3.


「でーんか」
 城門にもたれていたティルは、その声で姿勢を正した。実際は気が抜けそうになっていたが。
「……私に話とはなんでしょうか? 総隊長殿」
「まあまあ、そう急くなよ。せっかくだしその辺で一杯やりながらにしようぜ、殿下」
 なるほど、とティルは合点がいった。国王に謁見していたため、ティルも彼――騎士団総隊長ヒューバートも、当然ながら正装していた。それが終わったら来るようにヒューバートから声を掛けられていたが、私服でと念を押されていたのはどうも呑むためだったらしい。
「しかし、私は貴殿のご子息から禁酒を言い渡されておりまして……破ったら姫様とご息女に頭をカチ割られてしまいます」
「……何お前、リズたんとも仲いいの?」
 唐突に彼のまとう空気が変わり、ティルは口の中だけでしまったと呟いた。呼称でなんとなく察した。恐らく彼は娘を溺愛している口だ。
「いえ、仲がいいというほどでは」
「……ふーん……」
 実際仲は悪いくらいである。しかし詮索されれば困るのも事実である。殺されるかもしれないな――などと苦笑しそうになるのも堪えてティルがしらを切り通していると、やがてヒューバートもじっとりと彼を睨め付けるのをやめた。
「ま、それは今は置いとくとして……愚息の言うことなんて気にすんなよ。城じゃなけりゃ誰の目もないさ」
「でしたらまあ、私はやぶさかではないですが……」
 朝っぱらから飲むことに関して、ティルに異論はない。むしろありがたくすらある。とはいえセラやライゼスに知らせずに声をかけてくるのは穏やかでないとも感じる――それを今勘繰ったところで致し方なく、ティルは歩き出したヒューバートの後を追った。そこからは特に何の会話も交わすことなく、まだ人がまばらな城下町を歩き、一件の店へと入る。
 こんな朝から飲めるのかは疑問だったが、中にいた店主らしき男はヒューバートを見るなり机に酒瓶を並べた。どうやら馴染みらしい。
「強い?」
「は?」
「酒だよ。まず一杯と言いたいんだが、俺の周りでは一口で酔う輩が多すぎてね〜。話できなくなったらちょ〜っと困るんだよね〜」
 思い当たる面々が頭をよぎりつつ、ちょっとかよと突っ込むのを堪えて、ティルは酒瓶を手に取った。
「弱くはないと思いますよ」
 ヒューバートのグラスに酒を注ぐと、彼も満足そうに笑って酒瓶を持つ。互いのグラスに並々と酒が注がれると、「乾杯するような席でもないな」とそのままヒューバートは酒を煽った。倣ってティルもその中身を干す。
「旨い……」
 久々の酒に思わず言葉が零れると、ヒューバートはククッと笑った。
「快気祝いにとっておきさ〜。話できる程度に意識がありゃいい。遠慮なく呑めよ」
「はぁ……ありがとうございます」
「あとそんな畏まんなって。てか畏まらなきゃいけないのはオレの方なんだけどね、殿下?」
 彼にそんな大仰な敬称で呼ばれると、逆に馬鹿にされている気がする。苦笑するとティルは空になった二つのグラス両方に酒を注いだ。
「ではお言葉に甘えて。俺に何の用ですか」
「ん〜いい飲みっぷりだねぇ。……な、ランドエバー(ここ)は真面目なヤツが多くて参るだろ」
「まぁ……でも別に参ってはいませんよ。そこそこ楽しんでます」
「へぇ〜。お前絶対息子と仲悪いと思ったけどな」
 三杯目をティルのグラスに注ぎながら、ヒューバートが意味ありげに笑う。真意は測りかねたが、どう考えても良くはないのでそのまま率直に答える。
「良くはないですね」
「だろ〜? なんでアイツあんな頭固いんだろうな? オレの息子の癖に」
 だからじゃないですか、という言葉を一応飲み込む。ヒューバートが二杯目以降口を付けないので、ティルは手の中でグラスを遊ばせた。
「頭固すぎてそのうち爆発しそうだから、今まではオレがテキトーにガス抜きしてやってたんだけどね。でも殿下が来てから必要なくなっちまったの。傍目から見りゃいいコンビなんだがなぁ」
「俺はともかく、ご子息が聞いたら魔法の一つ二つブチかまされますよ」
 軽口こそ叩いているものの渋面になったティルを見て、ヒューバートは可笑しそうに口角を歪めた。が、すぐに――ごく珍しいことではあるが――真顔になる。
「ま、当然そんな与太話をしに来たわけでもなくてね〜。先の公務じゃずいぶん活躍したそうじゃん」
「全治一ヶ月がですか?」
 なんの皮肉かと柳眉を顰めたティルに、ヒューバートはカラカラと笑って手を振った。真顔の続かない男である。
「ちがうちがう、食事会での話。息子がこれまたイヤっそーに報告するんだわ。めちゃくちゃイヤそーに助かったと言ってたぜ」
 なんとなく想像できてしまって、再びティルは苦笑した。だが貸しを作ったつもりが、その後それ以上に大きな借りを作ってしまったのを思い出せば笑みは消え、苦みだけが残る。そういえばまだ礼を言っていなかったのを思い出した。
「で……面白い話は聞けた?」
 ああ、とティルは合点が行って、手の中のグラスに口を付けた。情報代なら遠慮することもないだろう。
「別に他愛ない話しかしてないですよ」
「ふーん……そういう駆け引きするところ、やっぱお前はオレ側の人間だよな」
 黙ってティルは酒のボトルに手を伸ばしたが、それを阻止するように先にヒューバートが手をかける。
「腹割ろうぜ殿下」
「ならそちらが先に」
「割ってるじゃないか。もう察しただろ。情報が不足してんだよ」
 ヒューバートが舌打ちする。ティルはボトルから手を離すと、座っている椅子に深く腰掛け直した。
 彼が苛立った様子を見せたのは一瞬のことで、今はティルの牽制のまなざしを、いつもの飄々とした笑顔で受け流している。
「お前の目から見て、この国はどうだ?」
「治安もよく、この規模にしてとりたてて問題もない、良い国です」
 ふっとヒューバートの笑みの質が変わる。気付いてティルは短く息を吐き出すと、言葉を継いだ。
「……表面上の問題がなさすぎる、とも言えますが。これで合格ですか?」
「悪かったよ。試してるわけじゃない、お前がなかなか本音を言わないのが悪い。……その通りだ、最初にも言ったけど、ここはお綺麗なヤツが多すぎるんだよ。聖戦からこっち、弱った国々をなんでも無条件で受け入れちまって」
「だからこの国はこれほど大きくなったんじゃないですか。陛下のそのお人柄と大陸を越えて轟く『ランドエバーの守護神』の雷鳴……その圧倒的カリスマでこの国を支えるためには、綺麗でなくてはならないでしょう」
「アルフェス自身はそうだ。妃殿下やチビ姫もまぁいい。だが元老院は――その筆頭たるレゼクトラ家は影であるべきだ」
「…………」
 ティルは視線を落とすと、眉根を寄せた。
「なら、俺じゃなくご子息と話をしては?」
「そうしたいのは山々だがな。あいつは影にゃなれない」
「奥方やご子息を影に堕としたくはないということですか」
「……否定はしないさ。だがあいつもエレンも目的のために非情にはなれても、どこかで筋を通したがるし、絶対にそれを譲りゃしねぇ。それじゃ相手が尻尾を出さなきゃそれで終わりだ」
「腹を割るんじゃないんですか? つまり隊長は、怪しければ始末すればいいと考えてるわけだ」
「そうだ」
 躊躇いなく彼は答えた。いつもだるそうな瞳が、殺気を込めてこちらを射抜く。視線を外していてそれがわかるほどビリビリと痺れるような重圧を感じ、ティルは顔を上げた。
「わかりましたよ。露見したところでよそ者の俺なら簡単に切れる。いい人材を見つけましたね」
 その途端、刺すような重圧は消えた。
 ヒューバートがボトルを持ち上げると、ティルのグラスに並々と注ぐ。
「……さしあたって、レグラスのデムナンド卿あたりですかね」
「おっ、さすがだな。二年前のノルザでの一件覚えてる? 伯爵と騎士団の癒着があったろう。あれを調べててそいつが浮かんだよ――先回りして王都を離れられたけどな。しっかしなんでわかった?」
「別に、姫を見る目つきが気に入らなかったってだけです」
「それにしたって、あいつガードかってぇだろ? こっちは数年かけて行きついたってのに」
「娘の方はそうでもなかったですよ」
「ほおお〜……。美形は女落とすのが楽で羨ましいねぇ。腹立つから姫にチクったろ〜」
 ヒューバートが半眼でボソっと呻き、ティルは今しがた喉に流した酒を噴きそうになって咳き込んだ。
「べっ、別に……隊長が思うよーなやましいことは何も」
「ふ〜ん。じゃあチビ姫に粉かけてんのも、もしかして何か打算があったりすんの?」
 表情は変わらないが、再び微かなプレッシャーがヒューバートから立ち登る。だが駆け引きも忘れてティルは声を上げて笑っていた。しばらく笑った後、未だひくつく腹を押えながら、彼は口を開いた。
「打算でもあれば、まだ気の持ち様もあるんですがね」
 酒を注ごうとして空なのに気が付き、再び置く。ヒューバートが店主を呼び、新しい酒瓶が並んだ。それを注ぎながら、ヒューバートがニヤニヤと口を開く。
「へー……じゃ本気で惚れてんの」
「そうですけど。それを聞いてどうするんですか?」
「別に、興味本位。オレは応援するよ」
「意外ですね。完全にアウェイだと思っていました」
「まぁアウェイだと思ってた方がいいぜ。元老院もだいぶ大人しくなったが過激なヤツもいる。元老院は保守派だから当然よそ者を嫌う。身辺には気を付けろよ」
 物騒な言葉にも、ティルはさして表情を動かさなかった。
「ご心配なく。慣れておりますので」
 他愛ない世間話のように答える彼のグラスにはまだ酒が残っていたが、構わずヒューバートはそれに酒瓶を傾けた。
「そーだったな。まぁ、今日は好きなだけ飲んでってくれよ」
 ヒューバートが店主を呼びつけ、新しい酒と、それに加えて幾つかつまみを注文する。店主が奥に行ったのを確認してから、ティルは声を上げた。
「よそ者で都合がいい面もあるでしょうが……それでもよく俺なんかにこんな話しましたね」
 呆れを含んだ声に、ヒューバートが茶目っ気を込めてウインクする。
「この国のために動くことは、ひいてはチビ姫のためになる。姫のためなら命を使ってもいいんでしょ?」
 実際のところそれは建前でもなんでもないから――返事の代わりに、ティルは酒を煽った。