セラ、姫になる 2



 セラがドレスを選び、店員と言葉を交わしているうちに、ライゼスとティルはフィッティングルームを出た。正確には、ライゼスが引きずり出していた。それも当然のことで、セラの着替えに付き合うわけにもいかない。
 引きずり出されて憮然としていたティルだが、外に出されてしまってからは大人しく自分もドレスを選び始めた。ライゼスとティルもまた、人に着替えに付き合われるわけにいかないのは同じである。セラの支度が終わるまでに、こちらも着替えを済ませておかなければならない。これからのことを考えても、もたもたしている時間はない。
 しかし、無論のことライゼスはドレスなど着たこともないので、どんな基準で何を選べばいいのか見当もつかず、困惑して突っ立っているしかできなかった。だが、ふと見やったティルは既に着替えを終えて髪を結っており、ライゼスは面食らった。
「早いですね。僕はこんなの、何選んでいいのかわかりませんよ」
 嫌味交じりに言ってやる。成り行き上仕方ないとはいえ、上機嫌で女装できるような趣味はライゼスにはない。
「お前と俺を一緒にすんなよ。そもそも俺は、選ばなくていいの。何着ても似合うから」
 八つ当たりにも近いライゼスの嫌味に、彼には一瞥もくれず、ティルがそんなせりふを吐く。
「……前から思ってましたが、貴方少し自意識過剰なんじゃないですか」
「別に、過剰ではないと思いますけれど?」
 渋面で返したライゼスに、唐突に、ティルは口調が変えた。怪訝な顔をするライゼスに向けて、ティルがにこりと微笑んでみせる。中身はどうあれ、その笑顔だけ見れば――美しいと賞賛せざるを得ない。さきほどの酒場のマスターではないが、まっとうな感覚を持った者なら誰でも見惚れる。もっとも、そうでなければ十数年も姫として生活などできなかっただろうが。
 言葉に詰まったライゼスを見て、は、とティルが息を吐く。
「俺は自分を過大評価も過小評価もしない。じゃなければ人を欺くことはできないからな」
 笑う。挑戦的、そして挑発的なその笑顔と表情は、ライゼスにとっては見慣れてきたものではある。だが、彼が決してその顔をセラには向けないこともライゼスは知っている。ライゼスがティルを好まないのは、単にセラにちょっかいをかけるからだけではなく、その多面的な表情が好かなかった。本音がわからないのに信頼関係など築けるわけもない。築くつもりもないのは、やはりセラが絡んでいるからなのだが。
「まだ、誰かを欺く必要があるんですか? しがらみのなくなった今でも?」
「十何年もそうやって生きてみろ、今更生き方なんかそうそう変えられねーよ。ボーヤほど平和な人生送ってきてないんだ」
 さっきの笑顔に、ひとつ新しい感情が混ざる。嘲り。だがライゼスは動じなかった。ティルの意識が向いている範囲が自分だけなら、それが嘲りであれ蔑みであれ、特に相手になってやる必要を感じない。こちらとしても好かれる気など毛頭ないのだ。それでも言葉を返すのは、だから自分の擁護のためではない。
「セラも欺くつもりですか?」
 その名前を出すと、ティルの顔から笑みは消えた。ただ何の表情の起伏もなく、こちらを見返すだけの瞳。静かな威圧がその視線に乗ってくる。一種殺気にも似たそれに、やはりライゼスも退くことはない。
「なぜ貴方は、そんなにセラにこだわるんです」
「……とりあえず、その質問、そっくりそのまま返しとこうか?」
 問いかけに、ティルは目を伏せると一拍おいて質問で返した。ライゼスが動揺したのが目を閉じたままでも伝わってくる。真っ直ぐだったライゼスの瞳が初めて怯んだ。
「僕は――」
 それでも咄嗟に返した言葉が、なかなか先に続かない。沈黙すると、隣で話す店員とセラの声が小さく聞こえてくる。
「……レゼクトラ家は、代々王家に仕えてきました。僕は、姫の臣下です。姫を護るのは当然でしょう」
 どうにか吐き出したのは、そんな言葉だった。酷く客観的に聞こえた自分の声は、だが真理だ。もっとも無難で、もっとも当然で、もっとも正しい答えの筈だ。なのに、いつもは気にならないティルの嘲笑が、やけに苛立つ。
「そうだな。俺みたいな信の置けない男が近づくのを『側近』として捨て置けないのは当然か」
 笑い声と、特定の場所にイントネーションを置いた芝居がかった言い方が癇に障る。とはいえ何を言い返せるわけでもなかった。その言葉に、間違いもないはずだった。なのに。
「で、着替えは終わりましたの?」
 ふいにティルの声のボリュームが上がり、口調も変わる。それが何を意味するのかを察して、ライゼスはビクリと肩をふるわせた。そして弾かれたように振り向くのと、カーテンが開いたのがほぼ同時。現れたのは勿論セラだ。
「話、聞いて――」
 いたんですか、と言いかけて、ライゼスは言葉を途切らせた。
 結い上げられたアッシュブロンドと、しなやかな肢体に纏った白いドレス。飾り気のないシンプルなものだったが、それが恐ろしいほど似合っていた。
「話? 何のことだ?」
 見惚れて言葉を失ったライゼスにきょとんとしてセラが答え、そして少し恥ずかしげに彼女はこちらに歩み寄ってきた。スレンダーラインに深目に入ったスリットから、健康的な脚線美が覗く。セラのことだから、機動性を重視したのだろうとはよく解るのだが、思わすライゼスは目が泳いだ。
「変じゃない、かな」
「とんでもない。とても綺麗ですわ」
 セラは姫のくせにドレスを着慣れていない。似合うとも思っていなかったので、不安そうに尋ねる彼女に、ティルはほぼ歓声に近い声のトーンで賞賛を送った。
「でも、ティルの方が綺麗だ」
 無垢な瞳で言われ、う、とティルが僅かに唸る。
「……あんまり嬉しくない」
 セラの向こうには店員の姿が見えて、ティルは自分だけが聞こえるくらいの声で拗ねたように呟いた。
「なんで?」
 でもセラには聞こえたらしく、問い返してくる。理由などわかり切っているだろうと思うのに、セラにとってはそうではないらしい。
「だって俺、男だし」
「知ってる」
 あっさり答えられて、ティルがため息をつく。そして、じゃあわかってよ、とのど元まで出た言葉を辛うじて飲み込んだ。
「こんな格好褒められて嬉しいわけないじゃん」
「でも綺麗なんだからいいじゃないか」
 どうにもセラには府に落ちないようである。悪気がないのは最初からよくわかっているので怒りは湧かないが、苛立ちもないかといえばそうでもなかった。セラに対しては珍しいことだが、ティルの声が少し荒くなる。
「こんな姿、全然綺麗なんかじゃない。鏡見るのがおぞましいよ。俺はこの姿を鏡で見る度、自分が何なのかわからなくなる」
 俯いて、囁くように吐き捨てるティルの、その聞き取るのに困難な声を全て聞き取っても、セラには理解できなかった。
「……? どんな格好でもティルはティルだろう」
 俯いたまま、ティルは双眸を思い切り見開いた。顔を上げると、思ったとおり、セラはきょとんとしていた。それを見て、思わずティルもきょとんとしてしまう。だがティルのほうは、すぐにその表情は穏やかな笑みに変わった。
「セラちゃんはいつも、俺の欲しいものを簡単にくれるんだな」
「?」
 セラはますますきょとんとしたが、ややあってふとその表情を崩した。
「けど、すまない。任務に付き合わせて、嫌なことさせて」
「いいですわ。もう、嫌ではなくなりましたから」
 謝るセラに、ティルはかげりのない笑顔を見せた。口をついて出た言葉はけして嘘ではなく、重かった気分もどこかに綺麗に消えてしまっていた。