9.


 黄昏の光を浴びて、銀髪が橙に輝いている。それを風がさらさらと撫でていく。夕暮れと風と、それだけなら気にも留めないことを酷く幻想的に描きだすのには見惚れてしまうが、肌寒さを感じてセラは立ち上がった。窓を閉めると、踊っていたカーテンも静かになる。その窓硝子に映る自分の姿を見て、セラは小さく息を吐き出した。この三日ろくに寝ておらず、目の下にはくっきりと隈ができてしまっている。それが、ただでさえ似合わないドレスをさらに浮かせている。
「何故、女に産まれてしまったんだろう」
 ドレスを着て、髪を結い、化粧をして、作法を学び――考えただけで気が遠くなる。
 戦うことで守れるならばどれほど楽であっただろうか。せめて男に産まれれば、少なくともドレスを着ずに済んだのに。
 詮無いことを考えて、セラはベッドの端に腰を下ろした。そうして、ふと思考を止める。
「いや、そうとも……言えないか」
 背中で、規則正しい寝息が聞こえる。未だその瞼の下から蒼玉が覗くことはないが、その呼吸音だけがどうにか冷静を繋ぐものだった。
「思うように生きるというのは、難しいことなんだな……」
 呟きに答えを返すものはいない。

 ■ □ ■
 
「ライゼスさん」
 執務室を出ると同時に、待ち構えていたように声が掛かる。回廊の角から、ツインテールの頭がひょこりと覗き、ライゼスはそちらに足を向けた。
「えっと……その。どうでしたか?」
 不安げに見上げてくる隻眼に、ライゼスは口を開きかけて、閉じた。そして人差し指を口に当てながら、手近な部屋の扉を開け、リュナを手招きする。
 中から静かに扉を閉めて、改めてライゼスはリュナに向き直った。
「とりあえずは……っていうところですかね。陛下も父上も鵜呑みにはしてないと思いますが」
「そうですか。まぁライゼスさんの日頃の行いの賜物ってところです?」
「だからこそ逆に怪しまれている気がしますけどね。……それでも、自分では及第点だと思いますよ」
 はぁ、と一等長い溜息をついて、ライゼスは顔を押さえた。自分でも可笑しいのだが、今になって震えてくる。
 レアノルトから王都までの道程で、セラともリュナとも何度も口裏を合わせ、何度も脳内でシミュレーションした。アルフェスや父から来るであろう質問も予想したし、こと母は厳しめに何パターンか考えた。アドリブで切り抜ける芸当が不得手な分はそこで補うしかない。すぐに答えられなかったりたじろいだりなどすれば、母はその隙を逃さないだろう。一点問題があるなら、王妃ミルディンだけは読めないところがあったので、報告の席にいないことは幸運であったと言える。
「そうですね。あたしもちょっと意外でした。ライゼスさんが嘘の報告までするなんて」
「なら、他にどういう手があったんですか。セラに任せたらもっと……」
 顔を押さえた指の間から、ライゼスがじろりとリュナを見下ろす。だが、口を噤むと、手を離して目を伏せた。
「いや、僕より上手くできたかもしれませんね。今のセラなら」
「でもそうしたら、お姉様はご両親に嘘をつくことになりますよね。……あ、だから――」
「そこまでは考えていませんでしたよ。……そこまで、考える余裕なかった」
 ライゼスが浮かべた笑みは、珍しく自嘲気味だった。
「確かに真実とは違うかもしれないけど、嘘じゃない。あの人が手を下さなくともリルドシア王の命はもたなかった。あの人が……ああしなければセラは確実に刺されていたし、そうなれば僕が殺していたかも……しれません。だから……ッ」
 リュナは何も問うことはしなかったし、もちろん責めてもいなかった。それなのにライゼスは言い訳のように言葉を紡ぐ。その声が掠れている。リュナは俯くと、眼帯を押さえた。
 何度も、口裏を合わせた。ライゼス達が到着したときには、既にリルドシア王は死んでいたのだと。
 だが実際はティルのその手でリルドシア王は死に、そのショックと失血でティルは意識を失くした。
 すぐに回復を試みたが、ティルの傷は癒えず、直に呼吸も停止した。そこでライゼスはやむなく強硬手段に出た。
「ライゼスさんが、あのとき使った、あの魔法……」
 それは、普段ライゼスが使う呪文とは違うものだった。その呪文をリュナは知っている。彼女の眼帯に魔法をかけて、力を封じた術士が使っていたそれは――
「……禁呪です。こんなことのために覚えたものじゃないんですけどね」
 皮肉を込めて、ライゼスが吐き出す。
 禁呪。その行使には術士の魔力ではなく、生命力を使う。すなわち寿命を縮める。
「僕の使える回復魔法なんて、所詮相手の治癒力を高めるくらいのものです。あの人は魔力も生命力も枯渇しつつあって、もう些細な傷すら自然に癒えないほどだった。けど本来回復魔法とは生命力を強めるものではなく与えるものです。それを扱えるだけの力が足りないのなら、命で補えばいい」
 だがそこまでして肉体の傷を癒しても、魂がなければ人は生きられない。現に完璧に傷を癒してもリルドシア王の命は潰えた。魔法で栄華を極めた古代人ですら死者蘇生は儘ならなかったという。
「でも結局、禁呪を使ったところで精霊魔法では無理だった。精霊の力じゃ人の心は作れない……」
「そんな顔しないで下さい、ライゼスさん。あたしなら平気です。後悔もしていません」
 なんでもないような顔で、他愛無い話をするように、リュナがにこっと笑う。ライゼスは心底解せない思いでその笑顔を見下ろした。
 手を下さなくてもリルドシア王は死んでいた。だが結局のところそれは仮定の話である。行ったことは真実の隠蔽だ。それでもリュナの笑顔には屈託がない。
「あたし羨ましかった。いつかランドエバーの王女様と親友になるのがあたしの夢で……でもお姉様にはもうライゼスさんがいて、ライゼスさんには勝てないなぁってずっと思ってた」
「は……はぁ」
 そこで初めてリュナの笑顔は陰ったのだが、その理由がライゼスからすれば全くの斜め上で、生返事を返す。セラが友達と呼べるような相手など、リュナくらいしかいないとライゼスは思うのだが。
「なのにティルちゃんはちゃっかりといつの間にか、二人から三人にしてた。ちょっと悔しかったです」
「ん……それは、わからなくもないですね……」
「ライゼスさん。心理学的には、人との関係を深めるには、秘密を共有するといいそうです」
 リュナが、ピッと人差し指を立てて、ペロっと舌を出す。子供じみてはいるが、リュナにはよく似合っている。
「……ありがとうございます。リュナ」
「だけど……忘れないで下さいね。あたしの力だって大したものじゃないんです」
 リュナが手を下ろす。今まで茶目っ気を帯びていた彼女の声が、一転して憂いを帯びる。それを聞きながら、ライゼスは彼女の忠告を思い出していた。
「……もう行くんですか?」
「パパがこっちに向かってるみたいなので。ここではなく、城下町で落ち合います。詮索されたくないし」
「助かります。……城下町というと、陛下やリュナの父上のご友人の?」
「はい。この眼帯を作ってくれた人のお店です」
 右目を覆う眼帯を指さして、リュナがにっこり笑う。
 母からもアルフェスからも折に触れて聞いている。彼は、聖戦終結の影の功労者であり、古代魔法にも精通する術者だと。それを思い出して、ライゼスはぎゅっと手を握り締めた。
「一つ頼みがあるんですが」
 意外そうに見つめ返してくるリュナが小首を傾げる。だがライゼスが一言二言告げると、二つ返事で頷いた。
「わかりました」
「……ありがとうございます。あと一つ、帰る前にセラに会って休むように言って下さい。……、僕じゃ、どうにもできないんです」
「わかりました。ライゼスさんも、無理しちゃだめですよ? ……崩れそうです」
 背伸びして、リュナはライゼスの頭にポン、と手を乗せた。ライゼスは一度ぱちくりと目を瞬いたが、やがてふっと息を吐き出す。
「リュナだけですよ。僕の心配をしてくれるのは」
「ふふ、ライゼスさんって正直ちょっと近寄りがたかったんですけど。ライゼスさんも人間だったんだなーって今思ってますよ」
「随分な言われようですね……」
 褒められているのかけなされているのかわからず、ライゼスは苦笑した。