姫は誰のもの 3



 静かで陰気な地下通路は、一転して賑やかになっていた。それはいいことなのかもしれない。暗く、しかも死霊のいる場所を、沈んだ気分で通るのは気が萎える。それよりは良い――と。セラは必死で自分に言い聞かせていた。
「離して下さい!」
「俺だって離したいわアホ! でも離したらセラちゃんが担ぐだろ! そんなの見てられないじゃんか!」
「まだ走れます!」
「遅え! ボーヤに合わせてたら生き埋めになる!」
「貴方だって大して早くありません!」
「うるせーな、俺だってあの変態伯爵と戦って、化け物蹴散らしてきて疲れてんだ! それなのに一人で抜け駆けしやがって!」
「あ、あれは事故です!」
「事故でも許せん!」
 セラの隣では、さきほどからずっとこんなやりとりが続いている。二人とも満身創痍のくせに、なんと元気なことだろう。もはや呆れを通り越して感心してしまう。セラは怪我こそ大したことはなかったが、こんなに盛大に無駄口を叩ける気力など残っていない。それなのに二人の口論は止まるところを知らない。
 しかし、ティルと鉢合わせたのは幸運だと言えた。ティルが言うには、普通に城の階段を下ってきたそうなので、穴から出ずともこのまま進めば脱出できるようだった。しかし、それにはまた死霊がわんさかいる道を通るらしい。ティルの戦力は二人にとって心強いかった。
「けど、なんで急に崩れだしたんだろう」
 セラがふと気になったことを声にすると、ひとまず口論をやめたティルがこちらを向いた。
「うん、俺もわかんない。でももしかしたら、伯爵が死んじゃったかな?」
 伯爵には色々不思議な力があり、様々な魔法具を持っていた。普通、人が死んだから建物が壊れるなどということはない。だがあの伯爵なら、彼の力が潰えたので城が崩れるということもあるかもしれない。そう言外に含まれたティルの発言は説得力があったが、それより気になることがあってライゼスは彼へと視線を落とした。
「……貴方が殺したんですか?」
「殺してはないよ……多分。若干やりすぎたかもしんないけど……」
 困ったように頬を掻くティルを見て、ライゼスは重い息を吐いた。
「はああぁ……。噂の真偽を確かめるだけの任務だったのに、深追いして黒幕死亡ですか。陛下になんと言えばいいのやら」
「じゃあなにか。手加減して俺が死ぬのはいいって言うのか」
「別に僕は困りませんし」
「くそッ、捨てるぞ!」
 きっぱり言い切ったライゼスを、本当に投げ捨ててやろうとティルが身構えていると、
「遊んでいる場合か。気配がする。来るぞ」
 セラに鋭く忠告された。背負っているライゼスを睨みつつ、抜きっ放しの刀を構える。
「邪魔だったら捨てるからな。俺はセラちゃんを優先するぞ」
「望むところですよ」
 吐き捨てると共に、前方から先ほどと同じ、おびただしい数の少女が姿を現す。だが、数としては同じだったが、決定的に違うものがあった。
「ッ!」
「これは……」
 思わずセラは口元を覆った。先ほどまでの女は、ゾンビのようではあったが、体は綺麗なままだった。だが、今回は違った。ソフトに表現するならば、本当に物語に出てくるようなゾンビらしい姿をしている。腐臭が鼻をついた。
「いよいよ、伯爵の力が潰えたようだな」
 目を覆いたくなる衝動に耐えながら、ティルが呟く。
「やはり、所詮まやかしか」
  気が重かったが、セラは剣を構えた。ここを抜けねば脱出できない。だが、この地下ももういくらももたない。今すぐ天井が落ちてきてもおかしくないような状況だった。
「行くぞ!」
 自分に言い聞かせるようにセラが叫ぶ。
 切り捨てる度に飛び散る体液の異臭と腐臭で、鼻が曲がりそうだった。しかし、泣き言を言っている暇はない。今はただ、前に進まねばならない。もはや、彼女らは襲ってくるというより、押し寄せてくると言った方が正しかった。それは、まるで助けを請い、生きた体を求めているようにも見えた。彼女らは呻くだけで喋らないから解らない。ひょっとしたら、まだ美を求めているのかもしれない――いずれにしろ憐れだが、セラ達にはどうしてやることもできなかった。自分が生き延びるために、剣を振るうしかない。折れそうな心を奮わせるように鋭い気合いを込め、閃くセラの剣とティルの刀が道を拓いて行く。
「見えた、階段――」
 ティルが歓声を上げ、セラも表情を少し緩めた。
 だがその瞬間、突然の大きな横揺れとその気の緩みが、セラに致命的な隙を作った。
「セラ!」
「セラちゃん!」
 ライゼスがティルから飛び降り、そしてティルがセラのもとへと走る。だがセラも、それでやられるようなヘマはしない。飛び掛ってくる女を、身を捻って避ける。その代わり受身の姿勢がとれず、咄嗟にセラは剣を離した。振動の中、剣を持ったまま体勢を崩して転がったら大怪我をしかねない。だが倒れこむセラが地面とぶつかる前に、ティルがその体を抱きとめた。一方地面を滑っていった剣は、振動で運ばれ――偶然にもライゼスの足元で、止まる。
「……ゲ」
 思わず、ティルは呻いた。そしてライゼスを置いたまま、迷わず階段までセラを片手で抱えたまま全力疾走する。視界の端で、ライゼスが剣を拾ったのが、見えた――
「ラス!」
 ライゼスを無視してティルが階段を登り始め、セラが慌てる。が、ティルは力づくでそれを抑えた。
「セラちゃんおちついて! ボーヤはたぶん、大丈夫だ」
「大丈夫な訳があるか! 立つのもやっとなんだぞ!」
 セラが暴れる。今すぐ戻りかねない彼女を見下ろし、ティルは致し方なく、その首筋に手刀を降ろした。
「……!」
「ゴメン、でもセラちゃん無茶するから」
 聞こえたかどうかわからないが、ティルは詫びた。そして力が抜けたセラを抱えなおしたのと、地下から雄叫びが聞こえたのは、同時だった。
「……ホラネ。大丈夫でしょ」
 階段に腰を下ろし、誰にともなくティルが呟く。
 ライゼスは、剣に触れると性格が豹変し、狂戦士化する暴走癖の持ち主だ。セラは知らないことだが、ティルは以前それを目の当たりにしたので知っている。暴走時のライゼスが、およそ誰も叶わないのではないかというほどの強さを誇るのも知っていた。手練れの戦士数十人をあっけなく壊滅させたくらいだ。ただ寄ってくるだけの死霊など、満身創痍といえどもどうということはないだろう。
 一応、待っていてやることにして、ティルはセラへ視線を落とした。無防備に眠るセラを見ていると、非常時だというのに邪念が湧いてきて、とっさにティルは視線を外したのだが。
「……うーん。ちゅーくらいならいいかな……」
 非常時とも思えない独白を漏らし、あまつさえティルが本気で葛藤を始めた、そのとき。
 凄まじい殺気に、反射的にティルはその場を飛びのいた。一瞬後、その場所を刃が行き過ぎる。おそらく、避けてなければ首が飛んだだろう位置だ。冷や汗が頬を伝う。
「は、早かったな、ボーヤ。まだ暴走中?」
 別人かと思うほどの凄まじい形相でこちらを睨みつけ、剣をつきつけてくる彼をみれば、答えなど聞くまでもなかった。
「ええと、俺、味方です」
「セラを離せ」
 一応言ってみたのだが、聞く気はないようだった。じり、と距離をつめてくるライゼスに、ティルが慌てる。
「ま、まだ何もしてないよ」
「離せ。でなければ、殺す」
 言うが早いか、恐ろしいスピードで切りつけてきたライゼスの剣を、セラを抱えたまま辛うじて避ける。銀髪が数本、宙を舞った。
「ちょ、ちょっと……」
「離せ」
 依然としてこちらを睨みつけたまま、ライゼスが再び剣を振り上げ、そして告げる。
「離せ。セラは、オレの姫だ。オレが守る」
「……」
 キン、と澄んだ音が、地下が崩れる轟音に混じって駆け抜けた。
「それが、お前の本音か――ライゼス」
 全てを凍らせるほどに冷たい瞳で睨んでくる刀の向こうの相手を、負けないくらい強く睨み返し、ティルは呟いた。そして、ライゼスの剣を跳ね上げて間合いを取る。刀の切っ先をライゼスに向けて牽制を続けながら、ティルはそっとセラの体を下に降ろした。そして、阻むようにその前に立つ。
「――だけど、ここは譲れない。受けて立つぜ」
 そうして紡がれたティルの声に呼応するように、ライゼスもまた剣を構え直した。

 依然として城は震え、悲鳴を上げていた。その轟音は、だが対峙する二人には届いていないかのように、どちらも振動の中、微動だにしていなかった。まだあどけなさを残す顔と、誰もが見惚れるような美貌に、およそそのどちらにも似つかわしくない殺気がまとわりつく。そして双方が満身創痍で、剣を交える前というのに、すでに息は切れていた。それでも互いに互いの隙を見出せず、互いの獲物を向き合わせたまま時間が過ぎる。
 ひときわ大きな轟音が城を駆け抜け、城の振動が収まる。おそらく完全に地下が崩れたのだろう。そして、それをきっかけに――両者は動いていた。
 ライゼスが上段から、そしてティルが下段から、共に大振りの一撃が繰り出されて打ち合わされる。しばしの拮抗。
(力は、互角。速さは――)
 相手の実力を量りながらティルが刀を引いて走る。追随してくるライゼスの横薙ぎを体を低くして避け、懐に入る。だが振り上げた刀を通して、硬い手ごたえが伝わる。弾かれたことを理解し、再び退こうとするも、容易くそれを許してはくれない。鋭い突きを身を捩って避ける。刃が髪紐をかすり、結い上げていた銀髪がばさりと落ちた。
(速さも互角か! あれだけの失血のあと連戦したってのに――)
 化け物かと、胸の内で嘆息する。だがわかっていたことでもあった。いくら手負いとはいえ、剣を持ったライゼスの強さは半端ではない。およそ勝てる相手ではないのだ。おまけに、こちらも万全ではない。しかし、それでも。
 再び打ち合わせた剣を、ティルが下方へ押して封じる。だが次の瞬間には逆に押し戻され、瞬時に体勢を逆転されてティルは舌打ちした。そのままがら空きになった胴を狙ってライゼスの剣が走る。退いても屈んでも避けきれないのを察し、そのまま地を蹴って、剣を飛び越え、肩から受身を取る。無論その頃には頭上に剣が迫っているであろうことは予測がついた。それを視覚で確認する前に、片手を刀身に添えて頭にかざす。間髪いれず、重い衝撃が両腕に伝わる。受けたまま、立ち上がる反動をバネにして、それを弾く。その勢いを殺さず、そのまま打ち下ろした一撃は、だがあっさりと避けられた。ライゼスは全く体勢を崩しておらず、剣の位置も下段の構えに据えられている。
(――しまっ――)
 た、と思い終える間もなく、手が衝撃に震える。打ち上げられたライゼスの剣に、刀は弾き飛ばされ、弧を描いて宙を滑っていった。