を唱えることなく夜を越して今に至る。リュナが部屋に運んでくれた朝食をみんなで取りながら――ティルはついに、フォークを動かす手を止めた。
「で……リュナちゃんはさっきから何してるの」
「お揃いにしています」
 リュナが即答すると、セラが堪え切れずに口元を押さえた。しかし笑い声が指から漏れている。食事を取るティルの背後で、リュナは彼の髪を結っていた。
「昨日、あたし、すごい一生懸命探したんですよ。なのに宿の後ろとか、反則です」
「反則って、いつ誰が作ったルールだよ。ていうかちゃんと謝ったでしょ」
「お詫びしてくれるって言ったでしょ? だからお揃いにします」
 そう言っている間に、ティルの長い銀髪は、リュナと同じツインテールにされていた。
「はぁー、ティルちゃんの髪は綺麗で羨ましいです」
「ちょっと待て。何その呼び方」
 リュナの言葉はいちいち突っ込みどころ満載で、ティルは朝から軽い疲労を覚えていた。だがリュナはそんなことなどお構いなしで、その都度あっけらかんと答えてくる。
「だって、さん付け嫌がるじゃないですか。あ、リボンもつけていいですか」
「勘弁してください」
 リュナがポケットからやたらフリルのついたリボンを取り出すのを見て、ティルは最早なにも突っ込むまいと決めた。その代りに、渾身の拒否を示す。助けを求めるようにセラを見ると、彼女は苦笑しながらも助け舟を出してくれた。
「その辺にしといてやってくれ、リュナ」
「えー……セラさんがそう言うならぁ……」
 絶対似合うと思うのに、と呟きながらもとりあえずリュナがリボンをしまい、ティルが安堵の息をつく。それを見て、セラがまたくすりと笑う。
「……セラちゃん笑いすぎ……」
 恨みがましくティルが唸るが、
「良く似合いますよ」
 全く笑いもせずライゼスがそんなことを言えば、一気に腹立たしさが爆発した。だが憎まれ口を叩く前に、リュナに睨まれて思いとどまる。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
「すまない。リュナは凄いな。ティルが手玉に取られてる」
 笑いながらも、感心してセラはリュナを見た。いつも人を茶化したり手玉にとったりしているティルが年下の少女にやりこめられているのが、セラには可笑しかった。いつもからかわれているので、少し気分が良かったりもする。そのためつい笑ってしまうのだが、憮然とするティルを見て、ひとまず笑いをおさめる努力を始める。リュナはリュナで、セラに止められてしまったので、それ以上ティルをいじるのはやめて食事に戻った。
 しばし、食器が触れあう音だけ響いて。
「それはそうと。あたし、どこかでセラさんに会ったことがある気がするんですけど……」
 ふいにそんなことをリュナが言い出すと、今度はセラとライゼスの手が止まった。まじまじと見られていることに気付き、セラが少し気まずそうに、食事に視線を落とす。
「いや。初対面だと思うが」
「あたしもそう思うんですけど……起きて喋ってたら特に……。その目の色、どこかで」
「リュナ」
 リュナの言葉が瞳の色まで言及すると、セラはそれを遮るように彼女の名を呼んだ。
 ランドエバー人は、金髪碧眼が標準容姿だ。ライゼスもそうだが、セラの瞳の色は少し珍しい。だが、セラと同じ瞳の色を持つ人物がこの国にもう一人いる。瞳だけではない、アッシュがかかった金髪さえ全く同じその人物は、彼女の父。即ち、現ランドエバー国王、アルフェス・ライディス・レーシェル=ランドエバーだ。
 見る限りリュナはランドエバー人の容貌をしていなかったが、だからといってランドエバー国王を知らないとも限らない。セラはリュナに会ったことがないから、リュナが似ている誰かを知っているとしたら、それは国王である可能性が高かった。
「――私も呼び捨てでいい。慣れないから変な気分なんだ」
「そうですか? でも、年上の人を呼び捨てるのって抵抗あります」
 あまり素性を知られたくはなかったので、セラが話を変える。やや強引な変え方に逆に不自然だとライゼスやティルが危惧するが、リュナはとくに気にしていないようだった。ほっとしながらも、話が元に戻らないよう、セラは尚も会話を引っ張った。
「そういえば、リュナは随分小さいのに一人旅なんて偉いな」
「ず、ずいぶんって!」
 子供扱いのセラの台詞に、リュナが憤慨したような声を上げる。
「あたし、十五歳ですよ。そりゃあセラさん達よりは年下かもしれないですけど、そんなに離れてないと思いますっ」
 リュナが心外だ、とでも言うように叫ぶ。それを受けて、三人が改めてリュナに注視する。
「本当か?」
「嘘ぉ」
「そうだったんですか?」
 疑わしげなセラの声と、遠慮のないティルの言葉と、驚いたようなライゼスの様子に、リュナは頬を膨らませた。
「本当ですよッ。失礼ですね」
 そんな子供っぽい仕草をされると、余計子供に見えてしまう。苦笑を堪えていると、さらにリュナはこちらに詰め寄ってきた。
「だからちゃんと一人で旅もできます! お金だってちゃんと自分で稼いで――」
 そこまで言って、リュナははっとしたように言葉を止めた。
「あ、リュナそろそろ仕事しないとです。期限はまだあるんですが、他の依頼もあるし」
「仕事?」
 リュナが賞金稼ぎであることを知らないセラが、疑問の声を上げる。
「彼女、賞金稼ぎらしいです。ラルサの森の野盗退治の途中だったようですよ」
 ライゼスが補足すると、セラはますます驚いたように彼女を見た。
「そうだったのか。それは邪魔したな」
 そして済まなそうに詫び、だがその後一転破顔する。そんなセラの表情の変化に、言い知れぬ嫌な予感を覚えて、ライゼスは慌てて口の中の物を飲み込んだ。だが既に遅い。
「じゃあ、その依頼、私も手伝うよ」
 その頃には、満面の笑みと共に、セラの言葉が明るく部屋に響き渡っていた。
「え、ええ? あたしの依頼をですか?」
 ライゼスは飲み込んだ朝食を吹きそうになった。必死でそれを堪えるが、驚いたのはリュナも同じようだった。頷くセラに、ライゼスが慌てて口を開く。
「セ、セラ。気持ちは解りますが、これ以上帰りが遅れては」
「どうせ遅れてるんだ、これ以上遅れたってどうということはないだろう。それに、帰ったって暇なんだし」
 あっけらかんとそんなことをのたまわれ、ライゼスは絶句した。呆れなのか怒りなのかよくわからない感情が一気にせりあがってきて言葉にならない。言葉にならないのに、それらのよくわからない感情だけが先走って、ただ口をぱくぱくさせながら、とりあえず先日セラが一人前だと認めるような台詞を吐いたのは、全て撤回したい気持ちになっていた。
「ええと、あの、気持ちは嬉しいですけど、あたしは大丈夫です。もともと悪いのはあたしなんですし、期限ならまだまだありますし、あたし一人でやれますから。だから、ね、落ち着きましょうライゼスさん」
 余程取り乱していたのだろうか――と、焦ったようなリュナの声に、ライゼスは我に返った。そして咳払いをひとつし、どうにか頭を落ち着かせる。
「リュナ、仕事の邪魔をしてしまったのは申し訳ないのですが、僕達は急いでいて」
「別に急がなくてもいいじゃないか。私の帰りが遅れて不都合なことなど何もないだろう」
「あ、貴方と言う人は! いい加減ご自分の立場を――――」
「ラス」
 憤りのあまりか、言葉に配慮がなくなってきた彼を、セラが鋭く制する。はっとして言葉を飲んだライゼスに、セラは呆れ半分の視線を投げた。
「少し落ち着け。大体、野党退治など本来は王国騎士の仕事だろう。賞金稼ぎに依頼が出る事態になってるのは騎士の怠慢だ。私達が後始末するのが筋というものじゃないか?」
 そして彼女が口にしたのは、至極もっともな論理ではあった。ライゼスでも反論の余地はないほど正論と言えば正論ではあったのだが、その後ろに大きすぎる穴があることに、セラは気付いているのだろうか。横でティルが「あーあ」と声を漏らしたのと、リュナの目がきらきらと輝いたのに気付いて、ライゼスは片手で顔を覆った。
「王国騎士! セラさんたちは、ランドエバーの騎士様だったんですか!?」
 直後リュナがはしゃいだ声をあげ、各々の様子にきょとんとしていたセラは、そこでようやく自分の失言に気付いたのだった。今しがた自分でライゼスを窘めておきながら、自ら失言を発したことに情けなくなり、セラもまた顔を覆った。それに追い打ちをかけるように、リュナの言葉は続く。
「王国騎士といえば! 誰かに似てると思ったら! アッシュブロンドにアイスグリーンの瞳といえば、あの『ランドエバーの守護神』、アルフェス様と同じじゃないですか!」
 嬉しそうにはしゃぐリュナと対照的に、セラは絶句したまま椅子から転げ落ちそうになった。ライゼスの視線が刺さるのを肌で感じて、だが今回ばかりは彼女も何も言い返せない。
 そんな様子を見ていられずに、ティルは唇を湿らせた。このまま黙っていては素性を露呈するのに等しいことに、どうやら二人は気付いてくれそうにないらしい。
「リュナちゃんは陛下に会ったことがあるの?」
「いえ、直接お会いしたことはないです。でも有名ですし、ママがファンなので! 容姿から誕生日、血液型まで網羅してます!」
「あ、ああ、そう」
 やや肩をコケさせながら、勢いづくリュナに相槌を打つ。セラの父――アルフェスは、大陸を越えてその名を轟かせた剣聖であり、戦乱の時代、列強から祖国ランドエバーを護り抜いた英雄である。加えて、非常に整った容姿をしているので、時の婦人を酷く沸かせたともいう。リュナの母は、丁度その世代なのだろう。それを裏打ちするように、リュナは続けた。
「ママってちょっとミーハーで、通り名がついたりするような有名人にはすぐ食いつくんですよー。もちろんカッコイイ男の人がほとんどですけど、最近だとホラ、ファラステル大陸で有名なすっごい美人なお姫様とか、いいなあいいなあって毎日」
「あー、ところでリュナちゃん。俺さーひとつ気づいたことがあるんだけどさー」
 何か被害がセラだけでなく自分にも及びそうな気配を察し、ティルはリュナの暴走トークについていけない振りで話を変えた。本当はさっきよりも全力で話を変えたいのが本音だったが、顔に出すようなことはしない。リュナの依頼の束に目を落とし、いつもと同じように笑ったままで、そのひとつを指し示す。
「あ、それあたしの依頼……いつの間に」
 驚いてリュナが服の上から探るが、依頼の束の感触はなかった。目を丸くしてティルを見上げると、さらににっこりと、ティルが微笑む。
「さっき。ついでに――78・54・75?」
 突然ティルが口にした数字に、セラとライゼスは意味がわからずきょとんとしたが、リュナだけが唐突に、耳の先までを真っ赤に染めた。
「――――――ッ!!!」
「俺の特技。でさあ」
 ペースを完全に自分主体にできたことに内心で満足しながら、ティルはセラ達にも見えるよう、リュナの依頼の束をテーブルの上に置いた。
「俺はこの大陸の地理には明るくないんだけど……一昨日通ってきたのは確かラルサの森だったよな? ボーヤ」
「え? ええ」
 急に話を振られ、ライゼスは少しどもったがすぐに肯定した。ティルも頷いて、もう一度依頼へと目を戻す。
「これ、違わないか?」
 そう言われて、ライゼスも紙束を覗きこむ。そして、すぐに結論を出した。
「違います。リュナ、昨日あなたがいたのはラルサの森で、この依頼の場所はラーサです。スペルが似ているので良く間違われるのですが、ラーサの森はもっとずっと南――自由都市レアノルトの辺りです」
「ね、手伝うにしろ手伝わないにしろ、どっちみち方角は南なんだよ。というわけでとりあえずここを発たない?」
 とりあえず国王との繋がりを有耶無耶にできたことにほっとしたのだろう、セラが視線だけで感謝を伝えてきて、ティルは目を細めた。だが、リュナの方はというと――うつむいて、プルプルと震えている。
「リュナちゃん、どーしたの?」
 しゃあしゃあとそんなことを言ってくるティルに向け、リュナはぎゅっと拳を固めた。
「…………ティルちゃんの、えっちーーーーーーー!!!!」
 それからティルのツインテールは、数日継続されることになった。