3.



 セラの闖入によって会話が途絶えてしまい、それから少し気まずい沈黙が部屋を支配した。が、レミィが跪いたままなのに気が付いて、ライゼスが声を上げる。
「レミィ、とりあえず……座って下さい」
「あっ……はい!」
「いや、椅子に」
 その場に正座したレミィを見て、ライゼスは突っ込んだ。レミィは真っ赤になって立ち上がると、頬を押さえながら椅子に座り直した。
「わ、私何か姫様に粗相してませんでしたか!? ちゃんとご挨拶もできなかったような……!」
「いえ、どちらかといえば突然来た姫に非がありますよ。それに、姫はそんなことを気にされるような方ではありません。安心して下さい」
「……」
 どちらかというと、セラは畏まった態度で接されるのを嫌うほどである。大体、人の家に勝手に上がる、人の部屋をいきなり開けるようなセラに礼儀をどうこう言われる筋合いはないとすら思う。レミィに言ったことは彼女のためというより、皮肉に近かった。だが、レミィはどちらの受け取り方もしなかった。
「……ライゼス様はやはり、姫様がお好きなのですね」
「は、はぁ?」
 どこか思いつめたようなレミィの声にもかかわらず、ライゼスは間の抜けた声を上げた。
「どうしてそうなりました?」
 純粋な興味も多分にあって聞いてみる。しばらくレミィは黙り込んでいたが、ややあって声を上げた。
「今思ったわけではありませんよ。昔からライゼス様は、姫様のことを楽し気に話されるし、姫様を見る目が温かいです。見ていればわかります」
「……そうでしょうか?」
 レミィにセラの話をしたことなどあっただろうかと、ライゼスは記憶をめぐらせた。あったとして、宿題をしないとか、講義をサボるとかいう愚痴のような気がする。それのどこが楽し気に見えたのだろうか。
「では、お好きではないのですか? ライゼス様はいずれ、姫様とご結婚されるのでしょう」
「それは……もちろん嫌いではないですが。その話はもうよしませんか?」
「私はその話をしに来たんです」
 ギュッと、レミィは自らの両手を握りしめた。

 ■ □ ■ □ ■

 レゼクトラ邸を後にしたセラは、その足で城下町へと向かっていた。近頃のセラの日課は、午前中にライゼスを見舞って、午後にティルを見舞うというものになっていた。二人がそうなったというのも元はといえばセラの我儘が原因であるから、セラは多少責任を感じていた。
 自分が見舞ったからとてどうなるものでもないが、一人で安静にしているのは暇だろう――などと、じっとしていることが苦手なセラは思うのである。決して、自分の相手をしてくれる者がいないから、自分暇だからというわけではない。
 ライゼスが来客中だったため、いつもより少し早いが、セラはティルが入院している病室の扉を開けた。
「ティル、調子は――」
 が、中を見て半眼になる。何故かナースが三人も部屋にいて、彼女らに囲まれて楽しげに談笑していたティルが驚愕の目でこちらを見た。
「セ、セラちゃん。こんな早くにどーしたの」
「邪魔したな!!!」
 引きつった声を上げるティルの声をかき消して、セラはスパーンと病室の扉を閉めた。が、ドスドスと来た道を帰っていくセラの腕を、病室を飛び出したティルがすんでのところで掴んでいた。
「ま、待って待って。帰らないで」
「どいつもこいつも――」
「は?」
 不意にセラの口から零れた言葉をよく聞き取れずに、ティルは怪訝な声を上げた。セラはそれには答えずに、ティルの手を振り払いながら叫んだ。
「帰る!」
「……いたたた。傷が痛い。開いたかも」
 急に腹を抱えてティルがうずくまり、セラは立ち去りかけていた足を止めた。
「……どうせ嘘だろ?」
「ひどい。心の傷が開く」
「……」
 無言で見下ろしてくるセラを見て、ティルはふう、と息をつくと立ち上がった。演技をすることは容易いが、セラを騙して心配をかけるのは冗談でも気が進まない。
「セラちゃんが来てくれるのだけが楽しみなんだよ。そんなすぐ帰らないで」
「私がいなくても充分楽しそうだったが?」
 既にナース達は退散している。ティルがしょげかえって部屋に戻るのを放っておくこともできずにセラは後を追った。若干の腹立たしさはあったが、どうせ帰っても暇なのである。
(……というか、何腹を立てているんだ、私は)
 ふと、セラは冷静になった。ティルの女好きなど今に始まったことではない。
「別に楽しくはないよ。でも毎日こんなところで一人でボーッとしてたら気が狂いそうで」
 それに、彼の言を聞けば実にそうだろうとも思えた。セラは入院したことなどないが、安静にしてろと言われてもできる気がしない。それに、彼を見舞う人だって自分くらいのものだろう。ナースと談笑していたからといって、それを責めるのは酷だ。よく考えてみたら責められるようなものでもなんでもない。だが。
「それはわからなくもないが、凄く楽しそうだったぞ」
「なんでそこ突っ込むかな。セラちゃんだって俺がいなくてもボーヤと楽しくしてんでしょ」
「……別に」
 ふとセラは足を止めた。そのライゼスも、今は自分の知らない客と楽しく談笑している。それもセラがとやかく言うことではないが、長い付き合いにあって、ライゼスにそのような相手がいることなど知らなかった。
「……どうしたの? 何かあった?」
 ティルの声に心配そうな色が混じって、セラは顔を上げた。が、思ったより近くで覗き込まれていたために、焦って体がのけぞる。
「いっ――いや、なんでもない」
「そんな避けなくてもいいじゃん……」
 傷ついたような顔をされてセラは焦った。同じようなことが最近あった気がする。遺跡でだ。思えばあのとき、ティルは重傷を隠して仕掛けを解いていたことになる。知らなかったのは言わないティルも悪いとは思うが、随分な態度を取った気がして弁解する。
「済まない。別に嫌なわけじゃないんだ。ただ前も今も、急だったから」
「…………」
 前、と言われて一瞬いつのことかティルは考えこんだが、すぐに思い当たって再び口を開く。
「じゃあ、急じゃなければ……予告すればキスしてもいいってこと?」
「い、いや……なんでそうなる」
 いたって真面目な声で問われ、セラは後ずさった。よくストレートにそんなことが聞けるものだと思うが、ティルは追及をやめない。
「俺ってセラちゃんの婚約者じゃなかったっけ?」
「……そ、そうだけど」
「婚約者なのにキスも駄目なの? おかしくない?」
「う……」
 そんなことを聞かれてもセラにはよくわからないが、よくわからないのでそうだとも言い切れない。迷っている間にティルはすかさず切り込んでくる。
「じゃあしてもいいよね。するよ? 予告したからね?」
「……ッ」
 この流れでは駄目だと言えない。最初の一手で既に仕掛けられていたと気付いたときには、頬に手が掛かっていた。顔を近づけられて、思わずギュッと目と閉じる。が、クスクスと笑い声が聞こえてきて、セラは目を開けた。
「プッ……注射される子供みたいな顔してる」
「………………ッ」
 次の瞬間、セラは右ストレートをティルの腹に打ち込んでいた。
「ぐは!? ちょっ……マジで傷開く……ッ」
「ティルのアホ! 一生入院してろ!!」
 スパーン、と勢いよく病室の扉が閉まった。