15.



 数日後、ランドエバー王都、レゼクトラ家にて。
「なかなか下がらないな。熱」
 ライゼスの額に手を当てて、セラは唸った。
「原因はわかってるので。昔はよくありました。長引いても一週間です」
「そういえばそうだった。ラスが魔法の勉強を始めた頃だったっけ。懐かしいな」
 手を離すと、セラは手元の桶でタオルを絞ってライゼスの頭に乗せた。
 ライゼスの体調不良の原因は、魔法の使いすぎにあった。キャパシティを越えて魔法を使うと体にも不調をきたす現象で、魔力のコントロールが下手な子供などがとくによく掛かるものである。症状は熱、だるさ、めまいなどで、風邪とさほど変わらない。精霊魔法使い(エレメンター)の減少により、昨今では医者も忘れつつある病気だ。
「あの頃もよくこうして看病したよな」
「ええ。全然絞れてないタオルを乗せられて、頭がびしょ濡れになったものです」
「はは、本当に懐かしい」
 少しは悪びれてほしいものだと思いつつ、ライゼスは頭のタオルに触れた。ひやりとした感触を伝えてくるそれは、当然昔のように滴を垂らしたりはしない。
「……セラも大人になりましたね」
「そりゃいつまでも子供じゃいられないさ……」
 ベッド脇の椅子に腰かけて、セラが少し寂しそうに笑う。その憂いの混じる表情が胸に刺さったが、ライゼスはそれを表情に出さずにクス、と笑った。
「学力は子供のままですけどね」
「それを言うか? 人には向き不向きがある」
「そういう問題ではありませんね。セラの場合向き不向きとかいうレベルじゃないんですよ。そうだせっかく一緒にいるんですから少し勉強しましょうか。僕の机に教科書がありますので、持ってきて下さい」
「お前なぁ……。病人なんだから休んでいろよ」
「そうは言っても退屈なんですよ。別に起きてても差し支えないのですが、リズが怒るので」
「珍しいな、ラスがリズの言うことを素直に聞いてるの」
 ええまあ、とライゼスは曖昧に答えた。
「僕がほったらかしすぎたせいで、悪い男に引っかかっては困るので……」
「本当に心配性だな、ラスは。リズだって子供じゃないんだぞ」
 呆れたように言うセラにわからないよう、ライゼスは溜息をついた。知らなければこんな心配などずっとすることはなかっただろう。けれど知らなければ大事な家族の心配をすることを忘れたままだったかもしれない。
「嫌な相手に借りを作ってしまいましたね」
「ん?」
「独り言です」
 苦虫を噛み潰したかのようなライゼスに、セラはしばし不思議そうな顔をしていたが。
 しばしの静寂ののちに、セラはふっと息を吐きだした。
「ティルがいないと静かだな」
 王都に戻ってからも、ティルは城下町の病院に運び込まれ、全治一か月を言い渡されて入院していた。本人はだいぶ調子が戻ったようで見舞いの度に帰ると騒いでいるが、その都度セラに黙らされている。
「静かで結構です。ずっと入院してればいいんですよ」
 突然、セラがクスクスと声を立てて笑い始める。ライゼスが怪訝な顔をすると、セラは心底可笑しそうな顔をした。
「……なんですか」
「いや。誰かさんが熱が出るまで回復魔法使い続けてなければ、全治一ヶ月じゃ済まなかっただろうな?」
「……」
「長い付き合いだが。お前のそんな顔、初めて見るよ。フフ」
 笑い続けるセラに、ライゼスは仏頂面になった。だがその屈託のない笑顔を見ていると、自然と顔がほころんでしまうのが悔しい。
 穏やかな午後。それもまた日常ではあったが、今はほんの少し物足りないのも事実だ。
 とはいえあと一ヶ月ほどそれを堪能するのも決して悪くはない。
 ――などと、ライゼスが考えたとき。
 おもむろに部屋の外が騒がしくなり、その声を聞きつけて、ライゼスの眉間に皺が寄った。
「ええい、入ってくるな! お兄様は静養中だ!」
 リーゼアの怒声と共に、ライゼスの自室の扉がバタンと激しい音を立てて開く。
「ようボーヤ。セラちゃんと二人で自宅にいるって聞いたから邪魔しに来たぜ」
「……全治一ヶ月の怪我人が、こんなところで何してるんですか?」
 握りしめた拳をフルフルとふるわせて、ライゼスは声を絞り出した。
「俺だって怪我人なのに、お前だけセラちゃんに看病されてずるいだろうが」
「怪我人ならおとなしく、病院から動かないで下さい!」
 ライゼスが振り上げた拳から光球が生まれて、闖入者――もちろんティルである――めがけて飛んで行く。ティルが慣れたそぶりでそれをかわし、光球は後ろの壁に炸裂してブスブスと煙が上がった。
「お兄様! 部屋が壊れます!」
 そんなドタバタ騒ぎなどどこ吹く風とばかりに、セラは慌てるリーゼアの前をスタスタと通り過ぎた。
「姫様、止めて下さいよ!」
「止めても無駄だ、やらせとけ。私は帰る」
「何笑ってるんですか、姫様ー! 止めて下さいってば!!」
 リーゼアの叫び声を飲み込んで、再び三人の日常が始まる。
 ――いつか終わりが来るそのときまで、優しく繰り返し、過ぎて行く。