セラ、姫になる 3



 支度を済ませると、三人は紙片に書かれていた場所へと向かった。周囲はすっかり暗くなっており、ライゼスの出した灯りだけがほんのりと足元だけを照らしている。指定の場所はかなりの街外れで、既に人通りも明かりの漏れる民家もほとんど姿を消しつつあった。月も雲に隠れてしまい、ライゼスの魔法がなければ足元も覚束ない。だが目的の場所までは、もういくらもないだろう。そこまで近づいて、ティルはようやくずっと気になっていたことを口にした。
「あのね……、セラちゃん。やっぱそれは、どう考えてもまずいと思うんだ」
 急に足を止めたティルに、何事かとセラとライゼスも足を止めて彼を振り返る。ライゼスの明かりの光量が少し上がり、何かを指差した格好のティルを照らした。その指先を追って――ライゼスもまた、同感だったので同意した。
「僕もそう思います」
 普段滅多に意見を合わせない両者から言われて、セラは困ったように、ティルが指したものを抱え込んだ。
「だ、だって。私はこれがないと落ち着かないんだ」
「そんな可愛い顔して物騒なこと言わないでよ」
 珍しく呆れ混じりで、ティルが呟く。セラが大事そうに抱きしめているのは、セラの愛剣だった。今まで着ていた服や荷物は、まとめて宿屋に預けてきた。泊まる予定はなくなったが、数日分の宿泊費は払ってあるので問題ないだろう。持って行って荷物を改められ、男物の服ばかり出てきたらいくらなんでも怪し過ぎる。それと同じくらいに怪しいセラの剣もまた預けておきたかったのだが、セラがどうしてもと言い張って、結局持ってきてしまったのだ。
「持ってないと落ち着かないって気持ちは、わからなくもないけどさ……」
「そういえばティルは刀どうしたんだ?」
 問い返されて、今度はティルが困った顔をした。
「俺はまぁ……あれがないと落ち着かないわけで」
「ほらみろ! 自分だけずるいじゃないか!」
 子どものようにセラが怒鳴る。ティルは――どうしているのかはよくわからないが――衣服の中に刀を仕込むのがやたら上手いのである。そうした特技がセラにもあれば良かったのだが生憎と無いわけで、ドレスを着て大きな剣を抱えるセラの姿はアンバランスもいいところだ。はっきり言って、目立つ。目的地が近づくにつれ、やはり無理矢理にでも置いてこさせればよかったとはライゼスもティルも思ってはいたことだが、二人ともセラが嫌がることを無理強いできないので仕方ない。そして結局今回も、ティルは折れた。
「……わかったよ。じゃあ俺が持つ。セラちゃんが持っていたらどう考えても警戒される」
「ティルが持ってても同じじゃないか?」
「そこはまあ、なんとかして上手くやるよ。とにかく後のことは俺に任せて、セラちゃんもボーヤみたく、ずっと下向いてもじもじしてるくらいが怪しまれないと思うよ」
「好きでしてるわけじゃありません!」
 半分嫌味が混じったティルの声に、そこでようやくライゼスは顔を上げた。それまでティルの言うように、ずっと俯いたままだったのだが。
「そうかな、ラスは俯いてたら勿体無いよ。けっこう可愛いし」
「……」
 全く嬉しくない賞賛を受けて、ライゼスは再び俯いた。
 ノルザに行けるのは女性だけ――仕方なく、ライゼスも女装する羽目になっていた。セラ以上にドレスなど着慣れていないので、結局ライゼスが着ているのはドレスというより余所行きのワンピースくらいなシンプルなものであったが、恥ずかしいのには変わりない。ついでにロングヘアのウイッグまで着用させられていた。が、なかなかどうして、元の顔立ちがあどけないので少女に見えるのである。
「ちょっとは俺の気持ち解ったろ?」
「……不本意ですが」
 ざまあみろ、とばかりに囁いてくるティルの言葉は、悔しいが同意せざるを得なかった。男性にとって、『可愛い』と言われることは、最早屈辱に近い。
「というわけで、剣かして、セラちゃん。――そんな心配しなくても後でちゃんと返してあげるよ。変に疑われたら、それこそ取りあげられちゃうよ?」
 剣に話が戻ると、セラはなんとも言えず悲しそうな顔で剣を抱えなおしたので、ティルもライゼスも苦笑した。だが、ティルに諭され、しぶしぶセラが剣を渡す。
「あー……俺セラちゃんの剣になりたいかもしんない」
「何馬鹿なこと言ってんですか」
 剣を手放すと、途端にしょんぼりしてしまったセラを見て、思わずティルが漏らす。ライゼスに馬鹿にされたが、半分以上は本気だった。セラの剣への依存度は相当に高い。とてもお姫様とは思えない。それぐらい自分に依存してくれればいいのに――などとティルが妄想に浸っていると、
「あ……馬車だ」
 ふとセラが声を上げた。ライゼスにはまだ何も見えなかったが、セラは夜目が利く。セラがそう言うのならあるのだろう。ほどなくして、ちろちろと明かりが揺れているのがライゼスにも見えてきた。それを見て、出していた明かりを消す。人の気配も解るようになってきた。それは向こうも同じだったのだろう。こちらの気配を察して、馬車から男が二人、灯りを手に降りてきた。やや警戒が見えるその人物に、真っ先にティルが歩み寄る。
「酒場のマスターから聞いてきましたの」
 そう言って、ティルはマスターから受け取った紙片を差し出した。男の一人がそれを受け取り、灯りにかざす。そして幾分警戒を薄めて、今度はティルの方を照らした。その瞬間――彼と、その横にいたもう一人も、同時に息を呑んだのがセラたちにも解った。
「う、後ろの二人は」
「友人ですわ。わたくし一人じゃ不安でしたし、二人もノルザに行きたいと言ってましたから。一緒でも構いませんよね?」
 男の声は上擦っていたが、警戒は完全に消えたわけではないようだ。余程用心深いのだろう。ティルの言葉に、灯りがセラとライゼスを照らす。そして男達は「うーん」と声を上げた。
「それで、その抱えているものはなんなんだ?」
 きた――と、セラは緊張に思わず息を止めた。大事な剣だ、奪われたらどうしようと、一人焦る。だがティルは焦る様子など微塵も感じさせず、可愛らしい笑顔を浮かべてみせた。
「これは、代々私の家に伝わる宝剣ですわ。とても価値があるものですので、吸血鬼様に献上しようと思いましたの。いけませんか?」
 問うておきながら有無を言わさぬ口調に、男二人が思わずたじろぐ。そこにすかさずティルは詰め寄った。
「お願いですわ。後ろの二人と、この剣をお持ちすることをお許しくださいまし。他のことなら、何でも言うことを聞きますから」
 これでもか、というほど熱っぽい瞳でティルがすがりつくと、とうとう男が折れた。
「わ、わかった。いいだろう、乗れ。だが今の言葉通り他のことは言うことをきいてもらうぞ」
「有難うございます!」
 ぱっと表情を一変させて笑顔を浮かべる。同時に、セラとライゼスも心の中だけで大きく息をついていた。それにしてもティルの芝居は、毎度ながらたいしたものだとセラは感心した。剣を持っていたのが自分だったなら、確かに警戒されてボロが出てしまっていただろう。ライゼスの方はティルのそういうところには呆れてしまうのだが、助かっているのも事実なので何も言えない。しかし感謝するのも腹立たしいので、馬車に向かいがてらティルが 隣に来ると、ライゼスは小声で揶揄した。
「男嫌いの貴方がよくあそこまでしましたね」
「セラちゃんのためなら、もうなんでもやるよ」
 疲れ混じりに、それでもはっきりと、ティルが応える。そういわれてしまえば、やはり謝辞くらい述べるべきかとも思ったが、自分が言ったところでティルは喜ばないことは予想できたので、やはり黙ったままライゼスは馬車に乗り込んだ。