2.


 公務のあらましを聞いて執務室を出るなり、三人は一様に溜息をついた。
「エレンがいるなんて聞いてなかったぞ……」
「僕だって知りませんでしたよ。母上になんて久々に会いました」
 げっそりとした表情の二人を見て、ティルが苦笑する。
「なんつーか……ボーヤの父上と母上は両極端に振り切ってんな。なんで結婚したんだ?」
「こっちが聞きたいです」
「ランドエバー七不思議の一つだよなぁ」
 素朴な疑問にライゼスが顔も上げずに即答し、セラが思案顔をする。しかしそういわれると残りの六つが気になってティルは口を開きかけた。が、唐突にセラに睨まれてそれを閉じる。
「それより、ティル。さっきのことだが――」
 責めるような口調で詰め寄られて、ティルは溜息をかみ殺した。言われるとは思ったが、このまま有耶無耶にできるかもしれないと思っていたところだ。正直こういうところが成長されても困るものである。はぐらかせないと知って、仕方なくティルは再び口を開いた。
「さっきのは建前だよ」
 セラの言葉が終わる前に言葉を被せる。
「俺はもう第九部隊にいたときみたいな曖昧な立場じゃない。リルドシア王家の人間としてここにいる。俺の発言や行動が国交に影響することもあるし、兄上の立場を危うくすることもあるんだ。自分だけの考えや価値観で発言していいわけじゃない――それくらい解るよね?」
 淡々と述べられて、セラは気圧されたように目をパチパチと瞬いた。
「陛下やセラちゃんには本当に良くしてもらって感謝してる。でも俺がそれに甘んじていいわけじゃない。今日はボーヤの母上もいたしね。そろそろ俺の事情も理解してよ」
 項垂れるセラから目を背けると、ティルは今度はライゼスへと視線を向けた。
「お前もいちいちありのまま報告してんなよ。適当に俺のせいにしとけば俺もお前もラクなのに」
 水を向けられ、ライゼスが腕を組む。
「僕に虚偽の報告をしろとでも?」
「違うって……。嘘にならない程度に都合よくって言ってんの。そんな難しいことじゃないだろ」
「……難しいですよ」
 ライゼスは腕を組んだまま、視線を鋭くしてティルを見返した。
「貴方と違って口が上手くないんです」
「ホント融通が利かない奴だな……」
「それをどうにかしたくても、今更どうにもならないですよ。僕だって――」
 そこでライゼスは滑らせそうになった言葉を飲み込んだ。怪訝に見つめ返してくる碧眼から視線を外すと、そのまま会話は終わる。
「まぁ、いいや。じゃあ俺は用事があるから」
 片手を振って、ティルは二人に背を向けた。
「……用事?」
 沈黙していたセラが訝しげな声を上げる。ティルが単独行動を取るのは珍しい。
 ティルは顔だけで振り返るとニヤッと笑った。
「デート」
 それだけ言い残して、回廊の向こうに彼の姿は消えていく。
「……どうせ嘘ですよ」
「わかってるよ。それに別に本当だったところで私がどうこう言うようなものじゃない」
 そう言う割には渋面のセラに、ライゼスは不可解な気分になった。一体セラは婚約者というものをどういう風に捉えているのか甚だ謎だが、この調子では縁談のことを知っても責められることはなさそうである。かといってあんな泣き顔を見せられればこれ以上波風を立てる気にもならず、やはり話すことはないのだが。
「しかし、なんだ……ティルにまで小言を言われるようになったな、最近」
「彼の肩を持つわけじゃないですが、極めて正論でしたし。貴方の素行が悪すぎるんでしょう」
 さらりと言うライゼスに、セラが半眼になる。
「お前は口が悪くなった。似てきたんじゃないのか、お前達」
「悪い冗談はやめて下さい。それよりリズが心配です。一度家に帰ってもいいでしょうか」
 もっと激高するかと思ったが、ライゼスはあっさりと話を流した。だがリーゼアのことを思い出して、セラもそれ以上会話を引きずることなく、首を縦に振る。
「もちろんだ。私も一緒に行って構わないか?」
「いいですけど、ドレスを踏んで転ばないで下さいよ」
「馬鹿にするな――」
 と、勇んで踏み出した足が、慣れないヒールでバランスを崩す。なんとか持ち直しはしたものの、ライゼスは呆れた顔をした。
「言ってる傍から」
 その声も多分に呆れを含んでいたものの、ライゼスが手を差し出す。ふてくされた顔をしながらも、セラはその手を取って歩き出した。
「……さっき何を言いかけた?」
「何の話です」
「ティルに何か言いかけただろう」
 むし返されたくないことをセラは的確に突っ込んでくる。
「何でもないですよ」
「気になる」
 ライゼスは聞こえるように溜息をついた。そう、今だって――有耶無耶にできるほどの話術をライゼスは持たない。
「……僕だって、なにも好きで融通が利かないわけでも、貴方に小言を言ってるわけでもないんですよ」
「じゃあ言わなければいいのに」
 最近聞いたような台詞に頭を痛めながらも、ライゼスはセラの手を引いて歩みを進める。また、少しの静寂が訪れ、ややあって後ろで上がった声は。
「でも、小言を言わないラスっていうのも変な感じだと思うよ。もしラスが隊長みたくユルかったら……」
 自分の話題よりも、やはり父がユルい人物だと認識されていたことに頭痛が増した。
「それもうラスっていうよりティルだよな」
「僕の頭を破壊したいんですか?」
「どういうことだよ。だから、ラスはそのままでいいってことだ」
「……そうじゃない方がいいって言われても困りますけどね」
「っていうかそんなのはお互い様だよな。私だって……なんというか、もっと女らしくなれたらと全く思わないわけでもない。一国の王女としては失格なのもわかってる」
 意外な言葉にライゼスは足を止めた。振り返った先で、だがセラの顔に憂いはない。
「だが、私がこんなじゃなければラスと今も一緒にいないかもしれないし……ティルにも会えなかった。自分を否定すれば今を否定することになる。だから私はきっとこのままだな」
 それは、褒められることではないのかもしれないけれど。
 それでもライゼスも曇りなく笑った。
「じゃあ僕も、これからもずっと小言を言い続けるでしょうね」
 ああ、とセラもまた、笑った。